<おでいげ>においでおいで

たのしくおしゃべり。そう、おしゃべりは楽しいよ。

いまから寝たら朝まで10時間もあるぞ

2017年08月07日 19時39分46秒 | Weblog

夕食もすんだ。歯磨きもすんだ。シャワーもすんだ。なんだ、まだ8時前じゃないか。お蒲団も延べた。夜着に着替えた。起きていなければならないという理由付けもない。ごろんとなる。いまから寝たら朝まで10時間もあるぞ。長いぞ。何度も目が覚めるはず。眠られずにぽかんとなるはず。どうしよう。その時はその時だ。

夕方から現代小説を読み出した。妻が読み終わった本である。一時間ほどしたら、飽いてしまった。僕には面白くない。そんなことどうだっていいじゃないかと思ってしまう。吉川英治文化賞受賞作品だから、値打ちがある作品に違いないが、僕には面白くない。それで読み捨ててしまった。僕は努力をしない。粘りけがない。

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お昼寝タイム到来かなあ 目蓋が寄り添っている

2017年08月07日 13時55分42秒 | Weblog

だんだん上の目蓋が下の目蓋に寄り添って来たぞ。上下二人は仲がいい。お昼寝タイム到来かなあ。

外は日射しが強そうだ。人様は汗して働いておられるというのに、さぶろうはこの態(ざま)である。実にぶざまだ。

(人様だけではないぞ、揚羽蝶が日射しの中を飛び回っているぞ。元気いっぱいだなあ)

トマトがたった一日で熟れて赤くなった。2mの高さのトマトにまだ6個の実がついている。赤ん坊の握り拳大のが。外はやっぱり暑いんだなあ。5月、6月、7月、そしていまはもう8月7日。トマトの収穫期は長い。

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毘盧遮那仏と今日は二人だけの春の山

2017年08月07日 13時31分08秒 | Weblog

毘盧遮那とけふはふたりぞ春山に あとは霞の隠しおわんぬ      薬王華蔵

毘盧遮那仏(びるしゃなぶつ)とは梵語Vairocana・バイローチャナの音訳語。「輝き渡るもの」の意。「光明遍照」の意訳がある。宇宙全体を遍く照らす光明という意味であるから、宇宙仏である。宇宙そのものかも知れない。華厳経などの教主。密教ではこれを大日如来としている。毘盧遮那経とは大日経の別名。「盧舎那仏」とも言う。

わたしは山に居る。春の山に居る。畑がそこにあって終日此処で田を耕している。日がうららかに照っている。霞が立っているので、眼下の視界が閉ざされている。それでわたしは今日は毘盧遮那仏と二人だけになった、というのである。終日二人でいられることを自慢しているのかも知れない。二人はそこでどんな会話を交わして遊んだであろう。

法華経に「唯仏与仏」の語がある。「与」は「and」に同じ。この世界は仏さまと仏さまの世界であるから、仏でなければ仏の心は推し量れない、とされているのだ。(だったら、方法は一つ、わたしが仏に成ったらいいのだ! 即身成仏したらいいのだ!)

今日の春の山には「唯仏与我=仏さまとわたしの二人だけの世界」の舞台が整っている。とすれば、いかにもいかにも嬉しいはずである。霞が周囲を閉ざしているのでなおさら、二人だけの色彩が濃厚になったのである。

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地球上とは「またけき」ところ

2017年08月07日 12時57分17秒 | Weblog

1株が20に増ゆる小葱あり 地球上とはまたけきところ                 薬王華蔵

たったそれだけで、そんな結論が導き出せるのか。秋に植え込んだ小葱の種の1株が、春を待って20株に増殖したくらいで。これは一人の親が20人の子供を生んで増やしたに等しい。しかも単独で。恋もせずセックスもせず。そして最後に20人の家族を作ったとは! それでその小葱の延長線に結論を導き出している。「地球上とはまたけきところ」である、と。健康健全であって完全なところだと。

