大浴場からは青い海が見えた。
湯は肌に柔らかくてつるつるした。肌が滑るようだった。
一泊して3度も湯を浴びた。それも3回とも長々と。
客がいないので、一人占めした。
大浴場からは青い海が見えた。
湯は肌に柔らかくてつるつるした。肌が滑るようだった。
一泊して3度も湯を浴びた。それも3回とも長々と。
客がいないので、一人占めした。
ヒマワリひまわり向日葵。
我が家の庭のひまわり。日を回っているひまわり。
咲いた咲いたよ。いいねえいいねえ。
我が家にも、夏が来ている。爽やかな夏の朝だ。
午後3時。外気温30・3℃。日はまだ高い。照りつけている。少し風がある。室内は扇風機だけで、涼しい。
僕は窓から外を見ている。草丈1mを超えているコスモス。茎の先に赤い花をいくつも着けている。それだけで癒される。
5時になれば日が傾いて、幾分かは凌げるようになるだろう。そうすれば北の畑に行ってみよう。
西瓜と菓子瓜と南瓜が勢いを増している。蔓が大蛇になって畑を這い回っている。それぞれの実も大きくなっているはず。
そうしたら烏が大群で空から降りて来て、あっというまに食べ尽くしてしまうかも知れない。危ない危ない。
そうなる前に、対策を講じておかねばならない。周囲に網を張っているが、これは猪避け。烏は屁とも思ってはいまい。
そこで上空にテープを張り巡らせることにするのだ。彼らは羽を傷つけるのを嫌がる。降りて来て飛び上がるときに、羽がテープに巻き付いてしまうのを恐れる。
知恵比べだ。西瓜がおいしくなったら、食欲旺盛な烏は、それでもなお突っ込んでくるかも知れない。そうなればもうお手上げだ。
今日の僕の童謡詩「お父さんとの思い出が」
いっぱいいっぱいありますね。
いっぱいいっぱいありますね。
大好きなお父さんとの思い出が。
いっぱいいっぱいありますね。
いっぱいいっぱいありますね。
裏山へ栗を拾いに行きました。
いっぱいっぱいありますね。
いっぱいいっぱいありますね。
何処にでも行って遊んでくださった
いっぱいいっぱいありますね。
いっぱいいっぱいありますね。
なつかしい写真になって出て来ます。
いっぱいいっぱいありますね。
いっぱいいっぱいありますね。
にこにこの髭の笑顔があふれてる。
いっぱいいっぱいありますね。
いっぱいいっぱいありますすね。
自転車の後ろに僕が乗っている。
いっぱいいっぱいありますね。
いっぱいいっぱいありますね。
不思議だないまでもずっと生きている。
いっぱいいっぱいありますね。
いっぱいいっぱいありますね。
あったかく握ってくれる大きな手
近くの公園に行って、沼地に咲いている睡蓮を見て来ました。
朝の早い時間に。
見に来ている人は誰もいませんでした。静かでした。
しばらく沼地の回りを回って眺めました。
睡蓮は沼地いっぱいに広がって咲いていました。
純白の睡蓮です。
部屋の中は涼しい。
外は30℃を超えている。日差しがきつい。
でも、湿度が高くない。
で、涼しく感じられる。
窓を開け放って網戸にしている。
風が渡る。
いい気持ちだ。眠くなる。
といっても、午前中も居眠りをしてた。
そうそう、何度もは、ね。
贅沢が過ぎる。
や、ややや、日が陰ってきたぞ。
これなら、畑にも出て行ける。
畑は草で覆われている。
仕事ができる。
老爺になっても、こうやって、いっぱし仕事を持てるというのは幸福なことだ。
朝寝、昼寝をした。夜になったが、もう寝られない。起きている。
そう寝られるもんじゃないなあ。ほりに
☆
明日は早朝に近くの公園に行って、濠に咲く睡蓮を見たいなあ。
睡蓮は朝の早い時間帯にしか見られない。午後には花を閉じてしまう。
さっきのブログで、ハイアーセルフの名前を使ったけど、ヘンだったかなあ?
「より高くなった自分自身」が、別個にいるって、やっぱりヘンかなあ。
時間軸を進めて行ったところに、そのハイアーセルフがいる、いや一人ではなくて、縦列に何人でも。
肉体の死で終わるように見えているけど、実は終わっていない。にんげんの進歩は切断されない。先へ先へと続いて行く。
100年先に一人のわたし、次の100年先にもまた一人のわたし、と言う具合にして、何人でもいる。
それがハイアーセルフと呼ばれている存在たち。無数の存在たち。彼らが、現在を生きている拙い「わたし」を守り、助け、導いている。
手を引き、後ろから押し、力を貸している。提案し、ヒントを与え、アドバイスもしてくれる。その声を聞くことができる。
「わたし」は、完全なわたし、完成されたわたし、完了したわたしへ、ずっと移行を続けて行く。
だからいつも「わたし」は道の途中にいることになる。切断がない。死で以て切断されている、という考え方の否定だ。
AからBへ、BからCへ、CからDへ、というぐあいにどんどん変化変容して行く。そして「よりよいわたし」への旅を続けて行く。
最後には完成された仏陀となる。仏陀になったらワンランク上がって、またそこからABCDEFが繰り返されていく。だから無際限である。永遠である。エターナルな自己である。
貝が貝殻を大きくしていくように。貝殻を大きくして、より大きな貝をそこに住まわせて行くように。
いいお天気だ。天気に「お」を被せたくなるほどの。空の色がいい。
外気温は28・9℃もあるのに、部屋の中はそれほどの暑さを感じない。むしろ爽やかさを感じている。湿度が低いのだろう。
僕は何処にも行かないで、書斎に籠もっている。座る椅子と机とパソコンが置いてあるだけだから、書斎と言うほどでもないけれど。
朝が来るまでに作品を仕上げた。合計3篇。400字のエッセーと540字のエッセーと、60行の詩を。プリントをして封書した。投函も済んだ。
原案は昨日の朝。原案の卵を、昼、夜、早朝とあたためて、孵化させることができた。今回は、ハイアーセルフ(より高くなった自己自身)にずいぶんと助けてもらった。そんな印象だ。
なんだか一仕事したって感じになって、午前中に1時間ほどうたた寝をした。快感を得た。
お昼は冷や麦を茹でて食べた。留守番している僕だけのお昼になった。後片付けも終わった。いまはYouTubeで好きな音楽を聴いているところ。
おやおや、外が幾分か暗くなってきたぞ。日が陰ってきた。直射日光を受けずに済むなら、畑にも出て行けそうだ。
あんなに僕を恐怖に陥れた痛みが、徐々に徐々に弱くなっている。とともに、僕の恐怖指数が軽減して行く。
ほっとしている。
あれはなんだったんだろう? などと思う。
ともかくも僕は此処を通過した。こうすることで、僕は一段の進歩を勝ち得たのかも知れない。
抜けて、出ている。青空へ抜けて出ている。
あれは僕を強くするために仕組まれた「克服材料」だったのかもしれない、などとも思う。
庭のコスモスがいとしく感じられる。そこにそうして咲いていてくれること、それは天の気が利いた配慮のようにも思われて来る。