ある日、少女は、美しい仏様の国の様子を夢に見ました。そして、目が覚めました。クレヨン水彩画です、これも。
ある日、少女は、美しい仏様の国の様子を夢に見ました。そして、目が覚めました。クレヨン水彩画です、これも。
即興詩 「ヒメジオン」
わたしたちはヒメジオンです/
わたしたちはあなたをお迎えします/
城原川の川土手に/
白い小さな花をいっぱいいっぱい咲かせて/
あなたをお迎えします/
清廉な夏の朝が来ています/
川土手の小径の左右に/
わたしたちは列を作っています/
あなたはそこを通って行きます/
わたしたちは両側に立ってしきりに手を振ります/
あなたはちっとも気付いてくれません/
風が渡るときと同じようにして/
通り過ぎて行きます/
通り過ぎて行くあなたの後ろ姿を/
わたしたちは見送ります/
わたしたちはあなたが誰であるのか知っているのです/
何度も何度も出遭っているのです/
わたしたちはあなたが好きになっているのです/
今朝のわたしの即興詩 「微分積分の楽しみ」
ふふ、ふ。
花って、草冠に化けるって書いてあるんだ。
赤い花も白い花も
あれはみんな化け物なんだ。
やはりそうだったのか。
すべては化ける。
そうでないと新しくなれない。
化は変化だから刻々刻々変化していく。
身を変えて心を化合させて新しくなる。
えへっ。
わたしだって化け物なんだ、りっぱな。
得体は知れない。
いつもいつもただただ変化の海を、
ぷかりぷかり辿っているからね。
いはまその変化の途中の可変物体。
いつもいつもめくるめく変化の途中。
それを微分して、眺めてみる。
それを積分して、感心してみる。
化けるのは楽しい。
おんなの人のお化粧だってそう。
化けるのを楽しんでいる。
みずからを微分して楽しんでいる。
積分して楽しんでいる。
今朝のわたしの即興詩 「微分積分の楽しみ」
ふふ、ふ。
花って、草冠に化けるって書いてあるんだ。
赤い花も白い花も
あれはみんな化け物なんだ。
やはりそうだったのか。
すべては化ける。
そうでないと新しくなれない。
化は変化だから刻々刻々変化していく。
身を変えて心を化合させて新しくなる。
えへっ。
わたしだって化け物なんだ、りっぱな。
得体は知れない。
いつもいつもただただ変化の海を、
ぷかりぷかり辿っているからね。
いはまその変化の途中の可変物体。
いつもいつもめくるめく変化の途中。
それを微分して、眺めてみる。
それを積分して、感心してみる。
化けるのは楽しい。
おんなの人のお化粧だってそう。
化けるのを楽しんでいる。
みずからを微分して楽しんでいる。
積分して楽しんでいる。
四月の詩 「菜の花」
原因が結果になる/
でも結果もすぐにその場で/
次の原因になる/
この場に残っているのは/
だからいつも/
次へ向かう原因の原動力/
とどまらずとどまらず/
新しい明日を作ろうと/
天のモーターが唸り声を上げる
「いつ立て直してもいい/
どの段階でどんな変化を/
創造してもいいよ」/
こんな優しい言葉も添える
四月の菜の花が/
城原川の川土手を埋める/
花の結果の菜種は/
次の花を咲かせる原因種子/
花は一瞬間の仮のすがた/
種は一瞬間の仮のすがた/
此処にはストップがない
ストップなんかするなよ/
菜の花が告げて来る
***
地元S新聞の読者文芸年間大賞が今朝の新聞に掲載されていた。この作品が詩部門の人賞に選ばれていた。嬉しい。
12
昨日、新しく、西の畑で西瓜が実をつけているのを見つけました。小躍りしてよろこびました。西瓜が準備に入っています。わたしのお腹に入る準備をしています。甘く甘くなろうとして太陽を受けています。雨も受けています。いずれ甘くなって赤く熟れて、俎の上にどっかり載ることになります。最後にわたしが西瓜の因果を横取りするのです。それもいいところだけ、おいしいとおころだけを。
このわがままをどう説明して許してもらえるのか。分かりません。
11
此の世は美しいもので荘厳(しょうごん)されています。その美しい荘厳の中でわたしたちが暮らしをすることが許されています。荘厳というのは、実は仏さまのための荘厳であって、悪業煩悩のわたしのためではないのですが、勝手にそれを横取りして、わたしがそれで荘厳されています。此の世には美しい花々が咲きます。季節季節で新しく咲きます。それをわたしが果報しています。
10
悪業煩悩が、わたしのお釣りです。このお釣りを出していればすんでいます。申し訳のないことです。こんなものでしか支払いが出来ていないのです。報酬できていないのです。私は卑下慢と高慢の慢心を懐いて、これを悪業煩悩として支払っています。それでは支払いにはならないのです。
わたしがそれで苦しんで身もだえしてペイをしています。それでもそれがペイになっているんかどうか。ただ身勝手なだけなのかも知れません。
9
わたしは悪いことをたくさんしてきたのですから、悪業の報いを受けて暮らしているはずなのですが、そうはなっていません。ゆるんでいるのです。因果応報の真理の螺子(ねじ)がゆるんでいるのです。夜が明けて行きます。わたしは新しい1日を始めています。鼻先へ空気がすういと通って行きます。これほどにこれほどに善果を受けているのです。
8
過分なのです、だから。分に過ぎているのです。分とは、もらってもいい分配のことです。もらって当然だと思える量を遙かに遙かに超えて、わたしたちはみな受け取って、それで今日の暮らしが成立しています。
雨が降ってしっとり潤います。爽やかな風が吹いて涼しくなれます。そういう因果を、わたしが現在で受け取っています。わたしが受け取れるものなのかどうか、あやしいのですが。有無を言わさずの受給者となっています。