朝寝、昼寝をした。夜になったが、もう寝られない。起きている。
そう寝られるもんじゃないなあ。ほりに
☆
明日は早朝に近くの公園に行って、濠に咲く睡蓮を見たいなあ。
睡蓮は朝の早い時間帯にしか見られない。午後には花を閉じてしまう。
朝寝、昼寝をした。夜になったが、もう寝られない。起きている。
そう寝られるもんじゃないなあ。ほりに
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明日は早朝に近くの公園に行って、濠に咲く睡蓮を見たいなあ。
睡蓮は朝の早い時間帯にしか見られない。午後には花を閉じてしまう。
さっきのブログで、ハイアーセルフの名前を使ったけど、ヘンだったかなあ?
「より高くなった自分自身」が、別個にいるって、やっぱりヘンかなあ。
時間軸を進めて行ったところに、そのハイアーセルフがいる、いや一人ではなくて、縦列に何人でも。
肉体の死で終わるように見えているけど、実は終わっていない。にんげんの進歩は切断されない。先へ先へと続いて行く。
100年先に一人のわたし、次の100年先にもまた一人のわたし、と言う具合にして、何人でもいる。
それがハイアーセルフと呼ばれている存在たち。無数の存在たち。彼らが、現在を生きている拙い「わたし」を守り、助け、導いている。
手を引き、後ろから押し、力を貸している。提案し、ヒントを与え、アドバイスもしてくれる。その声を聞くことができる。
「わたし」は、完全なわたし、完成されたわたし、完了したわたしへ、ずっと移行を続けて行く。
だからいつも「わたし」は道の途中にいることになる。切断がない。死で以て切断されている、という考え方の否定だ。
AからBへ、BからCへ、CからDへ、というぐあいにどんどん変化変容して行く。そして「よりよいわたし」への旅を続けて行く。
最後には完成された仏陀となる。仏陀になったらワンランク上がって、またそこからABCDEFが繰り返されていく。だから無際限である。永遠である。エターナルな自己である。
貝が貝殻を大きくしていくように。貝殻を大きくして、より大きな貝をそこに住まわせて行くように。
いいお天気だ。天気に「お」を被せたくなるほどの。空の色がいい。
外気温は28・9℃もあるのに、部屋の中はそれほどの暑さを感じない。むしろ爽やかさを感じている。湿度が低いのだろう。
僕は何処にも行かないで、書斎に籠もっている。座る椅子と机とパソコンが置いてあるだけだから、書斎と言うほどでもないけれど。
朝が来るまでに作品を仕上げた。合計3篇。400字のエッセーと540字のエッセーと、60行の詩を。プリントをして封書した。投函も済んだ。
原案は昨日の朝。原案の卵を、昼、夜、早朝とあたためて、孵化させることができた。今回は、ハイアーセルフ(より高くなった自己自身)にずいぶんと助けてもらった。そんな印象だ。
なんだか一仕事したって感じになって、午前中に1時間ほどうたた寝をした。快感を得た。
お昼は冷や麦を茹でて食べた。留守番している僕だけのお昼になった。後片付けも終わった。いまはYouTubeで好きな音楽を聴いているところ。
おやおや、外が幾分か暗くなってきたぞ。日が陰ってきた。直射日光を受けずに済むなら、畑にも出て行けそうだ。