英子さんと修一さんのあるがままの暮らし、本当にステキですね。
カタカムナツアーの前日、たまたま読もうと思って準備した本がつばた修一さんと英子さんの「ときをためる暮らし」でしたが、ツアーと“宇宙の響き~カタカムナコンサート”、そして昨日の大船山、全てつながっているよなあ。
楯縫郡の神名樋山
昨日、出雲風土記に記されている「かんなびやま」の一つ、楯縫郡の神名樋山~旧平田市の大船山(標高372m)に登ってきました。
三角点を過ぎ、どこが山の頂だろうと思いながら、烏帽子岩と書かれた案内を辿ってそれらしきところに立ちましたら、体を揺らすんですね。
結局、大船山の山頂ってどこ?ですし、烏帽子岩もどこか明確に分かったわけではないのですが、古代の出雲人が「かんなびやま」と崇めたのには訳があるとガッテンした気分。
何をガッテンしたのか?烏帽子岩、とてもエネルギーが高いんですね。
聞くところによると、エネルギーの高いところって木が捩れたりして、普通の山の木々の様子とは違うというのですが、烏帽子岩も、その道中にもそれらしき木々が随所にあって、そこの場所って、体を揺らしたり回したりするんですね。
嘘か本当か、まあ、自分で体感する以外にないのですが、きっと、古代の人たちは、感性が強いからそれを感じ、ずれてしまった自分の生命のバランスを調整するためにそういう場所を使ったのかもしれません。
宇宙即我ですから、宇宙の生命エネルギーと自分の生命エネルギーを調整したのかな?
上の写真ですが、変な形の木の場所はエネルギーが高いところ?真ん中の絡み合い、カタカムナ人の言う“アマウツシ”を想像させてくれました。
女から男への生命レベルでのアマウツシ、エネルギーが高いからそうなる?
右下、どうでもいい写真のようですが、僕の畑に掘られた穴と一緒でした。鎮座する立派なモノはありませんでしたが、この場所でのこの穴は、やはり亥の君じゃないかなあ。
宇宙即我の入り口?
さて、何が宇宙の響きコンサートと繋がるのか?カタカムナって潜象物理の世界と言われるのですが、ウタヒとシンセサイザーによる響きでヒトの波動と宇宙の波動、響きを同化させる試みとでもいうのか、宇宙即我の入り口を体感する試みなのかな?
お二人のコラボを聞きながら、生命が震え続けるのを感じたのですが、それは、自然の場のエネルギーの波動と自分のエネルギーの波動の一体化に通じるのではと。
暮らしの基本はアナスタシアにも通じる?
そして、英子さんと修一さんのあるがままの自然との暮らし方ですが、この本を読みながら、アナスタシアの世界そのもの!と思えました。
アナスタシアの提唱する一族の祖国は、お二人の生活空間の10倍の広さですが、日本の温暖な気候のもとですから、英子さん、修一さんの土地はそれに比肩できるのかもしれません。
自然とともに、さまざまな果樹や野菜を自作し自給するという暮らし方の基本は同じと思えます。
カタカムナからの学びも、実はそこに尽きるのではないかと思っています。
わたしたちは、とても便利で物に恵まれた生活を手に入れましたが、同時に、さまざまな困りごとを抱え込んでしまったようです。
英子さんと修一さんの暮らしぶりは、溢れる困りごとをやんわりと受け流す生き方なのかなあ?と感じながらこの本を読んでいます。
達人の生き方を発信する地こそ出雲!
自然とともにあるがままに暮らす生き方って、何も特別なことではなく、ごく普通のことをありがたく生きることかもと思えますが、今の社会では、その生き方は達人の生き方かも。
僕は、そんなごく普通だけど、達人の生き方を社会に広げて行く模範の人が住む地域こそ、4つの「かんなびやま」を抱える出雲だ!と思えるんですね。