峯の色渓の響きもみなながら我が釈迦牟尼の声と姿と

道元禅師にこの歌があった。峯の色、峯のたたずまいはそのままで釈迦牟尼のお姿である。谿の響きは釈迦牟尼世尊の説法のお声である。在りし日の仏陀を見ることはできないが、しかし、禅師は見ているのである。見る者の目には見えているのである。峯の色、谿の響きを通して見えているのである。

仏の意思を見ることはできるかもしれない。この世の摂理、法を見ることはできるかもしれない。この世の具象にそれを感得することはできるかもしれない。

神を見なかったという人もいるけれど、神を見たという人もある。「空も海も山も岩も木も草も、悉く仏性有り」 仏教ではそう見ている。そこに仏の心、智慧と慈悲があるのだと。

畑に育った小葱に、神仏の意思を覗き見ることができたのならそれは幸せ者に違いない。

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「わたし第一主義」からの解放されることは難しい

2017年08月07日 11時37分32秒 | Weblog

若(も)し衆生有りて、淫欲(いんにょく)多からんに、常に観世音菩薩を念じて恭敬(くぎょう)せば、便(すなわ)ち欲を離るることを得べし。若し瞋恚(しんに)多からんに、常に観世音菩薩を念じ恭敬せば、便ち瞋を離るることを得べし。若し愚痴多からんに、常に観世音菩薩を念じ恭敬せば、便ち痴を離るることを得べし。無尽意(菩薩)よ、観世音菩薩はかくの如き大威神力有って、饒益(にょうやく)するところ多し。    法華経「観世音菩薩普門品第二五」より

(これはさぶろうの解釈である。正確さに欠けている。読者は読者一流の解釈を施して下さい)

淫欲が起こって制止できないときには、観世音菩薩を念じよ。そうすればそこはたちまち観世音菩薩の住居となって、己の欲への我執を断ち切ることができよう。若し瞋恚(怒り憎しみ恨み)が立ち上がって来て制止できない時にも、観世音菩薩を念じよ、そうすればそこはたちまち観世音菩薩の住居となって、己の憎悪心という我執を断ち切ることができよう。若し、愚痴暗鈍無明の迷いが生じて来て制止出来ないときには、観世音菩薩を念じよ、そうすればあなたの胸はたちまち観世音菩薩の住居となって、己への侮蔑という我執を断ち切ることができよう。無尽意菩薩(仏陀の説法を聞いている人の代表格の一人)よ、観世音菩薩はこのようにしてあなたから我執を取り除くために、大威神力を実行されるのである。それがあなたに豊かな利益を与えることになるのである。

饒益(にょうやく)=豊かな利益を与えること。

わたしはアメリカの大統領トランプさんのスローガンに次の点で一部一致している。トランプさんはアメリカ第一主義を詠って当選された。わたしは「わたし第一主義」を旗印にして暮らしている。これがわたしの淫欲を生む。瞋恚を生む。愚痴迷妄を生む。淫欲と瞋恚と愚痴はわたしの三毒である。でも、毒とは思っていない。だからこれを立てて、王の如く奉って、絶対服従する。これがわたしへの執着である。妄執である。

わたしを絶対としているものは観世音菩薩を念じることが出来ない。わたしに絶対の力があると信じている者は観世音菩薩を念じることが出来ない。わたしよりも低く見積もってしまうからである。それを逆転するのは甚だ難しい。

我執はわたしを絶対としている者の業である。我執に引き摺られて行くしかない。欲望をほしいままにする。怒る嫉む恨む憎悪する。苦しむ。嘆く。暗澹とする。そして行く先々で自己侮蔑の穴にも落ちる。迷う。ふらつく。中心軸から逸脱することになる。

観世音菩薩を念じることは至難の業である。よって仏陀は観世音菩薩普門品の説法をなさった。法華経の経典が誕生した。

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海のないこの山里は空が海

2017年08月07日 11時20分24秒 | Weblog

海のないこの山里は空が海 雲のさざ波寄せて日が落つ     薬王華蔵

風景がそこに浮かび上がったら名歌だと思う。そして歌が描いた風景から風情のハンカチが振られていると、わたしたちはそこに同化して、しばし足を止めることができる。だったら説明は要らないはず。黙っていて、口元にたまったさみしさを拭うことも出来るはず。

