ぬえの能楽通信blog

能楽師ぬえが能の情報を発信するブログです。開設16周年を迎えさせて頂きました!今後ともよろしくお願い申し上げます~

研能会初会(その29)

2007-04-05 01:06:50 | 能楽
今日は朝から薪能の申合と新作能の稽古に参加し、午後からは国立能楽堂の地下の図書室に行って資料調べをしておりました。うう~、コピー代が1,500円になっちゃったい。今どきコピー1枚20円は高いな~。。もう少し安くなりませんかね~。。(;_:) 。。と言っても20年前からこの値段なワケだが。

で、だいたい欲しい資料のコピーを取りそろえた夕方5時。図書室が閉まる前に、何気なく開架の雑誌(最新号)を手にとって眺めていたら。『金春月報』の最新号に『翁』についての記事が載っていました。はじめは「ををっ、ブログに連載している話題にちょうどリンクして、なんてタイムリーな記事を見つけたんだろう」と思った程度だったのですが、読んでみるとこれがまた。独自の視点と調査を行っていて、とっても興味深い内容でした。ちょうどこのブログでも前々回に黒式尉の面や「モドキ」について考えてみたところでしたが、この記事はそれとも関係して、しかもとっても刺激的。今回はこの記事をご紹介させて頂きます。

拝見したのは「願掛けの翁舞(二)」という記事で、著者は宮本圭造氏(大阪学院大学助教授)です。

内容はこんな感じ。。

金春家にはかつて「おそろし殿」と呼ばれる面があった(注・現在の所在については言及なし)。各家に伝わる伝書によれば、この面は聖徳太子が天より降らせ、金春家に賜った面と伝えられ、様々な神変奇特を起こす不思議の面であった。金春家では「天之面」と呼び、箱に厳重に収め、〆縄を張って丁重にお祀りしていた。かつては金春屋敷の土蔵の三階に祀られ、百日の精進潔斎を経て<翁>の伝授を受けた金春大夫のみが、一代に一度だけ拝見することを許された。

宮本氏は金春禅竹の『明宿集』に“翁面と鬼面を一対に祀るべき”と記されている記事に言及されて、この面は追儺面に近い「鬼の面」であろう、と推測され、「丁重にお祀りすれば人々に現世利益をもたらす大慈大悲の神も、ひとたび疎かにすればたちまち障碍をなす荒ぶる神へと変成する。そうした翁の二面性は、(中略)猿楽者の共通理解であった。ゆえに猿楽者は翁面を御神体として丁重に祀り、翁を舞う時にも精進潔斎を怠らなかったのである」と考察されます。(国立能楽堂の図書室の規定で雑誌の最新号はコピーが取れないため、ぬえは閉館時刻と戦いながら、筆写しました。。誤写があったらゴメンなさい)

このほかにも翁面が起こす奇特の伝承を、宮本氏は次々に紹介されます。

夜な夜な光を放ち、どこからともなく翁の謡の声が聞こえる春日作の翁面。
一向一揆の際に農民によって掠奪されたが、村人が粗末に扱うと村に疫病が流行り、これを恐れて川に流したところ、下流の民が拾い上げて丁重に祀ったところ、疫病は止み瑞祥が起こった、といわれる越前国の寺の什宝だった翁面の話。

来歴についても、『申楽談儀』に見える、カラスが上空から落とした事により近江猿楽山科座に伝えられた翁面の話。
夢の告げによって干上がった池の中から拾い上げられて紀伊猿楽貴志大夫の所伝となった翁面の話。

元暦年中の干ばつの際に金春座の年預の幸王大夫が翁面を鬚を海水に漬けたところたちまち大雨が降り、帝から「王」の一字を賜って幸王大夫と名乗るようになった、という話。
開けると洪水になるから、という理由で箱から出されず、現代に至るまで誰もその中身を知らない「ぐり面」と呼ばれる、滋賀県の元・猿楽者の家に伝わる面。。。

ちょっとホラーでもありますが、こんなに興味深い伝承が各地に伝えられていたとは。。『翁』の別の側面を垣間見た気分です。興味がおありの方はぜひご一読をお勧め致します。