わたしは不幸だ、と思い詰めない方がいい。それだと不幸願望症になってしまう。
不幸そのものという物質はないのである。あるのは、それを不幸だとしているわたしのこころだ。こころだって、物質ではないのだから、それも虚偽だ。
虚偽に付き合っているより、不幸だと思っているその不幸を放棄するべきなのではないか。
わたしの100%を不幸としないでもいいはずである。青い大空が広がっている。それを眺めている。美しい青空を眺めていられることは、決して不幸ではないことなのだから。
幸福なことだってあるはずである。「おれは人間に生まれた」「おれは今日を生きている」「おれを生かそうとして鼻元まで空気が流れ込んで来る」
基本の基本はみな幸福で合成されているはずである。そこに立ち返って行くことができれば、幸福にもてはやされてもらえるはずである。
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これは、不幸願望症患者の、危うい危ういわたしに、言い聞かせていることである。