<おでいげ>においでおいで

たのしくおしゃべり。そう、おしゃべりは楽しいよ。

いつまで車の運転ができるだろうか。

2021年06月07日 15時25分26秒 | Weblog

ぶらぶらぶらして、2時半には帰宅した。

 

年寄りだから、ゆっくり運転をこころがけた。スピードは出さない。

 

注意散漫になってはいけないので、電車の運転手さんを真似て、たまに、指さし運転をする。

 

「前方安全確認」「踏切一旦停車」「信号確認」「歩行者確認」「ストップします」「歩行者なし」「右折します」「左折します」「信号停車」などなどと声に出して。ときおりだが左手で合図を出す。

 

一人で運転しているから、恥ずかしくはない。

 

運転手座席の横に誰かが同乗しているときには、その人にもチェックをお願いすることになる。より安全度が増すので、心強くなる。

 

でも、信号が切り替わるときには、機敏な反応ができにくい。だから交差点はなおさらゆっくりをこころがける。

 

運転するのが好きだから、長時間でも嫌にならない。楽しんでいる。とはいえ、やはり高齢者だ。危険がいや増すことになる。バックするときには気を遣う。

 

さて、さて、いつまでドライブができるやら。免許証返納も選択肢に上がって来ている。

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特産品プレミアム付きスイートコーンを買い求めに。

2021年06月07日 14時56分29秒 | Weblog

六月になってオープンしたばかりの新しい道の駅「しろいし」に行って来ました。一人の気ままなぶらぶらドライブ。

 

夜中のスマホのニュースで見たしろいし特産スイートコーンを買い求めに。一日、フェステイバルがあってて、車の中から買えたらしい。

 

ところがところが、ここまで来たというのに、肝心のコーンが売り場には見当たらない。

 

店員さんに尋ねたら、午前中でみな売り切れてしまったという返事。がっかりだ。

 

「せっかく来たのになあ」と僕は小さな声でぼやきました。

 

仕方がない。あきらめよう。でももう12時。お昼ご飯を食べてから帰ろうとして、チケットを買っていると、そこへさっきの店員さんが、レジを離れて、走って来た。

 

臨時に業者さんが新しいのを少しだけ運んで来たらしい。10束だけ入荷した、と。

 

「買いますか、お客さん。押さえておきますよ」とのご親切。店員さんの機転だ。

 

で、走り込んで行って、2束買ってしまった。1束2本入っている。450円のと550円のをキープしてもらえた。高値がついていたにもかかわらず。親切が嬉しくて。

 

ラッキーだった。空手で帰らずにすんだ。ここの道の駅はでかい。広い。2階まである。2階がレストラン。名前が「たんなかカフェー」。覗きたくなって覗いた。しゃれたレストランだった。

 

売り場のすぐ隣のうどん屋さんで、有明海海苔を食材に使った「海苔うどん」500円を食べた、ゆっくり泰然と。

 

テーブルの上にスイートコーンをそのまま載せて、眺めて。コーンの髭が匂った。

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外に出た。1時間ほど軽い作業をした。

2021年06月07日 10時37分19秒 | Weblog

作業着に着替えて、外に出た。1時間ほど作業をした。日が照りつけて来て、気温が上がった。

 

村起こしの、金になる唐辛子の苗3株を、3つの鉢に植え替えた。これは去年の種を蒔いて発芽させたもの。

 

でも、もう限界。暑い。作業は中止した。後は、日が落ちた夕方にする。

 

九条葱の苗が1束、道の駅から買って来てある。これを植え付けてあげねばならない。畑に深く溝穴を掘って。

 

農作業をしている時間はさみしくない。無心状態になっている。これで気が紛れる。この老人、老爺といえども扱いにくいわい。

 

 

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外がマシ。家の中でうじうじしているよりか。

2021年06月07日 08時50分09秒 | Weblog

そろそろ9時。日が差してきた。庭先が明るくなって来た。まずはこのまま外に出てみようか。

 

外に出ると、あれこれしたくなる。したいことが見つかる。畑に行って、農作業に進むことになる。

 

家の中でうじうじしているよりは外がまし。すっきりする。明るくなれる。庭は各種、夏の花の花盛り。

 

 

花が咲いたら、咲き終わる。大輪の透かし百合。花の期間はそう長くはない。はらはらはらと花弁が落下する。

 

