さて、思い切って外へ出てみよう。畑を覗いて回ろう。風に吹かれながら。家の中ばかりは退屈だ。じゃ、まず着替えようか。それにしても、外はずいぶんと風が吹き荒れているなあ。寒いだろうなあ。冬の一月。寒いのは覚悟をしなきゃ何も出来ないよ。は~い。畑の野菜なんか寒さが押し寄せようとも、ムの字にして腕組みをして、じっと耐えているじゃないか。だよなあ。彼らの禅の修行は桁外れだ。
午前10時を回った。日は射して来ない。空は鈍い重たい色をしている。風がある。枯れた苦瓜の蔓が糸のようになってひらひらと、花桃の木の枝から宙を舞っている。畑のブロッコリーの大きな緑色の葉っぱにヒヨドリが来て啄んでいる。大挙して来る。彼らは食欲旺盛で、豊かな葉もたちまちのうちに網の目状になる。することがない僕はそれをぼんやり眺めている。追いやる気持ちも動いてこない。サイクリングに出て行く計画があったのだけれど、計画倒れにする。寒い。ジョウビタキもやってきたぞ。こちらは庭に下りている。尻尾を細やかにちっちっちっと振っている。詩は今日も紡げない。
水に月が映る。水の月は、空にあるときと同じくらいに美しい。空にもある。水の中にも在る。在るというのは、しかし、別々の有り様をしている。しかし、そこになければ、わたしの眼には見えて来ない。空の月も水の月も。
水の月を掬い上げようとしても、それはできない。掬っても掬ってもそこに在るだけである。減りもしない消えもしない。大きくも小さくもならない。
わたしのこころにも月が映っているだろうか。水の月と同じように。わたしのこころの中にゆたかな水が在ればそれは映るはず。美しく映るはず。丸く大きく黄金色をして。
では仏はどうだろうか。わたしのこころに仏は映っているだろうか。映っていてもわたしはそれを掬い取ることは出来ないだろう。そこに映しているだけだろう。
月のような丸い大きな黄金色の仏をわたしの中に映し出して、それでもう満ち足りていていいに違いない。水の中に映っている月を映し出している水のように。
7
なんだか愚痴っぽくなってしまいました。「小人閑居して不善を為す」の喩え通りです。淋しいというのは感情です。わたしの全体ではなく、わたしの感情が、淋しがっているのです。そこへ感情を向けないようにしていればいいのかもしれません。いつものようにバイオリンの名曲集を聴くことにします。
8
淋しい日暮らしを送るというのは、ただただわたしのこころの貧しさのせいかもしれません。人格者であればもっとあたたかくしておられるはずです。わたしの心得違いというところに起因しているのかも知れません。
5
それでは少し淋しくもあります。それも贅沢と戒めています。自戒します。それというのは、淋しさを埋めることです。老いたらいつも淋しいのが当たり前のはず。それ以上はみな贅沢なのかもしれません。
6
その代わり、何をしてもいいという自由がふんだんにあります。寝ててもいい、起きててもいい、家の中にいてもいい、外に出てもいい、帰ってこなくてもいい、いつ死んでもいい。いいこと尽くめです。
3
夫婦は元は赤の他人。助け合う他人同士が寄り添って暮らしているだけのことなんですけどね。いまもわたしたちは、修行僧尼僧のごとくにして暮らし、お互いの手に触れるというこすらありません。部屋も別々。台所で顔を合わせるぐらいです。
4
でも、朝昼晩の食事の世話をして貰えます。洗濯もして貰えます。掃除もして貰えます。できるだけぶつからないようにしています。相手の機嫌を損ねないように距離を十分にとって。無用の諍いを起こさないように努めて。高齢者ですから、意外とみなさんそうなのかもしれませんね。いや、中には、僅かな距離も置かず、とっても仲睦まじくしておられるところもありますけどね。
1
