肉体がわたしか わたしは肉体か もしもそうなら「わたし」がいない 薬王華蔵
肉体を蔑視するのではない。肉体なしのわたしはあり得ない。そういう存在は不可能である。ではわたしは肉体なのか。肉体がわたしのすべてなのか。すべてではあるまい。わたしは肉体に所有されているが、支配されてはいないはずだ。わたしは肉体に隷属してはいない。わたしがわたしの王者である。わたしが肉体をリードしているはずである。
だが実態はいつも肉体にリードされている。肉体が性の欲望へ走るとわたしはたちまち泡になる。肉体が腹を空かす。肉体が睡魔に襲われる。肉体の充足がわたしの充足に置き換わる。肉体が病めばわたしが病んでいる。肉体が老いるとわたしが老いている。肉体が死滅するとわたしが死滅している。
とすればわたしは彼の意のままだということになる。なすがままさされるがままということになる。だったら、やはり生きているのは肉体なのか。わたしはそこにいないのか。わたしと肉体は重なり合っていたのではなかったか。いつから肉体がわたしの権限を握ってしまうようになったのか。肉体は物質である。物質に拠らなければ、わたしはここ、物質界を生きることは出来なかった。
だから、彼の援助を仰いだのだった。それがいつの間にか主客転倒してわたしのすべては肉体のすべてと変わり果ててしまうようになった。わたしは主権の回復を主張する。肉体の欲望のなすがままにわたしが翻弄されることは慎むべきだ。なぜなら、わたしは非物質界を本拠地としている存在なのだから。わたしはここ物質界に出張をしてきてここでここでしかできない勉学に励んでいるが、物質界の流儀に埋没してしまう必要はさらさらないのだ。わたしがわたしの生き死にの実権を握っているべきなのだ。
わたしはここで何を学び得たのだろう。ここで進化と向上を果たし得ただろうか。ここ物質界において、物質である肉体の支配に支配されているのは仕方がないとして、そこからその向こうを見詰めていたはずである。その初めにおいて、真実界を見据えていたはずである。自己究明を目指していたはずである。それを忘れてはいけない。そう自戒する。彼はあくまでセーリングヨットである。海に漂うわたしを拾い上げて真実界の彼岸へ渡らせようとするセーリングヨットのはずである。
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蝉が鳴いている。もうワシワシ蝉が鳴いている。台風5号が九州へ接近しようとしている。そよろそよろと風が吹き始めた。でもまあ、今のところは静寂である。わたしは、時折でいいから「目覚めたわたし」に戻って来たいと思う。