では、おはようさん。その「では」ってなあに? 「うん」 さぶろうは、一つ頷いてから、「えへん」と咳払いした。寝坊をしてもう7時だ。6時半のラジオ体操をサボってしまったことになる。だから、照れ隠しだ、「では」というのは。
「なあに?」と尋ねたのは茶の間の裸電球の真上の、天井横木の燕だった。窓という窓は全部開けっ放しになっている。網戸すらない。だから、早起きの親燕は夫婦代わる代わるもう何度も虫取りに往復を繰り返している。ひっそりしている雛たちがときどき急に騒がしくなる。その時は餌が貰えるときだ。
玄関だって開いている。みな一つの大きな部屋に集まって寝ている。大きな蚊帳が吊ってある。父親が一番奥の布団。それから長男のさぶろう。その隣に弟。布団は隙間なく列べられている。弟から西の方には女性たち。母親、姉、そしてお婆ちゃんが続く。まあ、言ってみればごた寝だ。
スモールランプが付いているから、四方から虫が集まってくる。オニヤンマも蝉もカブトムシもイトキリ虫もやって来る。朝方になるとこれが蚊帳の網目に足を取られて藻掻いていることになる。泥棒なら何処からだって入って来られるが、入って来た試しはない。いかにも、しかし、無防備だ、田舎という処は。
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これはさぶろうの小さい頃のお話である。いまは田舎でも施錠してやすむ。いまではこんな蚊帳の中の暮らしは考えられない。家中のガラス窓がぴったり閉められていてキリギリスが入って来る隙間さえない。蒸し暑いので冷房が欠かせなくなった。ご苦労さんなことだ。で、朝になると寝汗をかいている。夜風の冷気すら受け付けないのだから。
では、おはようさん。当時は燕も立派な家族の一員だったのである。一員だから、団欒にも参加をしてきたのである。もちろん燕の方が早寝だけど。鳥の糞対策もしてあった。巣箱の下に長方形の段ボールが吊されておりこれが糞の受け皿になっていた。(こどもたちの夜の日課が一つあった。それは毎晩父が寝付くまで両手で足や腰を揉まされるのである。そのせいでさぶろうの握力は人一倍強くなった)
・・・ところがそれはもう昔話になってしまった。玄関も茶の間も台所の裏の入り口も、どこだってシャットアウトされているからだ。燕が寄りつくこともなくなった。もちろん、朝燕におはようの挨拶をかけることも、照れ隠しの聞き役になってくれることもなくなったのである。