見習い百姓のつぶやき

宮仕えも一段落、半農半Ⅹを本格化。農的暮らしとさまざまなⅩを悩んで、楽しんで一歩づつ。

雲さんと自然の計らいに感謝

2017-11-05 18:17:40 | 自然農業

 午前中は肌寒かったものの、雲一つない秋空が続いた一日でしたね。
 昨日は満月でしたが、生憎の雨。
 今日の満月は眺められそうにないと早々に寝床に行き、それでもとカーテンを開けるとまんまるお月様が煌々と輝いているではありませんか。


 慌ててカメラを準備して、雲間から見え隠れするお月様にレンズを向けました。
 あまり良い出来ではありませんでしたが(いつも?)、写真に収めました。

 空模様も悪く、諦めていましたが、ちゃんと顔を見せてくれて、ちょっぴり感激。
 何十回、何百回と月は眺めていますが、見るたびに心が癒されます。
 お月様、そして雲さん、そしてそして自然の計らいに感謝。

何事にもムダはない
 昨日、時折降る雨の中を残った玉ねぎ苗を植え付け、ルッコラの間引きを始めたものの、強い雨が降ってきたので作業は中止。
 ただ、何事も無駄はないですね。
 (そうそう、カタカムナから読み解くムダの話、面白いのですので、別の機会に紹介したいなあ。)
 何だ!こういう土の畑の玉ねぎ苗の植え付けは、雨後か、たっぷり冠水してからが作業効率が良くて仕事もキレイにできるとガッテンヽ(^o^)丿

 今日はその続きをやったり、エンドウ豆の種まき、ミニトマトと支柱の片付け。
 今宮の畑に移動して、大豆の収穫のつもりを変更して小豆の収穫作業とニンジンや食用ほうずきの収穫作業など。
 百姓仕事って、終わりが見えませんが、楽しくてついつい根を詰めてしまいます。

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松ぼっくり酒、蔵出ししてみました

2017-11-04 13:00:57 | 日記

 希少酒ですヽ(^o^)丿
 恐らく、松江でもこれを呑んだことのある人は一桁、あるやなしや。

 昨夜、思い立って出して見ると、う~ん、なかなかの琥珀色になっているではありませんか。
 そこで、ちょいと味見、ということで、カンロ杓子に一杯ちょっと。
 ストレートと水割りで味わってみました。

 う~ん、もともとの焼酎が良いものですから、それなりに美味しい。
 僕的にはですが、松葉サイダーよりも良い。
 と言っても、アルコールですから、評価は差し引くべきかもしれませんね~(*^^*)

 正直なところ、どう評価していいのか???
 氷砂糖もほんの少し入れたので余計に。
 なければない方が良かった、入れるならもうチョイが良かった、そんな感じでしょうか。

 ただ、エネルギーが高く、薬効のある松ですから、身体にはいい筈です。
 それに取ったところが取ったところですから、絶対にいい筈です。
 さっき確認したら、まだ2ヵ月チョイですから、もう少し寝かせることにします。
 さて、どんな仕上がりになるのやら、、、

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おなじ釜の飯懇談会

2017-11-03 20:40:56 | 持続可能な医療・福祉

 午後から出雲で玉ねぎ苗を受け取ったら、肝心な話も素っ飛んでしまって(^^;; 松江に帰って受け取った苗の植え付け。
 母に頼まれた100本も自分が引き受けることになり、3/2ほど植え付けたら薄明の頃。
 もうここらが限界?と思って空を見上げると、空が燃えていて、思わずカメラを手に空の開けているところまで走りました。
 走った甲斐があり、陽の光と茜色に染まる妖艶な雲とのページェントに見とれました。


 その前、玉ねぎ苗植え付けの合間の畑のお茶タイム、刻々と姿を変えるイワシ雲?鱗雲?の様子に見とれていました。
 その周辺では、おっ、あれはリュウグウノツカイじゃんとか、あの雲は竜骨ですなとか。


 あっ、夕焼の様子を写し終わって東の方角を見ると、まんまると思えるお月様が煌々と。
 明日は満月!
 満月のその日、どんな物語が始まるんでしょうね。


オルタナ打合せ会~同じ釜の飯懇談会を開催します! 
 そんな今日の午前中は、出雲でオルタナティブ協議会の打合せ会。
 来年1月21日(日)10時から、しっかり時間をかけて学ぶ予定の、松江市で開催する「向精神薬のデドックス方法」や、12月か1月末に出雲で開催する予定の、減断薬体験者や意識のある当事者・家族の懇談会について、意見交換や詰めを行いました。


 出雲での懇談会の話は、行きつ戻りつで決定には至りませんでしたが、打合せ会を兼ねて12月3日(日)、11時より出雲市内のコミュニティセンターで食事作りや食事懇談を兼ねて“同じ釜の飯懇談会”をしようとの話に。
 人数限定ですが、ランチ代程度の参加費で門戸を広げて開催予定です。
 興味のある方は、自然栽培の食材で作ったリーズナブル&極旨ランチを一緒に食べる、そんな軽いノリでお越しください。
 詳細は改めてヽ(^o^)丿

