7
それでもそれでも幸福が続きます。果報が続きます。わたしをお月様が明るく照らしてくれます。お星さまがきらきら輝いてくれます。昼は昼で煌煌とまばゆいのです。そこにわたしが寝起きをしています。それだけの幸福を、わたしが造り出したわけではないのです。みんなもらいものなのです。どっさりどっさりそれをもらって暮らしています。
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それでもそれでも幸福が続きます。果報が続きます。わたしをお月様が明るく照らしてくれます。お星さまがきらきら輝いてくれます。昼は昼で煌煌とまばゆいのです。そこにわたしが寝起きをしています。それだけの幸福を、わたしが造り出したわけではないのです。みんなもらいものなのです。どっさりどっさりそれをもらって暮らしています。
6
身贔屓が過ぎると、腐った沼の水になってしまいます。沼の水は流し出さねばなりません。実際、わたしは身贔屓が過ぎているのです。今日を始められる好条件を無条件で確保しています。
なあに、流し出した分は、上流からまた流れ込んで来て、沼は元の通りに満ちるのですから。貯め込むと腐るのです。悪臭を放ちます。我が悪臭で辟易してしまいます。
5
わたしは今日を始められます。すぐさま今日を始められるほどの幸福者です。そういう好条件を独占しているわたしです。ですから、わたしは結果的には、幸福を独り占めしています。幸福の独り占めはよくありません。働いてもいないのにお給料をどっさりもらっているようなものです。それはお返しをしなければなりません。
わたしは今日を始めています。鼻がすうすう息をしています。腹がふくれたりちじんだりして反応しています。よろこんでいるのです。
4
それで彼は、お釣りを出そうとします。みんなみんな受け取るのは気が退けるのです。どうやってお釣りを払えばいいか思案します。右辺の原因と左辺の結果はイクオールのマーク(=)で均衡が取れているはずです。取れていなければ落ち着きません。安定しません。バランスが崩れてしまうのです。
汝、盗むなかれ。善果を盗み出すのは戒められていることです。
3
果報者というのは、よい結果を報われた幸せ者ということです。悪い結果を招いても文句は言えないのですが、それがそうではなくて、ひたすら善い結果を導き出されているので、それに戸惑って、お礼を言う心がいつしらず膨れ上がっている者のことです。わたしは果報者で、ひたすらに善い結果を受けています。この自己矛盾に気がついている者のことです。
2
果報ということを、頭が考えています。因果は応報する、ということです。因は原因、果は結果。その二つが応じ合って報い合うということです。麦の種蒔きをしたら麦が生えてきます。豆の種蒔きをしたら豆が生えてきます。違(たが)うことがない、違背することはない、というのです。