「おいしい!」のそのおいしさが分かるのは舌覚。舌には味蕾という場所があるらしい。
今年のミニトマトはおいしい。去年まではこうではなかった。大玉トマトの方に箸が延びていた。それが今年はミニトマトが優先になっている。
歯磨きをするときに、歯だけではなく、舌を磨くことにしている。舌覚を研ぎ澄ませようという魂胆だ。で、これが功を奏しているのかも知れない。夕食のときに、「おいしい!」を叫ぶことが多くなった。わざとではない。ほんとうにおいしい。
食べ物のおいしさをおいしく感覚してくれるとろは舌である。舌覚である。味蕾である。だったら? 人生のおいしさをおいしく感覚する場所はどこなんだろう。目だろうか。耳だろうか。こころだるか。感情なんだろうか。
何処だっていいけど、おいしがる方がいい。いいに決まっている。
生きていて、で、いちばんおいしい人生の料理は何なんだろうか? 人それぞれだろう。AからZまでありそうだ。いやいや、たったそれくらいの種類くらいではなさそうだ。浅い深いもある。
「あの人に会いたい」「やさしい人に会いたい」「美しさが薫り立っている人に会いたい」。
でも会えない。会ってくれる人なんていない。そもそも、いない。それでも会いたがる。勝手に絵を描いて想像をしていればいいからだ。彼女が傍に来てくれる。キスをしてくれる。
そういうキスの喜び方もある。想像の味わい方もある。けっこうこれもおいしい。