ぬえの能楽通信blog

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研能会初会(その30)

2007-04-06 10:43:28 | 能楽
「三番叟」と「面箱持ち」との問答は、現在の通常の『翁』(観世流では「四日之式」)では「三番叟」が舞を舞うのと、「アドの大夫殿」すなわち「面箱持ち」が「元の座敷に直る」事の順序を譲り合う、という内容のもので、現在はこの演式を何と呼ぶのか ぬえは不勉強にして知らないのですが、古い伝書類には「本座」という名称で記されています。そしてこの演式は、かつて何日間かに渡る日数能の各日の冒頭に勤められる『翁』では初日に演じられる決まりになっていたようです。

二日目以降は問答の内容が替わり、二日目には「烏帽子の祝儀」、三日目に「子徳人」、四日目に「田歌節」という演式の問答が行われていました。それぞれの問答の内容は以下の通り。

二日目の「烏帽子の祝儀」は「烏帽子」とも言われ、「三番叟」と「面箱持ち」が「翁」「千歳(と囃子方)」「三番叟」がそれぞれ着ている烏帽子の名について問答を交わす、というもの。

三日目の「子徳人」は別名「子宝」と言い、「三番叟」が「自分は十人の子を持ち、その区別のために名をつけた」と、面白い名を次々に述べるもの。その部分は囃子掛かりだったらしく、拍子に乗って面白く名前を連呼したのでしょう。

四日目の「田歌節」は「田歌」とも言われ、「三番叟」が「面箱持ち」を呼び出すのに拍子にかかって呼び出す、という演出。狂言の『呼声』などに「平家節」「小唄節」などという拍子掛かりの種類が出てくるから、「田歌節」もその一種なのでしょう。

ただし「四日目には初日と同じになる」と記す伝書も多く、これは観世流が日数能で「初日之式」「二日之式」「三日之式」「四日之式」と少しずつ演出を替えて上演される『翁』が五日目以降は「四日之式」を繰り返し演じた、という事実とほぼ符合します。

ところが問題なのは、歴史的にこの問答の演式が演じられる順番が変動してきた、という点なのです。

四日目に演じられる「田歌節」は、江戸期以前には二日目に演じられていたが、比較的新しい成立と考えられる「烏帽子の祝儀」が二日目に演じられるようになると、次第に上演される日が後退していった事がわかってきています。また江戸初期までは「鏡宿」「作り道」など、上記とはまた違った様々な問答が上演されていました。かつて「三番叟」が「翁」のモドキとして祝言とともに滑稽味を舞台に加える役割も果たしていた頃には問答の形式も もっと流動的で自由なものだったのが、江戸時代に『翁』自体が儀式性を増し、儀礼的になるにつれて、「三番叟」も滑稽味を排して祝言性を増していった結果と考えられています。

世阿弥も『申楽談儀』に「三番申楽、をかしにはすまじきものなり。近年人を笑はする、あるまじきこと也」と書いていますが、これは足利義満に見いだされ、庶民が楽しむ芸能だった能を貴人の鑑賞に耐えるレベルに改革することを目指して連歌などを学び、能の芸術性を高めた世阿弥の立場としての発言である事を考えれば、大いに吟味すべき発言でしょう。