雲は波に見えないこともない。空も海も青いのだから。老爺は雲のさざ波を終日見て一日を終わる。そんな暮らしをしている。こうすれば遠く海まで出ていかなくとも済んでいる。鱗雲だとか鯖雲だとか鰯雲だとか、海を連想させる雲が空に浮かんでいる。

歌は飴玉かも知れない。長時間融けるまで舌の上に載せておく。するとそこに滋養も湧き出てくる。

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自動車も飛行機も要らなくなる発明

2017年08月07日 10時43分32秒 | Weblog

七つ目の信号青に変わったら翼生まれむ夏雲へ行く     薬王華蔵

天使の翼はやはり天使にしか活用できないか。これだけ科学技術が格段の進歩向上をしてきたというのに。未だにそれはフェアリーテールの領域なのか。お伽噺の子供騙しでなくともいいのではないか。スマホの発明の次はこの背中の天使の翼の発明工夫じゃないのかなあ。これを誰もが利用できる時が来そうな気がする。これを背中に生やすと便利だ。夏は夏雲まで上昇ができるようになる。自動車も飛行機も要らなくなる。何処へでも好きなところへ飛んで行ける。信号がこの先七つ続いている。七つ目の信号が青に変わったら、僕はこれを実行に移す。僕の背中には翼が生えて来る。僕は天使になる。そろそろ空想を飛び出して来てもいいじゃないかなあ。天使になるのはいいことなんだし。翼が生えたら、一人で寂しい人の処へ行って「こんにちは」もできるし。

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我等が宇宙は智慧の宇宙である

2017年08月07日 10時25分06秒 | Weblog

あきらかな智慧の宇宙よ ひんがしに日の昇りゐて海より太し      薬王華蔵

元気を己の胸に吸入せんと試みたくなった、そういうときの歌である、これは。宇宙を智慧の宇宙と見立てたのである。しかもしれが明らかになったという設定である。証拠があるか。(こんな言葉を遣うと検察官の訊問のようですなあ) それがあるんであります。己は躊躇わずそう答える。東の空に日が昇ってきた。これを証拠として突き出した。なんとなんとその朝日が、大陽が、海よりも太かったのでありました。こうまでしても宇宙に智慧が行き渡っているという事実に合点が行きませぬか、あなたは? 「あきらかな智慧の宇宙よ」と上の句で大上段に刀を振り翳している老爺がいる。行く末短くなった彼はそういう結論、胸がじんとあたたまる結論、心配や不安を吹き飛ばす結論を急ぎたくなったのだろう、きっと。智慧の宇宙は同時に慈悲の宇宙でもある。そこに住む者に智慧と慈悲を注入するために存在している。

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種が見つかりませぬので

2017年08月07日 10時09分52秒 | Weblog

どうもいただけませぬな。短歌ばかりの話になって。ブログの種が見つからぬのでございまする。なにしろ知識に乏しい老爺なので。困ったものでございます。勉強をしたらいいのですが、いたしませぬ。停滞が己の性分に合っているのでしょう。それでこれまでに書いたことのある短歌を引きだして来て、これに怪しい解釈を施しているばかり。眠気さましにもなりますまいて。お許しを。

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夏雲は智慧の卵を抱いている

2017年08月07日 09時57分22秒 | Weblog

チョウゲンボウ一点静止す 夏雲の智慧の卵の孵化さぐらんと       薬王華蔵

チョウゲンボウ(長元坊)はタカ目ハヤブサ科の鳥。鼠を主食とする。日本では本州で集団繁殖している。天然記念物になっているところもある。空の上でピタリと止まる術を心得ている。上空静止して獲物に狙いを定める。しかし、今日は野原の鼠は捕らない。夏雲が卵を抱いているので、それを見届ける仕事を請け負っている。夏雲の卵は、智慧の卵である。彼は哲学者なので次々にそれを孵化させて楽しんでいるのだ。もちろん卵が孵化したら、雲は長元坊にも新しい哲学大系を講義してくれるはずである。夏の終わりから秋口に懸けて、雲が湧くたびに、大空ではこういう心機一転のための新事態が起こる。

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