見習い百姓のつぶやき

宮仕えも一段落、半農半Ⅹを本格化。農的暮らしとさまざまなⅩを悩んで、楽しんで一歩づつ。

身につまされる薩摩揚げ事件で考える科学偏重主義

2016-12-22 18:06:19 | 持続可能社会

 変なお天気ですよね~~(^^;;
 昨日は冬至だったはずなのに、何?この暖かさは(@@
 その上、これって木枯らし?ぴーぷー吹き荒れてるの。木枯らしって、冬の季節風だと思ったけど。

行き過ぎた科学偏重?
 さて、知人から荷物が届きました。えっ、何だろう?出版社だから本?それにしちゃあ軽いけど。
 開けてみたら、お歳暮でしたが、その中に一枚のお手紙が入っており、一読して、う~~むって。
 そこには、20数年、お歳暮は田舎の薩摩揚げに決めていたと。そう、毎年嬉しくなるお歳暮でした。

 ところが今年は、田舎の後輩から、魚が全く獲れなくて今年は薩摩揚げが作れない。このままだと廃業ですと悲痛な声で連絡があったと書かれていました。
 この方が中学時代、地引網をやっていたお父上は、「魚は山に着く。人が山に入んようになったら、栄養が届かなくなり魚が取れんようになる」と仰っていたそうです。
 最後に、「科学が発達しすぎたら、必ず人に『科(とが)』をもたらす」と教えられたが、今日の天災地変も行き過ぎた科学偏重も一因なのでしょうか?と結ばれていました。

エビデンスと聞くと蕁麻疹が出そう
 もうすぐ読み終わる「あの世飛行士は見た?歴史の有名なあの場面」の中に、「実証されていないから科学じゃない」とよく言われるけど、これは根本的におかしいですよね、と書かれています。
 わけがわからないけれど事象があるからそれを研究していく、というのが科学でしょうって。しかし、ある先生方の教えの下で育った生徒は、その壁を超えにくいのだとか。
 僕の議員時代、エビデンスを盾に絶対に譲らない方がいらっしゃいました。だから、エビデンスと聞くと蕁麻疹が出そう。ただ、行政サイドも自分を守らなきゃならんてのもわかる。気の毒な仕事です。

 今、科学偏重のエビデンス主義のようなものが人の心を支配しているから、薩摩揚げ事件や天災地変のようなことが発生するのかなあ?
 人間の想像力や秘めたる力は無限大のはずですから、今の偏狭な科学主義をダイナミックに超えて行く、そうしたことを認めて行くような社会にしたいものですね。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする