<おでいげ>においでおいで

たのしくおしゃべり。そう、おしゃべりは楽しいよ。

ハーモニカで日本の童謡のオンパレード

2018年12月14日 14時57分35秒 | Weblog

此処は筑後川沿いの吉井温泉筑水荘。温泉湯を浴びて来ました。あつ湯でした。口笛を吹いて一人を慰めました。だだっ広い湯も一人。部屋に来てもひとり。

ハーモニカを吹いています。日本の童謡のオンパレード。ときどき外国の。もう、30分は楽しんでいます。上手ではありません。なにしろ音符🎵が読めません。

2階の部屋はガラガラに空いています。客はおいでになりません。迷惑になることはないでしょう。部屋もピッタリ閉まっています。

外は陽射しが降り注いでいます。家にいたら、きっと畑に出ていたでしょう。温泉宿の一人は退屈します。買って来た蓬餅餡餅を一個食べました。お茶を飲み飲み。

部屋には電気炬燵がありません。air conditionerはついていますが、足先が寒いです。また温泉に入って温まることにしましょうかね。ほかにすることがありません。

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今夜は一人 吉井温泉筑水荘に泊まる

2018年12月14日 12時25分27秒 | Weblog

筑後川の堤防のすぐ下に吉井温泉、筑水荘がある。原鶴温泉と背中合わせ。此処へ来た。よく来る旅館だ。此処は、来た日と帰る日のお昼ご飯をサービスしてくれる。今日は、油揚煮素麺と昆布入り握り飯、と、里芋煮だった。どれもおいしかった。2階の、8畳の和室にひとり。暖房が効いている。でも、薄着にしたら寒い。下へ降りて行って、ゆっくり湯を浴びるか。湯舟が広い。此処の湯は泉質がいい。やや青みがかった土色。鉄分の匂いがする。あつ湯。湯から出たり入ったりして過ごす。客はいないようだ。夕方には賑わうだろう。今夜は此処に泊まる。一人は寂しいけど、仕方がない。寂しくなったら、泣こう。友人を誘ったけど都合がつかなかったらしい。来る途中、小蜜柑と蓬餅を買って来た。昼ご飯の後で、小蜜柑🍊を一個もう食べた。

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此処は俗悪の煩悩界であって、即、法の花開く涅槃界である ラスト

2018年12月14日 10時25分35秒 | Weblog

いいところに住んでいるんだなあ、われわれは。いいところで生きているんだなあ。

今日は朝からそんなことこんなことを考えた。暇だなあ。遊びに行きたいなあ。

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此処は俗悪の煩悩界であって、即、法の花開く涅槃界である その8

2018年12月14日 10時21分15秒 | Weblog

涅槃界が別の処にあるのではない。煩悩界がそのまま涅槃界である。

山頂から見下ろした下界は、見下ろさないときには俗悪の煩悩界に過ぎない。

だがそこが活動の拠点なのである。

向上の自己探求道場にも向下の利他救済実践道場にもなる。

 

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此処は俗悪の煩悩界であって、即、法の花開く涅槃界である その7

2018年12月14日 10時19分44秒 | Weblog

このブログ「おでいげにおいでおいで」の「おでいげ」である。「淤泥華」すなわちプンダリーカの白蓮華である。淤泥は俗悪だが、泥中に蓮の白い花を咲かせることができる。

 

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此処は俗悪の煩悩界であって、即、法の花開く涅槃界である その6

2018年12月14日 10時14分44秒 | Weblog

「法の花」というのは、妙法蓮華経の「妙法」の花であって、正法眼蔵の「正法」の花であって、その具象のダンマの働き、天地宇宙の働きそのものである。如来大悲の、「大悲」の花である。

 

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此処は俗悪の煩悩界であって、即、法の花開く涅槃界である その5

2018年12月14日 10時04分12秒 | Weblog

山上孤高を楽しとして、其処に留まって、ふうらりふらり遊んでいてはならないのだ。

 

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此処は俗悪の煩悩界であって、即、法の花開く涅槃界である その4

2018年12月14日 10時02分39秒 | Weblog

頂上から見下ろした下界は、俗悪の煩悩界であって即、法(ダンマ)の花開く涅槃界である。我等は「煩悩即涅槃」を生きていることを伝えて行かねばならない。

 

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此処は俗悪の煩悩界であって、即、法の花開く涅槃界である その3

2018年12月14日 10時00分46秒 | Weblog

向上道は自利の道である。向下道は利他の道である。衆の中に入る。そこで活動をする。実践をする。此処が目的である。向上道はそれまでの準備の道に過ぎない。

 

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此処は俗悪の煩悩界であって、即、法の花開く涅槃界である その2

2018年12月14日 09時58分58秒 | Weblog

山には道がある。上り道と下り道がある。上ってしまえば、次は下り道を下って行く。一つの道が上り道にも下り道にもなる。上るときには向上の道になる。上ってしまっておしまいではない。向上の山の、頂上を極めたら、次は向下の道である。一人を以て高しとしない。頂上から見た美しい眺め、真理俯瞰図を人々に語って行く。その仕事が待っている。

 

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