<おでいげ>においでおいで

たのしくおしゃべり。そう、おしゃべりは楽しいよ。

どんな旅だっていいのです。

2022年07月02日 17時40分23秒 | Weblog

「故郷に錦を飾る」などと言いますが、そんなド派手なことをしなくたっていいと思います。何にも持たずに帰って来ていいのだと思います。そのままふらりでいいと僕は思います。

 

わたしたちが最後に帰って行くところも故郷です。「ふるさと」という表現がやわらかそうですね。ふるさとは誰でも受け入れてくれます。

 

功成り名遂げての帰還を否定しているのではありません。それができる人はそうしたらいいのです。そうできなくとも、それもそれでいいのです。否定されるものではありません。

 

わたしたちは仏の国に帰って行きます。ここがふるさとだからです。此処を出発したのです。出発して、それから思い思いに旅に出たのです。旅が終われば、またもとのふるさとの仏の国に戻ります。

 

どんな旅であってもいいのです。果たすべき目的なんかなくったっていいのです。ふらりふらり、ぶらりぶらりでもいいのです。

 

楽しい旅であってはいけない、重大でなければならない、崇高でなければならない、最善を尽くさねばならない、意義深くなければならない、自他共に称賛できるようでなければならない、などと仏さまが注文を出されるはずはないのです。

 

僕はそう思います。

 

ハグロトンボが竹の棹のとっぺん先に止まっています。池の水面を見ています。風が吹いてくると羽がふううっと浮いたようになります。それを眺めていると、いままで書いてきたような気持ちになりました。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

窓の向こうを、赤トンボがすいすい飛んでいます。

2022年07月02日 17時30分46秒 | Weblog

赤トンボがすいすいと飛んでいます。窓の向こうを飛び回っています。視界から消えたかと思っていると、しばらくしてまた戻って来ます。小さな体は軽々としています。ときおり不意に浮き上がります。もう精霊(しょうりょう)を乗せているのでしょうか。だったら、この地に暮らしていた方々かもしれません。ご先祖さまかもしれません。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

西唐津往復をして来ました

2022年07月02日 17時16分58秒 | Weblog

脊振、三ツ瀬、七山越えで、西唐津往復をしてきました。

11時半に出発して、1時間半掛かって到着して、病気療養中のAさんを訪ねました。我が家の畑の収穫物を何種類か届けました。長居はしませんでした。

その後、鏡山の麓に位置する道の駅「うまかもん市場」に立ち寄りました。メバルを2尾買いました。今夜の夕食に煮付けてもらうつもりです。

いましがた17時に帰宅しました。すぐに、鉢物にホースで水遣りをしました。汗を掻いてしまいました。風呂場に直行して、シャワーを浴びました。

部屋の冷房をオンにしました。上半身、裸になっています。肩に、体温を吸収してくれるように、濡れたタオルを置いています。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

うん、それは言える。

2022年07月02日 11時16分25秒 | Weblog

下手くそなブログしか書けないんだけど、でも、死んだら書けないよ。生きている今のうちだよ。どんなにつまらないものであろうと。

 

うん、それは言える。

 

死んだあとで、書こうと思っても無理。いまは無理ではない、書ける。生きているから。

 

死者の僕が、生者の僕をなつかしがる縁(よすが)にはなれるだろうからね。

 

なつかしがったりするだろうか?

 

番狂わせみたいに、もしも、懐かしがったりすることがあった場合のことさ。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

鳩尾のところに汗

2022年07月02日 11時12分49秒 | Weblog

11時を過ぎました。外気温は34℃になっています。まだ部屋の冷房はオフにしています。もうそろそろ、でも、オンにしようかなあ。

 

鳩尾のところに汗が流れているみたい。

 

日本国中、電力不足だからなあ。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

いい加減でいいね

2022年07月02日 10時56分45秒 | Weblog

おいそれ死ぬことになるのなら、口をへの字の曲げて死なないように気張っていることはないね。あれこれあれこれ健康に気を遣って、死なないようにする努力は無駄になるね。

 

じゃ、あんまりしないでおこうね。いい加減でいいね。いいだろうね。抵抗したって抵抗できることじゃないからね。

 

それよりか、一息一息の吸う息吐く息を深く深くして、おいしいおいしいと言って、生きているすがすがしさを胸に満たしておくようにしたらいいのかもしれない。

 

欲張りしない方がいいんだよね。

 

これまでこうして生きていられたことにお礼が言えるようであったらいいんだよね。

 

みんながみんなじゃないだろうけど、死ぬ間際になって来るとあれこれと考えてしまうね。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

僕はもうすぐ死ぬことになっているのだよね。だよね。

2022年07月02日 10時46分46秒 | Weblog

僕はもうすぐ死ぬことになっているんだよね。だよね。

 

もうすぐまもなく。

 

すると、いままで見えていた夏空がいきなり見えなくなってしまうのだろうか?

 

見えなくなっても、消えたりはしないよね。

 

消えたりはしないだろう。

 

そのままだろう。

 

やっぱり入道雲があちらこちらでむくむくむくと湧き上がっているだろう。

 

どれだけむくむくむくと湧き上がっていても、死んだ後の僕の目は、夏空が見えないのだろうか、やっぱり。

 

目を瞑っているだろうから見えないだろうね。

 

夏空からは、しかし、その僕が見えているだろうね。

 

そりゃ、見えているだろうね。

 

だったら、手を振るかも知れないね。

 

大丈夫だよ大丈夫だよ、恐い事なんてなにもないよ、などとも言うだろうか?

 

死は快感だよ。快感の内に完了するよ。などと不安そうな目をしている僕が、安心できるような台詞を言って聞かせたりするのだろうかね。

 

ふううん、どうだろうかね。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

死んだ後でも、僕は僕のブログが読めるかなあ?

2022年07月02日 10時40分29秒 | Weblog

死んだ後でも、ブログが読めるかなあ。

 

生きているときに僕が書いたブログを、死んだ後も読めるようだったらいいなあ。

 

死んでいても、生きている気分になれるんじゃないかなあ。

 

生きている自分が書いたブログだから、時間を遡って来れるだろう、きっと。

 

そうすれば、死んでいるのに生きている感覚を味わえるので、にっこりにっこりしているかもしれない。

 

死んでも、でも、電源を入れて、パソコンを立ち上げることができるかなあ。

 

無理なのかなあ。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

桃を1個まるごとがぶがぶ食べた。

2022年07月02日 10時28分29秒 | Weblog

暑い。今日も暑い。冷房をオンにしないで耐えている。

冷蔵庫に冷やしてあった桃を1個、水を垂らして洗って、包丁で皮剥きをした。

立ったまま、まるごとがぶがぶ食べた。たちまち甘い香りが漂った。汁がすたすたすたと零れて落ちた。

桃は仙人の食べ物。不死の薬。元気をもらった。贅沢三昧をした気になった。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

夜明け方の草取り 薩摩芋畑の

2022年07月02日 10時22分16秒 | Weblog

5時起床。着替えて外に出ました。蚊取り線香を焚きました。

 

薩摩芋畑の、3列の畝の、草取りをしました。

 

芋を抜かないように慎重に。時間を掛けて丁寧に。

 

キレイになりました。

 

気分までがさっぱりします。

 

8時、作業を止めました。

 

お風呂に直行して冷たい水でシャワーを浴びました。

 

石鹸でゴシゴシ擦って汗を洗い流しました。

 

3週間ぶりくらいの農作業でした。

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする