朝の即興詩 「風と遊ぶ」
風と遊ぶ/遊ぼうと声をかけて/風と遊ぶ/すると風は/袂(たもと)へ来て/ふくらんで/遊んでくれる/睫(まつげ)に乗って/耳へ入って/擽(くすぐ)って遊んでくれる/里は冬だ/寒い冬だ/外に出て/ひとり/いつまでも遊んではいられない/
朝の即興詩 「風と遊ぶ」
風と遊ぶ/遊ぼうと声をかけて/風と遊ぶ/すると風は/袂(たもと)へ来て/ふくらんで/遊んでくれる/睫(まつげ)に乗って/耳へ入って/擽(くすぐ)って遊んでくれる/里は冬だ/寒い冬だ/外に出て/ひとり/いつまでも遊んではいられない/
3
慰む努力をする。ひたすら、する。ハーモニカを口に当てて「里の秋」を奏でる。クレヨン水彩で、薄紫に咲いた花の、ホトケノザを描く。ベランダの冬の、日当たりに来て日と遊ぶ。阿弥陀経を読んで、浄土に遊ぼうとする。努力をする。それもむなしく終わる。日が落ちて来て一日が終わる。暗い夜になる。さみしい。やっぱりさみしい。
2
おまえ、おんなのひとでしか慰まないのか。それ以外では慰まないのか。やさしさをもらわずには生きられないか。沈黙の一人はなぐさまないのか。さみしさは慰まないのか。狭い男だ。料簡の狭い男だ。それほどに世界を小さくして生きている。花咲き鳥歌う世界をみじめにして、鬱屈する。
1
一人を慰めてくれるものはあるか。おまえの一人の、さみしさを慰めてくれるものがあるか。傍に来て慰めてくれる者がいるか。いない。いるのだが、いない。いないのといっしょだ。妻はさみしくなんかないらしい。外へ出てお喋りをしに行く。さみしい夫などにかまっている暇などないらしい。
やっぱり一人はさみしい枯れ草 種田山頭火
*
そうか、やっぱりさみしいか。山頭火もさみしいか。さみしくないような顔をして流離(さすら)っているように見えているが。枯れ草に寝ている。歩き続けてきて脹ら脛が痛んでいる。俳句は枯淡をよしとするはずなのに、山頭火の自由律俳句は、抒情だらけだ。さみしいさみしいさみしいが溢れている。やっと枯れ草へ来て枯淡と合流する。
苦労人の小林一茶にもこんな句があった。
大の字に寝て涼しさよ淋しさよ
*
さみしいか。オレもさみしいぞ。一人のときも二人のときも三人のときも、さみしい。それで一人でいることにした。
6
僕のペンネーム薬王華蔵は欲張りである/姓名の姓は法華経から/名は華厳経から/譲り受けている/勝手に譲り受けてもらっている/法華経も華厳経も/釈尊の/ご説法である/仏法を/聞いて聞いて聞く/広く広く聞いて行くという名だ/
5
毘盧遮那(びるしゃな)は/サンスクリット語の音訳/「輝き渡る」の意/「光明遍照」と漢訳されている/奈良東大寺の大仏様は/この毘盧遮那如来である/密教では/この如来は/大日如来と呼ばれている/輝き渡るのは太陽/太陽神崇拝に通じているのかも/
4
そして華蔵(けぞう)は/華蔵界/すなわち蓮華蔵世界/華厳経に説かれる毘盧遮那如来(びるしゃなにょらい)の/仏国土の名/これも勝手に/拝借させて貰った/蓮華蔵世界は/われらが住んでいるこの法宇宙のことである/この宇宙全体が/お浄土の蓮の/花瓣になって/香っている/
ロマンチックだ/
3
わたしには弟がいる/もう死んでしまった/仏道修行をする浄蔵・浄眼の兄弟に憧れた/生きていても死んでいても/われら兄弟は/仏道修行の/長い長い道を歩いているはずである/
2
元は妙荘厳王の息子の/浄蔵・浄眼の兄弟であり/二人は/父の王、母の王女とともに/日月浄明徳仏に仕えて/修行した/この時の名は一切衆生喜見菩薩だった/