内湯に入りました。酔いが回って寝てしまいました。とろとろとろろ。もちろん、湯舟の外です。あたたまっていい気持ちで、湯の外に出ています。誰もいません。寒くはありません。このまま寝てしまってはいけないという気持ちが働いて、立ち上がりました。次の人が入ってきました。
ホテルの広い食堂、レストランというべきかなあ、其処にはなんだかドラマが噴き上がって来て、匂う。匂う匂う。いや、それぞれがそれぞれの過去と現在との匂いを染めて、生きているんだよなあ。若いお母さんとお父さんの間の、やっと乳離れしたばかりの幼児。お母さんではなくてお父さんが、スプーンで少しずつプリンを食べさせている。幼児の嬉しそうな顔。その隣の席にも同じように三人。幼児が、此処では、少し大きい。一人で食事が出来ている。お母さんがお父さんよりも年嵩。その隣の席はウイールチェアに乗った白髪の老婆。同席しているのは中年の男性二人。どんな関係なんだろう。男性二人が老婆をいたわっている。話しぶりからすると、実子ではない。ないのにひどく面倒がいい。老婆が零したのをすばやく拾いに駆け付けて来る。隣の席は中年のカップル。夫婦の会話ではない。彼と彼女だ。目が浮いている。幼稚園児くらいの年齢の子どもたちが四人ゾロゾロ入ってきた。お父さんが先頭、お母さんが最後。子沢山だ。見取れているとお母さんがニコリと会釈した。
内湯に入ってきました。透明でした。長湯はしませんでしたが、温まりました。ポカポカしています。いい気持ちいい気持ち。これから夕食。夕食後にもう一度湯を浴びます。好きですねええ。
夕食の前にもう一度温泉へ。日が暮れてきたから、外にある露天風呂には行かず、内風呂に。温まって温まって、それから、生ビールを飲んだらおいしい。贅沢。内風呂は透明らしい。替えの下着を忘れてきてしまった。こういううっかりを、よくするようになった。さっきも、露天風呂に行って、使ったタオルを忘れてきてしまった。
何か書いてないと不安になります。書いたら解消されるわけではないのですが、しばらく忘れていられます。一種の逃げ場です、此処が。強迫観念細菌感染症かもしれませんね。
明礬温泉の露天風呂に入りました。薄いブルーの湯でした。ちょうどいいくらいの温度です。柚子が浮かべてありました。大きい柚子でした。手にすると手が微かに匂いました。
今日は冬至。夜がもっとも長くなっています。そうでなくてさえ、老人には夜が長いのです。睡眠が浅いのでしょう、何度も目覚めてしまいます。その度にトイレに行く義務を感じてしまいます。寒い夜には負担になります。
旅館の玄関先にはもう門松が飾ってあります。クリスマスも来ていません。いささか早過ぎるようにも感じます。残りが10日を切りました。たしかにお正月が近付いて来ています。
人間には足がある。しかも2本足。交互に上げ下げできる。これで歩ける走れる跳べる。よくできているもんだ。1本だとこうはいかなかっただろう。足下は前後に平たくなっていて、じっとして立っていられる。平たくなっていなかったらこうはいかなかっただろう。足首には踝があって、傾き度合いの調整が出来る。踝がなかったらこうはいかなかっただろう。足の真ん中ヘンには膝がある。これで曲がることが出来る。座ることもできる。膝がなかったらこうはいかなかっただろう。
そのどれもが、巧く巧くぴったりそこにあって活動を容易にしている。見ていると不思議な感動を誘われる。ぞろぞろと人が前を歩いて行く。どの人も足が動いている。左右、左右の交互に動いている。
今日から連休。外出した。別府湾が一望できるサービスエリア、此処は。食事して移動して、血の池地獄へやって来た。門のところで休憩。石の上に座る。観光客がぞろぞろいる。若いカップルがしきりに行き交う。空は曇り気味。気温は16℃。寒くはない。これから明礬温泉の宿に向かう。チェックインにはもう少し時間がある。どうしよう。ぶらりぶらりを続行する。
6
いっしんちょうらいまんとくえんまんしゃかにょらい
一心に頂礼す、万徳を円満された方、釈迦如来とその円満の万徳に。
わたしのすることは一心の頂礼である。ほかにない。なくなった。青空が広がっている。明るい。山嶺の上に白い雲が浮いている。わたしは釈迦如来とその円満の万徳に、静かに礼拝をする。
5
(これは4を経由している)
日が射して来た。青い空にそれが広がる。今朝は、バルーンが何機も飛んでいる。吉野ヶ里歴史公園から飛んで来たのだろう。見上げている間にまもなく飛び去って行った。山里は静かだ。風もない。小鳥も山から下りて来ていない。夜来の雨は上がった。光が書斎まで日脚を延ばす。光にあたたまる。この世の煩悩に絡まれているのは止(よ)す。止しにする。
4
(これは3の続きである)
一心頂礼す。ほかにわたしのすることはない。なくなった。こうしていよう。ここにこうしているだけでよくなった。わたしの労役することがなくなったのだ。こうしているだけでわたしの中にも万徳が溢れて来る。仏陀と仏陀の万徳がわたしに満ちて来る。仏陀の万徳とわたしに投影された万徳が交流する。行き交う。万徳の行き着くところは寂静である。涅槃のニルバーナである。