<おでいげ>においでおいで

たのしくおしゃべり。そう、おしゃべりは楽しいよ。

もしそうだとしたら、すまないことをしているなあ。

2020年02月10日 11時30分31秒 | Weblog
この頃不意に思ったこと。

この世を去った死者は、先へ行きたいのではあるまいか。先へ先へその先へ、明るい光の射し込んでくる方へ、ずんずんと進んで行きたいのではないか。

それを呼び止めていいものか。

この世に残っている者が手を挙げて呼び止めて、懐かしがっていたら、足が鈍ってしまうのではないか。

弟のことを僕はよく思い出している。懐かしがっている。詩にも書いている。

そうしていたら、振り向いてしまうんじゃないか。先へ進んでいけないのではないか。

・・・などということを、このごろよく思ってみる。

もしそうだとしたら、すまないことをしているなあ、と。


死者は極樂へ進んでいるのだ。光の溢れるところ、智慧のあふれるところへ、進もうとしているのだ。阿弥陀仏が、こっちだぞこっちだぞと手招いているのだ。仏典にはそう書いてある。

しかも、極樂は終着駅ではない。そこは新たな出発点でもある。旅は永遠に続いている。

魂が暮らしているのは、地球の生活だけではないのだ。
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もしそうだとしたら、すまないことをしているなあ。

2020年02月10日 11時30分31秒 | Weblog
この頃不意に思ったこと。

この世を去った死者は、先へ行きたいのではあるまいか。先へ先へその先へ、明るい光の射し込んでくる方へ、ずんずんと進んで行きたいのではないか。

それを呼び止めていいものか。

この世に残っている者が手を挙げて呼び止めて、懐かしがっていたら、足が鈍ってしまうのではないか。

弟のことを僕はよく思い出している。懐かしがっている。詩にも書いている。

そうしていたら、振り向いてしまうんじゃないか。先へ進んでいけないのではないか。

・・・などということを、このごろよく思ってみる。

もしそうだとしたら、すまないことをしているなあ、と。


死者は極樂へ進んでいるのだ。光の溢れるところ、智慧のあふれるところへ、進もうとしているのだ。阿弥陀仏が、こっちだぞこっちだぞと手招いているのだ。仏典にはそう書いてある。

しかも、極樂は終着駅ではない。そこは新たな出発点でもある。旅は永遠に続いている。

魂が暮らしているのは、地球の生活だけではないのだ。
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花壇作りの老爺はまるで三才の幼児だ

2020年02月10日 11時19分14秒 | Weblog
幼児のままごと遊びとあまり変わらない、この老爺のやっていることは。他愛ない。

花壇作りを楽しんでいる。春がまもなくやって来るのだ。その準備をする。

まずは草を取る。それから土を掘り上げて、そこへ籾殻と石灰と有機肥料を漉きこんで、混ぜて、ふかふかにする。

花苗を植える。少しずつ少しずつ。休み休み少しずつ。

金盞花、金魚草、ラナンキュラス、ルピナス、アネモネ、クロッカス、テッポウユリ、鹿の子百合など多才な春の花々を植え付ける。

花が咲いた我が家の花園を思い浮かべて、空を仰いで、にやにや、にたりにたりする。
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日が射して来た。寒さが少し緩んだ。

2020年02月10日 11時11分23秒 | Weblog
日が射して来た。寒さが少し緩んだ。いま午前11時を過ぎたところ。

外から部屋の中へ差し込んでくる光が、きらきらしてまばゆい。

さっきまで大根の切り干しの作業をしていた。

台所のテーブルに俎と庖丁を持ち出して来て、細く薄く棒状に丁寧に丁寧に切る。

畑から掘り上げて来た新鮮なでっかい青首大根を2本、仕上げた、根気よく。

干し物の網籠がいっぱいになった。ここで中止。

光が溢れる軒下に籠を吊す。僅かだが風も吹いている。乾燥にはもってこいの条件だ。
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