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“~宇宙の響き~カタカムナ” コンサート

2017-11-01 20:37:05 | 日記

 自然の空気感は、まさに“天高く馬肥ゆる秋”ですね~
 ただ、馬肥ゆる秋のもともとの故事はそんなに悠長なものではなく、夏草をたくさん食べた匈奴の馬たちが攻め込んでくるぞ!という警告メッセージなんだそうです。
 それはどうでもよくて、澄んだ秋晴れの空に不思議雲が浮かぶ、そんなイメージですね。


 さて、今日は、カタカムナ研究家・芳賀俊一&シンセサイザー奏者・キム・シンによる“~宇宙の響き~カタカムナ”コンサートのご案内です。

 平和で安定しているかのように見える現代社会は、非常に脆弱で様々な問題をはらみ、危機に瀕しているのではないかと思いますが、自然とともに暮らしていた上古代の人たちは、奥深い知恵を持ち平和に暮らしていました。
 今、そんな上古代の人たちの生き方に学び、改めて私たちの社会を見直す時に来ているのではないか、そんなメッセージを受け取れるコンサートではないかと思います。
 私たちの暮らしぶりを考えてみる機会にしてみませんか。

 カタカムナ、それ何?と思っていらっしゃる方が大半だと思いますので、芳賀俊一氏監修の「カタカムナへの道しるべ」の“はじめに”にとても分かりやすく書かれていましたので、ブログの最後に転載しておきます。

◇◆◇◆ “~宇宙の響き~カタカムナ”コンサート ◇◆◇◆

 カタカムナ研究の第一人者である芳賀俊一氏と、作曲家でありシンセサイザー奏者であるキム・シン氏が織り成す、心と身体に調和する奇跡の響き。
 わかりやすいカタカムナ解説と、そのハーモニーをぜひ体験してみてください!!
 前日にはオプショナルツアーとして、出雲探検ツアーもあります。

 ◇日 時: 2017年11月12日(日) 13:00 開場 13:30 開演
 ◇場 所: 松江城 興雲閣
 ◇参加費: 前売り 3,000円 、 当日 3,500円
 ◇お申込: かならずメールでご連絡ください。
   haruko_kin124★yahoo.co.jp(★を@に代えて送信ください)

【オプショナルツアー】 出雲探検ツアー
 出雲大社のエネルギーの源流に案内していただきます。
 ◇集 合: 11月11日(土) 12:30 松江駅/13:00 出雲空港
 ◇会 費: 10,000円予定 (ツアー、夕食・宿泊費)+レンタカー代割り勘


カタカムナとは(「カタカムナへの道しるべ」の“はじめに”より)
 カタカムナは、今から一万二千年から一万三千年ほど前、縄文時代あるいはそれ以前の上古代と呼ばれる時代にあったとされる文明です。カタカムナの時代の人々が使った文字は図形文字で、カタカムナ文字といいます。そして、彼らの言葉が、現在の私たちの日本語のもとになりました。
 ものを数えるとき、1、2、3……と数えますが、ひとつ、ふたつ、みっつ・・・とも数えます。この、「ひとつ」から始まる数え方は、カタカムナ人の言葉が今もそのまま使われていることをあらわしています。
 縄文の時代から言葉はもちろん、文字もあったことになりますから、教科書に書かれている歴史とは違ってきます。
 さらに驚くべきことは、カタカムナ文明は単に日本の古代文明というだけではなく、現代人が思いもよらぬほどに高度な文明であり、カタカムナが示す物理(潜象物理と言います)は、現代物理学を凌駕し、カタカムナのサトリは現在の宗教、哲学の根幹を成す普遍性をもっていることです。
 縄文時代やそれ以前に、現代よりも進んだ文明があったという説は、荒唐無稽もしくは非科学的と断ぜられることがほとんどです。しかし、それは私たちの受けた教育による思い込みのためとは言えないでしょうか。
 例えば、ギザのピラミッドや南米マチユピチユの空中都市、ナスカの地上絵などは、未だにその建築方法等が解明されず謎のままです。これらの遺跡を見て、私たちが暮らしている今よりもはるかに高度な文明が過去にあったかもしれない、という視点を持つことは、むしろ科学的と言えるのではないでしょうか。カタカムナを学んでいくと、その疑問がやがて確信へと変わっていくことでしょう。と同時に、平和で安定しているかのように見える現代社会が非常に脆弱で様々な問題をはらみ、危機に瀕していることや、その理由に気付いていくこととなるでしょう。
 カタカムナの時代、人々は群れで暮らし、互いに補い合い、協力して、共に生きていました。長(おさ)はいましたが、ひとりの長が治めるのではなく、知識と経験を積んだ者たちがひとつにまとまって、それぞれの役割を果たし、仲間で長となり、若者や幼子を導いていました。このようなカタカムナの使い手になった人たちを「アシアトウアン」と呼びます。得たものは惜しみなく後世にも伝え、私利私欲にはしることなく、仲良く暮らしていました。
 長い歴史の中でカタカムナは表舞台から消え、図形の文字も姿を消しました。しかしながら言語として言葉はそのまま残り、変遷を重ね現在の日本語に至っています。
 カタカムナは、日本語の音で綴られた八十首のカタカムナ ウタヒとして残され、楢崎皐月によってウタヒ八十首の読みつけや解読が進められました。
・・・(後略)・・・
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