<おでいげ>においでおいで

たのしくおしゃべり。そう、おしゃべりは楽しいよ。

母に白粉が匂う日があった

2017年08月01日 16時16分04秒 | Weblog

薄闇の夕顔やさし 白粉の母とふ人のやさしかりにき      薬王華蔵

夕顔が匂う頃となった。八月になった。夕顔は日が翳ったころに大輪を開く。近づくとやさしい芳香が立ちこめている。わたしの母は日に焼けていた。汗臭かった。山肌を開いた開墾地に出て、来る日も来る日も農作業に精を出していたからだ。家は農家ではない。田圃はなかった。だからお米などは作れなかった。父の給料だけに依存していた。それでその助けになればというので、蜜柑や薩摩芋、苺などを栽培していた。家に帰り着くのは大概夕闇が迫る頃だった。苦労人だった。わたしたち子供は3人。教育費を工面するのが大変だっただろうと思う。しかし、一年に何度か白粉を塗って何かの用向きがあって街に出ることがあった。その時には母に白粉が匂った。白粉の母は言葉遣いも上品で、われわれ子供にもいつもよりやさしいように思われた。

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祝福を受けていると感じられる時がある

2017年08月01日 14時27分59秒 | Weblog

新婚のふたりあかるし駅に飛ぶアキアカネをも飽かざるごとし           薬王華蔵

新婚さんが明るいのは当たり前のことだろう。でもそれを見ている周囲はそれが嬉しいのである。世の中に仲がいいことほど微笑ましいはあるまい。彼らは特急電車に乗っている。とある駅に着いたが下りる気配はない。もう少し遠いところへ行くのだろう。今夜は何処の温泉地へ行くのだろう。二人とも上等の服を来ているので、それとなくそれらしい。窓の外にアキアカネが群れて飛んでいた。二人はそれがそこに飛んでいることが自分たちへの祝福とも受け取れてているのだろうか。それを話題にしながら飽きずに眺めている。これは目の前の風景をスケッチした短歌である。人生のある時期にはそんな風に回りの全てが自分たちを何となく祝福しているように思えるときがあるものだ。

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海と山と空の新しい風景の8月、今日から

2017年08月01日 06時04分34秒 | Weblog

今日から8月だーい。ワーイ\(^o^)/わーいわーい。えっ、どうして? 月が変わったら、わたしも新しくなったような気がして。ふーん。72才は72才のままなんだけどなあ。真緑の新芽脇芽が体と心のあちこちからニョキニョキ伸びて来たって感じかなあ。気分屋さんだからね。いいんじゃない。嬉しいなら嬉しがればいいんじゃない。なんかいいことが待っていそう。ひょっとしたらシンドバッドの宝島へ着陸するのかな。マリリンモンローがウインクをして来るのかな。それともいい詩が書けたりするのかな。だったら躍り上がってワアーイってことになりそう。今日から8月。海と山と空の新しい風景の8月。もうすぐしたら孫たちもやって来る。何処へ連れて行ってあげようか。イルカ🐬ショーをやっている水族館かなあ。

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