確か、生まれて初めてだと思いますが、他医療機関への紹介状を書いて貰いました。
竹細工でひご作りしているとき、長~~いシバリが腿に刺さり、抜いたのですが先っちょが残ってしまいました。
残った部分が膨れていたのでカッターで皮を切ってもらい、毛抜きで抜く作業をしてもらったけど抜けてなくて、、、その日に医者に行ったら、「傷口を切り刻むようになる、残っていたら膿んでくるからすぐ取れる」と。
今日、一月ぶりに行ったのですが、簡単に取れないと紹介状事に(^^;;
受付で治療費を払い紹介状を受け取ったのですが、、、
そこに見慣れない日本語“御侍史”と○○先生の後に書かれています??? 聞くは一時の恥と聞いてみると、“ごじし”と読むと教えていただきました。
業界用語ですか?と聞くと、受付の女性がそうですと(@@
先生と業界用語
これで思い出したのが“先生”、やはり業界用語だろうなあ、政治の世界での“先生”って、普通は教え導く人という意識で使われていますが、全く違う、のかな?
また、普通は先生って尊敬の念を込めて呼ぶけど、政治家って違うよね。
尊敬の念を持てる高潔な政治家も勿論いるけど、、、住民が自分たちの代表として選良したはずなのに、“自分は偉い”と思っていると見受けられる議員が多いこと、そして、“先生”と呼ばれるとその意識が増すんじゃないかな?
その尊大なこと、自分は?と思いながら、あれは恥ずかしいなあ、、、
自分が偉いと思ったときは辞めるとき、と思っていたけど、知らず知らずのうちに、選ばれたのだから、先生と呼んでくれるから、自分は偉いと錯覚してしまい、そんな行動をとっていた自分を自覚した時の恥ずかしさと権力の怖さ。
僕が夢想する社会は、偉いと崇められたい人たちがいない社会。
分権が究極まで進み、小さなコミュニティで全てが収束するような時代を夢想していますが、そういう形に収束していかないと22世紀に人類は生き残れるのか?と。
収奪の経済社会から共生の社会へ舵を切る、そんな真っただ中にいたいものだと。
最後に、我が国の伝統、形骸ではなく少し違う形で継承発展させたいものです。