見習い百姓のつぶやき

宮仕えも一段落、半農半Ⅹを本格化。農的暮らしとさまざまなⅩを悩んで、楽しんで一歩づつ。

ときをためる暮らし

2017-11-19 19:41:03 | 持続可能社会

 え~~、どうなんだろう!?
 初あられって、初雪とは違うんですかねえ?
 今朝、遅がけでしたが、みぞれからあられになって隅っこの方が白くなりました(@@


 そんな今日は、畑作業は申し訳程度、だって、ほぼ終日冷たい雨が降っていましたからね。
 ということで、事務作業をしたり、家で百姓作業をしたり、とてもお世話になった方の葬儀に参列したり、お昼を東出雲のカレーやさんで食べながら本を読んでましたが、休みなしだったような。

こんな価値観で暮らしたい
 カレー屋さんで、英子さんと修一さんの「ききがたり ときをためる暮らし」を読み終えたのですが、近くに付箋がある時には、ちょっと気になったところに貼るんです。
 心に響くところって、もっともっとあるんですが、取りあえず貼ったところを見返して見て、このあたりの価値観、とっても共有できるよなあ、というか、目指すところだと思うので自分用のメモで。
 これを読み返してみるだけでも、可笑しいくらいに面白い。こんな価値観で暮らしたい。

 英子さんはマフラーを編んでは、人にどんどんプレゼントしているでしょ。世の中を支えているのは、こんな無償の善意なんじゃないかと思うんです。

 うちではトイレットペーパーとティッシュも、環境にやさしいといわれているものを取り寄せています。少し割高でも、そういうものにむしろお金を使いたいと思って。とにかく、自然に逆らった暮らしはしたくないと思うのね。便利さだけを求めずに、少ないもので、シンプルに生活したいですね。

 やっぱり女の人は、暮らしに見識をもたないとダメだと思いますよ。
 自分に何が必要かを考えて暮らしてほしい。戦争中もなびいたけども、いまはメディアにみんなが支配されちやっている感じですね。自分でね、これと思う感性を育てないとダメですよ。たとえば、みんなが車を持つから、自分も持つというのは、おかしいと思うの。自分にあわないものは、やめておいたほうがいいと思う。うちでは、そうやって暮らしてきましたものね。

 彼の哲学と、私の哲学は、ぜんぜん違います。でも、お互い世の中の常識には流されず、自分の感性でいいと思ったことを続けてきた。そういうところは、二人とも合っていますね。遠いところを見つめる二人の方向は一緒だったというわけね。

 やはり、自分の暮らしをつくるために、世の中と不必要なやりとりをたくさんやっていると、いつの間にか流されてしまう。ですから結婚から始まる新しい生活は、自分の哲学で暮らしていこうと思ったんです。それが、冠婚葬祭は一切出ない。世俗的なつきあいも一切しない、ということでした。
 英子さんも一トン爆弾爆発を経験し、人まかせにした暮らしでは、決して自分の暮らしはよくなっていかない。知らない間に、どこかに連れて行かれそうだという危機感を持っていたのでしょう。だから僕の考え方に、英子さんも寄り添える部分があったんじゃないですかねえ。
りっぱな肩書きを手にする、大きな財産を手にする、そういうことがなくても、人は幸せになれると思っていた。

 お金って不思議ですよ、貯めれば貯めるほど、貯めたくなる。うちはお金があったためしがないので、なくても平気でいられるのはそのせいでしょうね。
 保険なし、証券なし、貯金なしなんて、はめられた話じゃないんですが。この歳で何かあったらどうするのっていうことですものね。これからの老後の資金を、年金から捻出しなきやと思っているんですよ。でもあいかわらず、必要なものを分割で買っていますから、毎月何かしらの支払いがあって。もうすぐ、60回払いのテレビの支払いが終わるので、次はお父さんの冬用の下着を買おうと思って予定をたでているところなんですよ。ひとつの支払いが終わると、また、次の買い物をするので、支払いは延々と続いていくわけですけども。
コメント
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