<おでいげ>においでおいで

たのしくおしゃべり。そう、おしゃべりは楽しいよ。

他者の礼拝と自己への礼拝。人間への礼拝の姿勢。

2021年06月02日 07時03分10秒 | Weblog

「さん」をつけて呼ぶ。敬意を込めて。

 

人様には、そうする。

 

これで尊敬を覚えて、それを確かめることができる。

 

人様を尊敬すべきだ。蔑んではいけない。

 

蔑んでしまうのは、自分の識見了見が低く止まっているからだ。

 

常不軽菩薩という菩薩は、「あなたはやがて仏陀となって行かれる人です」と言って、相手に手を合わせて拝まれた。

 

その一行を一生涯の修行となさった。それ以外の修行よりも優先された。他者を尊敬して礼拝することを仏道修行とされた。

 

相手を拝むということ。他者を「拝まない人間」に落ちている己が、これで見えて来るのだ。自己を凝視することにもなるのだ。

 

他者を礼拝することで、自己回復がなされていくのだ。

 

自己回復は、自己の尊厳が回復されてくることだ。自己を蔑まない、自己を見下さない、自己を卑しまない、そういう方向に向かって行けるのだ。

 

己を礼拝する。鏡に映っている己に手を合わせる。神社の神棚には鏡がある。自己を写す鏡である。

 

己の名を呼んでそこにひとり静かに尊敬の「さん」をつける。これで耳がびっくりする。意外にびっくりする。己の価値を見いだし得ないできた者であればなおさらに。

 

尊敬されるまでには成っていなくとも。己の中に潜む仏性に手を合わせて讃えて行く。そういう修行もあるのかもしれない。

 

人に会って人に向かって手を合わせることはなかなかできまいが、己という人間に向かっては比較的容易ではないだろうか。己もたしかにたしかに人間として生まれて来ているのだから。

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「どうもない?」朝一番に家内が聞いて来た。

2021年06月02日 06時45分39秒 | Weblog

「どうもない?」と家内が聞いて来た。前日、ワクチン接種をした、その反応を尋ねているのだ。

 

家内は腕がこわばっているらしい。そう言われてみればそう、僕の左腕もそんな感じがする。ややする。

 

2回目の方が反応の度合いが大きいとも聞く。一回目は、老人はあまり反応に敏感ではない、とも。

 

当地でもコロナウイルス拡大防止のワクチン接種が始まった。まずは65歳以上の高齢者から。

 

ほんとうは働いておられる若い人たちからの方がよかったのかもしれない。高齢者はあまり外に出て活動してはいないから。

 

でも、高齢者を優先していただいた。ご好意に甘える格好になった。高齢者が市の中央公民館会場を埋めた。

 

ニュースで聞くところでは、若い人たちも6月中旬からは接種が可能になるらしい。

 

これで感染拡大に歯止めが掛かるだろう。社会全体がこうやって一つの目的に向かって努力を傾けている。そのとてつもなく大きな善意の、厚さ熱さ誠実さに敬服する。

 

 

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