5
死は人がすることではない。仏さまの管轄である。宇宙法・ダンマの管轄である。人は死なない。人は自力では死を扱えない。死なされるだけである。仏に依って死が完遂される。それに南無する。それに帰命する。託生する。すると新しい自分に変身して行くのである。それを仏陀の国に進んで自覚するのである。良い方へ良い方へと進んで来たことを知るのである。それまでは不安である。途中を恐がるしかないのである。
6
死にそうな人に恐がらなくともいいと言う。これで仏教のすべてかもしれない。人はいつも死に直面して、死にそうなのだ。一刻一刻死にそうなのだ。でも。「恐がらなくてもいい」と言い聞かせて上げる。彼は右手右足に死をぶらさげながら、残りの左手左足で生を見届けて行く。人生を完了する。死を以て生が完了するのだ。あがなわれるのだ。補償されるのだ。続きは仏陀に委任されるのだ。にんげんとしての一生涯では終わってはいないことを次にステップで知ることになるのだ。
(ここまで考えて来た。十分言いきってはいない。ストーリーの続きは残されている。ここまではあくまでさぶろうの自己推論である)