温泉に行くときには、仏壇に飾っている弟の遺影に声を掛ける。大概、声を掛ける。
「おおい、行くぞう。温泉に行くぞう。ついて来ないか」と声を掛ける。
温泉に入ればまた声を掛ける。「いい湯だなあ。温泉はいいなあ」などとそこに居るように思って、声を掛ける。
でも今回は、ふっとそれが疑問になった。
死者は次の旅に出ているのだ。極樂へ行ってそこで新しい暮らしをしているのだ。新しい任務にも就いているのだ。
呼び戻していいものかどうか。
先へ行こうとしている者を止めていいものかどうか。考え込んでしまったのだ。
この世のことは、済んでいるのだ。卒業をしているのだ。双六で言えば「上がり」。この世ですべき事は完了しているのだ。
こちらに居る者はこちらが一等いいところだと思い込んでいる。だから、それができなくなった死者を憐れんでしまう。
でもそれは違うかも知れない。
次の世の極樂の楽しみとこの世の旅の楽しみと比較して、この世の楽しみが勝っていると、この世にいる者は思い込んでしまう。
だが、温泉につかる楽しみ以上の楽しみが、死者の到達した極樂世界にはあるはずなのである。
だったら、こちらへ呼び戻すことはあるまい。
そんなことをふっと考えた。
弟がいないと寂しい。しkし、それは、僕の寂しさであって、弟の寂しさではない。ないかもしれない。
なにしろ、死者は、仏教の教えるところでは、極楽往生しているのだ。格がワンランクもハンドレッドランクも上がっているのだ。想像も及ばないほどの高みにいるのだ。
☆
先へ行く者は先に行かせようではないか。この日の結論はこうだった。