55歳なのに、ずいぶん潔いよなあ、って。
今朝の地元紙の5面に、ニュージーランドの首相が「家族の時間が大切」として突然の辞任表明をしたというニュース。
へえ、任期延長を画策する某国の首相とは全く違う価値観ですね。
一方、国民投票で敗れたイタリアの首相も辞意。こっちは一面トップ。
この扱い、ごく普通だろうと思いますが、本当にそうかなあ、などと思った自分もあったんですよね。
今日は、ブログはパスって思ってたんですが、お風呂に入りながら湯気とともにいろいろなことが湧き上がってきたんです。
最近、若い人たちから、三島さんは全く変わったと言われることがあるんですよ。もちろん、議員時代と比較してなんですが、180度とも(^^;;
自分では、10年くらい前、生き方をガラッと変えたと思っていたのですが、立場や義務感のような頸木ってそう簡単には外せなかった。
今読んでいる本に、長嶋茂雄さんの話が出ていました。
長嶋語録って言語明瞭意味不明瞭と言われたものですが、閃きを体現できる天才でしたね。まさに、ありのままに生きていらっしゃったんでしょう。
ただ、監督になってからのチーム成績は、不振続き。そりゃあ、長嶋監督の意識を共有できる、宇宙語を解読できる選手はそうそういないでしょうね(*^^*)
ここからは、自分勝手な想像なんですが、長嶋茂雄さんって、本当にあるがままにバッターボックスに立ち、シュッと来た球に素直にバットを出してカンって打ってた。自我を超えてたんでしょうね。
NZの首相も、ある意味、自我を超えたところで生きたいと思っているのではないかって。
自我を超えて、ありのままに生きることはそう簡単なことではないかもしれませんが、その時って、我欲を超えているんじゃないかって思うんですよ。
ある人曰く、母が柿を半分剥いて「この柿は固いし美味しくない」と言って半分残していた。後で、残った柿を剥いて「この柿は美味しいよ」って出したら、「ちょうどいい固さで美味しいね」って母が食べたと。
自我を超えるって、感謝の気持ちが絶対必要かなあ。
僕には感謝の気持ちって?なくなったら終わりだと思っていたのですが、立場や義務感やなんやかや、汚れが付いていたんだろうと思います。きっと、自我と我欲の頸木は強固なんですね。
今、そういう頸木を外せるところに来て、人の喜ぶ顔が見たいという素直な気持で生きられる。
そうした気持ちでありのままに生きられる、生かされるのが一番の喜び。
毎日を楽しく過ごすことができる、有難いですね (^^♪