我が家の西瓜畑を覗いてみる。
西瓜の蔓が四方八方に広がっている。重なり合っている。
畑の土が見えないくらいに繁茂している。
一面に麦藁を敷いてあげている。
蔓には雄花雌花がたくさん咲いている。花虻が集まって来てさかんに受粉をしている。
なっている実にはトレイを敷いてあげている。
畑は西瓜の旺盛な命で噎せ返っている。
旺盛な命に万歳をして上げたくなる。
我が家の西瓜畑を覗いてみる。
西瓜の蔓が四方八方に広がっている。重なり合っている。
畑の土が見えないくらいに繁茂している。
一面に麦藁を敷いてあげている。
蔓には雄花雌花がたくさん咲いている。花虻が集まって来てさかんに受粉をしている。
なっている実にはトレイを敷いてあげている。
畑は西瓜の旺盛な命で噎せ返っている。
旺盛な命に万歳をして上げたくなる。
生きているところには、鮮烈な「生きている時間」が流れている。緑陰の風のように流れている。鼻でそれを吸う。息にして吸う。吸うと生気の元気で満ちる。満ち足りる。そのシステムに乗っかかっているだけでいい。ありがたい話じゃないか。
接写をこころみた。
コスモスをアップにしてみた。
どきりとするほど鮮やかで美しい。
人間に限らず、若い命はみな瑞々しくて、美しい。
生きているうちから死が始まっているらしい。年を重ねるごとに、生と死の割合が変化していくらしい。
「生が7,死が3」の段階が、やがて逆転して、生の要素が3,死の要素が7」に変動する。
この老爺はいまはどんな割合なんだろう?
慌てないで済むように、順次、準備期間を作ってくれているらしい。
そういう生と死の同時進行説もあるらしい。
生きているうちは生きる。生き切る。死んだら、死に切る。
それでいいんだろうね。
生きるしかない時間帯と死んでいるしかない時間帯とがあって、両者をまたげない。
一方向でいる。
ふたつの路線を跨がない。生きは生きの電車に乗る。死ねば死ぬ一方の電車に乗る。
不貞を働かない。生と死の二人を嫁にしない。一方だけにする。
現段階は現段階に集中して、次の段階は次の段階に没頭する。そうできれば、迷妄から逃れ出られるかもしれない。
労働意欲が湧かない。さっぱり湧かない。
労働意欲の労働といったって、畑に出て草取りをするくらいなのだが。
怠けている。体がすっかり鈍(なま)っている。だらだらして、すっかりだらしがない。
朝5時半からの近隣散歩を家内に誘われるのだけど、まったく応じない。その気にならない。
食欲はそれほど落ちていない。草取りをしていた頃と変わらない。老人だから、食はだんだん細っていくのだけれど。
まもなく午前8時半。外気温27・5℃。湿度72%。冷房はかけていない。まだ耐えられる。窓を開けて網戸にしている。風はない。
曇り空。降り出すという予報なのだが、雨はまだ降り出してきていない。台風が接近している。明後日辺り、九州上陸なのかもしれない。
燕の一団がすぐ近くで飛び回っている。鳴き声が賑やかだ。
家族なのかもしれない。生まれた子供が巣立ちをしたのかも知れない。親鳥を真似て、今朝、夜が明けるのを待って、初飛行をしているのかもしれない。
「夏の夕焼け空」 山鳩暮風
「ほんとうのほんとう」
そういうものが何処かにあるんだろうね
あるんだろうね
里芋の大きな葉っぱを食べている青虫が
2匹いてちょっとだけ食べるのを止めた
頭脳がある部分とおぼしきあたりに
アンテナ状の太い角がすうっと生えていて
それを左右に三回倒して所感を述べ合った
「ほんとうのほんとうのほんとう」
「僕たちの根元の根元の根元」
そういうものがきっとあるんだろうね
あるんだろうね
2匹がもう一度左右に三回角を倒した
それから毛むくじゃらの青い膨らみの
たくさんある脚を全部もぞもぞ揺らして
さもさもさも
何かを探しているという姿勢を続けたが
そこまでだった
夏の夕焼け空が真っ赤に空を染めた