おはようございます。もう、しかし、遅いですよね。9時を回りました。さっき起き出して朝ご飯を食べました。鰹節をまぶした高菜の一夜漬けをご飯に載せて。ご飯は茶碗に半分ほど。白菜と茸の味噌汁も啜りました。
2
家族だからしてもらえんるんですよね、無料奉仕で。しかもそれをそれとも思わないで。レストランだったら、ご飯も味噌汁も値段表がついていてその代金を支払わなければならないところ。家内はわたしよりも早く起き出して台所に立ちます。それが当然のようにして。わたしもまた食べるのを当然のような顔をしながら。
今日は月曜日。週が改まっている。後残る三日で一月は終わる。さあどんな二月が待っているだろうか。ニコニコ顔をしてくれていますように。二月すぐに節分祭り。豆撒きの豆は神社参拝の時に買ってきている。どうして鬼は外の祭りになったのだろう。流行病を鬼に見立てたのだろうか。退治させられる赤鬼青鬼さんは、その役目を引き受けてくれた。だったら、報償ものではないか。豆をぶつけられてたんこぶを造るほどのヤワとは思えないが、診療所で擦り傷切り傷治しの軟膏でも塗って進ぜたいもの。
ところで、鬼さんの特徴はその角。尖った2本の角。左右の額から飛び出している。人間でも角を出すことがある。腹を立てたときだ。自制心を失った時だ。人に襲い掛かる時には角が生えてくる。そうしないようにという戒め役のキャラクターにも鬼さんが登場する。嫌われ役を買って出ている鬼さんさんは偉い。節分祭りが過ぎたら、甘酒を振る舞って癒してあげねばなるまいて。
しばらく眠れた。もうすぐ5時というところで目が覚めた。体内ダム湖が満水したからだ。夜明け方は冷える。たった廊下を少しだけ歩いただけなのに、足裏が冷たくなっている。裸足だからか。家の中では靴下を履かない主義。慌ててお布団の中に潜り込んだ。電気毛布にあたたまる。ベッドは、便利。でも寝癖が悪くて、布団類がずり落ちそうになる。夜中何度も引き摺り上げる。
麻痺の左脚は樫の木の棒になっている。筋肉がまるでない。おまけに血流が悪くて、冬場は鉄の棒になる。死人の足のよう。冷たい。摩ってやる。やさしく見下ろす我が手がやさしく摩っている。電気毛布は慈悲深い。温めに掛かってくれる。
目を閉じて眠ろうとするのだが眠れない。さあ、困った。眠られないのなら、灯りを点けて起きることにした。さてここからどうしよう、でも。
一人の部屋での寝起きである。どうしていたっていい。自由裁量である。強制はされない。起きていなければならないということもない。寝ていなければならないということもない。好きにすればいいのである。その好きが曲者なのだが。
取捨選択をして今は起きていることにする。目を開けている。ものを見るために目を開けているのではない。目が寝てくれないために起きているのである。司令塔の頭も起きている。開店している。店先にものを列べている。この真夜中に立ち寄る人はいない。しかもここは奥深い山里である。静寂が支配している。彼がここの支配者だ。
真夜中は冷え込む。出している腕と手指が寒い。仕方がない。明日のことでも考えてみるか。明日は何をしよう。何をして生きていようか。楽しむべきことはあるか。ないなら、あるようにすべきである。
明日こそ詩を紡ぎたい。一篇の詩を紡ぎたい。題材はあるか。長い年月を生きてきたのである。多くを見聞きしてきたはずである。材料が不足しているとは思えない。それを切って刻んで鍋に入れよう。グツグツ煮込んでみよう。いい味を出す茅の舎の出汁の元はあるか。そんなものは借りるな。あくまで自主創作しろ。
そうだ! サイクリングに出たらいいのだ。寒いなら手袋をして、マフラーを首に巻いて。ペダルを踏んで漕いで漕いで、城原川の川土手を南下しよう。するうちに汗を掻くはず。川土手にはそろそろ菜の花が咲き出して来る。