横着者がふむふむふむと言って頷(うなず)いている。頷こうとしている。横着者のわたしを頷かせようとする力が起きている。力の波が大きく小さくひたひたひたとこのわたしへわたしへと打ち寄せている。横着者のわたしが思わず感涙にむせぼうとしている。
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五濁(ごじょく)悪世(あくせ)の有情(うじょう)の 選択(せんじゃく)本願信ずれば 不可称不可説不可思議の 功徳(くどく)は行者の身に満てり 親鸞聖人の「和讃」より
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悪世の有情のわたしが、よも、阿弥陀仏の本願を信じ得ることなどありえないのである。しかも五濁にまみれているわたしである。阿弥陀仏の一人働きによるしかないのである。その働きは不可称である。不可説である。不可思議である。すべてわたしの計らいを超えているのである。それはもっぱらで、名づけることも出来ないし、説き明かすことも出来ないし、思い量ることもできないものである。そして阿弥陀仏の差し向けられる利益だけは我が身に満ちて来るのである。
わたしは五濁を生きる者である。わたしは悪世を生きる者である。それは少しも変わってはいない。
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五濁とは、1,劫濁=時代の汚れ 2,衆生濁=苦の濁り 3,煩悩濁=愛欲の濁り 4,命濁(みょうじょく)=寿命を蔑視する濁り 5,見濁(けんじょく)=思想見解の濁り とされる。五濁悪世とは末法の世のことである。仏の教えを無視する時代のことである。
有情とは梵語サットバアのことで、生存する者の謂。心の働きに左右される者=衆生に等しい。