次の年が回ってくるまでは、花のない暮らしになる。葉も茎も枯れて消える。土の中で生き残る。

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透かし百合が咲いている

2021年06月07日 07時51分45秒 | Weblog

透かし百合の花が庭に咲いています。

 

さぶろうよ、もうそんなに一人でさみしくなんかしているな、と言っているのかもしれない。

 

わたしがいますよ、と言って慰めていてくれるのかもしれない。

 

 

独生独死。独去独来。

 

生まれて生まれて生まれて生の初めに暗く、死んで死んで死んで死の終わりにも、さみしく。

 

此処へ来て此処を去ってさみしく。

 

我は無明煩悩子。はてしもなく。

 

 

そんなさみしいわたしのために説かれた「仏説十一面観世音菩薩随願即得陀羅尼経」を音読読経する。

 

さみしさが熱い涙になる。

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さみしさの気圧が平均化すればいいのになあ。

2021年06月07日 07時45分18秒 | Weblog

ちっともさみしくない。なんとでもないよ、という人もいる。いいなあと思う。

 

さみしさは穴だろうか。穴を掘っているのだろうか。そこへ落ちているのだろうか。

 

そんなさみしい穴を掘ってなんかいなくてもいいのに。

 

掘らずにすんでいる人からすれば、僕なんか滑稽に写っていることだろう、さぞかし。

 

さみしさの気圧が、地球上どこも、誰でも、おしなべて平均化すればいいのになあ。

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僕のさみしさを消してくれるだけの力のある作品はないか。

2021年06月07日 07時37分16秒 | Weblog

僕の文学作品は、ただ僕のさみしさを消すためだけにある。

 

僕がさみしいと作品が生まれる。

 

僕のさみしさを消すだけの力のある作品を生み出したいのなら、僕は森の中の湖のようにひっっそりさみしくしていなければならない。

 

さみしい。さみしさは消されることがない。何処のあたりがどう欠損欠落しているのか。とにかく僕は欠損欠落した人間。

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僕はおんなの人にもてない。もたてためしがない。

2021年06月07日 07時21分45秒 | Weblog

ふふん。僕は女の人にもてない。もてたためしがない。

 

どうにもならない。おんなの人といたくても、いられないから、しょうがない。

 

で、一人でいる。それしか選択肢がない。

 

その代わり、絵を描く。おんなの人の絵を描く。クレヨン水彩の絵の具で。水にとかしながら。

 

かわいいかわいい娘を絵に描く。うっすら目を開けさせてわたしを見させておく。

 

他愛もない他愛もない。こんなに長々と生きても愚かで愚かである。

 

さみしいからだ。いつもさみしい。老いても老いてもさみしい。

 

朝も昼も夜もさみしい。ご飯を食べていてもさみしい。わたしにだけやさしくしてくれる人と一緒にいたい。そういう人は居ない。

 

雲が空に触れているように、山が風に触れているように、誰かにやさしく触れていたい。やさしくして触れてくれる人はいない。

 

クレヨン水彩画のおんなの人にその役割をしてもらう。嫌かも知れないけど。こんなよぼよぼのお爺さんではきっと嫌だろうけど。

 

ときおり手に取って絵を眺める。そのときだけちょっとさみしさが解け出して来る。薄紫の煙になって流れて行く。

 

 

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遊具はことばの遊具

2021年06月07日 07時11分58秒 | Weblog

遊んでいる。遊びたくなっているから、遊ばせている。

 

遊具が見つからない。遊具はことばの遊具。ことばは天空の図書館が貸し出してくれる。無料。

 

ことばを貸して下さい、と言うと、にこにこして貸してくれる。

 

ことばは数珠つなぎに繋がっている。際限がない。引き出せば引き出すほど長々と長く繋がる。

 

いつまででもこれで遊べる。夕暮れるまで遊べる。機嫌がよくなるまで遊ばせておく。遊び終わったらうとうと居眠りをする。

 

ことばはわたしのものではない。わたしのものではないから、無限大で無尽蔵なのかもしれない。

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天寿とふ天の寿命のやさしくて

2021年06月07日 06時58分51秒 | Weblog

天寿とふ天の寿命のやさしくて真昼の深い森を眠らす     山鳩暮風

 

真昼の深い森は何処にあるか。此処にある。僕のふところにある。真昼、僕はうとうとと健康的な居眠りをしてしまう。

 

寿命は天からもらっているから、天寿である。彼はいつも僕にやさしい。しばらく眠りたくなれば、しばらく眠らせてもくれる。

 

 

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