<おでいげ>においでおいで

たのしくおしゃべり。そう、おしゃべりは楽しいよ。

海が見える温泉を楽しんだ

2021年06月28日 14時12分48秒 | Weblog

大浴場からは青い海が見えた。

湯は肌に柔らかくてつるつるした。肌が滑るようだった。

一泊して3度も湯を浴びた。それも3回とも長々と。

客がいないので、一人占めした。

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ヒマワリひまわり向日葵

2021年06月27日 09時28分12秒 | Weblog

ヒマワリひまわり向日葵。

 

我が家の庭のひまわり。日を回っているひまわり。

咲いた咲いたよ。いいねえいいねえ。

 

我が家にも、夏が来ている。爽やかな夏の朝だ。

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夕方になって北の畑まで行ってみよう。カラス対策をしておこう。

2021年06月25日 15時04分06秒 | Weblog

午後3時。外気温30・3℃。日はまだ高い。照りつけている。少し風がある。室内は扇風機だけで、涼しい。

 

僕は窓から外を見ている。草丈1mを超えているコスモス。茎の先に赤い花をいくつも着けている。それだけで癒される。

 

5時になれば日が傾いて、幾分かは凌げるようになるだろう。そうすれば北の畑に行ってみよう。

 

西瓜と菓子瓜と南瓜が勢いを増している。蔓が大蛇になって畑を這い回っている。それぞれの実も大きくなっているはず。

 

そうしたら烏が大群で空から降りて来て、あっというまに食べ尽くしてしまうかも知れない。危ない危ない。

 

そうなる前に、対策を講じておかねばならない。周囲に網を張っているが、これは猪避け。烏は屁とも思ってはいまい。

 

そこで上空にテープを張り巡らせることにするのだ。彼らは羽を傷つけるのを嫌がる。降りて来て飛び上がるときに、羽がテープに巻き付いてしまうのを恐れる。

 

知恵比べだ。西瓜がおいしくなったら、食欲旺盛な烏は、それでもなお突っ込んでくるかも知れない。そうなればもうお手上げだ。

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今日の僕の童謡詩「お父さんとの思い出が」

2021年06月24日 13時48分42秒 | Weblog

今日の僕の童謡詩「お父さんとの思い出が」

 

いっぱいいっぱいありますね。

いっぱいいっぱいありますね。

大好きなお父さんとの思い出が。

 

いっぱいいっぱいありますね。

いっぱいいっぱいありますね。

裏山へ栗を拾いに行きました。

 

いっぱいっぱいありますね。

いっぱいいっぱいありますね。

何処にでも行って遊んでくださった

 

いっぱいいっぱいありますね。

いっぱいいっぱいありますね。

なつかしい写真になって出て来ます。

 

いっぱいいっぱいありますね。

いっぱいいっぱいありますね。

にこにこの髭の笑顔があふれてる。

 

いっぱいいっぱいありますね。

いっぱいいっぱいありますすね。

自転車の後ろに僕が乗っている。

 

いっぱいいっぱいありますね。

いっぱいいっぱいありますね。

不思議だないまでもずっと生きている。

 

いっぱいいっぱいありますね。

いっぱいいっぱいありますね。

あったかく握ってくれる大きな手

 

 

 

 

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公園に行き、睡蓮を見て来ました

2021年06月24日 13時33分08秒 | Weblog

近くの公園に行って、沼地に咲いている睡蓮を見て来ました。

 

朝の早い時間に。

 

見に来ている人は誰もいませんでした。静かでした。

しばらく沼地の回りを回って眺めました。

 

睡蓮は沼地いっぱいに広がって咲いていました。

純白の睡蓮です。

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贅沢が過ぎる

2021年06月24日 13時32分17秒 | Weblog

部屋の中は涼しい。

 

外は30℃を超えている。日差しがきつい。

 

でも、湿度が高くない。

 

で、涼しく感じられる。

 

窓を開け放って網戸にしている。

 

風が渡る。

 

いい気持ちだ。眠くなる。

 

といっても、午前中も居眠りをしてた。

 

そうそう、何度もは、ね。

 

贅沢が過ぎる。

 

や、ややや、日が陰ってきたぞ。

 

これなら、畑にも出て行ける。

 

畑は草で覆われている。

 

仕事ができる。

 

老爺になっても、こうやって、いっぱし仕事を持てるというのは幸福なことだ。

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濠に睡蓮が咲く季節

2021年06月23日 22時57分21秒 | Weblog

朝寝、昼寝をした。夜になったが、もう寝られない。起きている。

 

そう寝られるもんじゃないなあ。ほりに

 

 

明日は早朝に近くの公園に行って、濠に咲く睡蓮を見たいなあ。

 

睡蓮は朝の早い時間帯にしか見られない。午後には花を閉じてしまう。

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ハイアーセルフという無数の「わたし」。進化を続ける「わたし」という考え方。

2021年06月23日 13時50分40秒 | Weblog

さっきのブログで、ハイアーセルフの名前を使ったけど、ヘンだったかなあ?

 

「より高くなった自分自身」が、別個にいるって、やっぱりヘンかなあ。

 

時間軸を進めて行ったところに、そのハイアーセルフがいる、いや一人ではなくて、縦列に何人でも。

 

肉体の死で終わるように見えているけど、実は終わっていない。にんげんの進歩は切断されない。先へ先へと続いて行く。

 

100年先に一人のわたし、次の100年先にもまた一人のわたし、と言う具合にして、何人でもいる。

 

それがハイアーセルフと呼ばれている存在たち。無数の存在たち。彼らが、現在を生きている拙い「わたし」を守り、助け、導いている。

 

手を引き、後ろから押し、力を貸している。提案し、ヒントを与え、アドバイスもしてくれる。その声を聞くことができる。

 

「わたし」は、完全なわたし、完成されたわたし、完了したわたしへ、ずっと移行を続けて行く。

 

だからいつも「わたし」は道の途中にいることになる。切断がない。死で以て切断されている、という考え方の否定だ。

 

AからBへ、BからCへ、CからDへ、というぐあいにどんどん変化変容して行く。そして「よりよいわたし」への旅を続けて行く。

 

最後には完成された仏陀となる。仏陀になったらワンランク上がって、またそこからABCDEFが繰り返されていく。だから無際限である。永遠である。エターナルな自己である。

 

貝が貝殻を大きくしていくように。貝殻を大きくして、より大きな貝をそこに住まわせて行くように。

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何だか一仕事し終えたって感じ。

2021年06月23日 13時35分43秒 | Weblog

いいお天気だ。天気に「お」を被せたくなるほどの。空の色がいい。

 

外気温は28・9℃もあるのに、部屋の中はそれほどの暑さを感じない。むしろ爽やかさを感じている。湿度が低いのだろう。

 

僕は何処にも行かないで、書斎に籠もっている。座る椅子と机とパソコンが置いてあるだけだから、書斎と言うほどでもないけれど。

 

朝が来るまでに作品を仕上げた。合計3篇。400字のエッセーと540字のエッセーと、60行の詩を。プリントをして封書した。投函も済んだ。

 

原案は昨日の朝。原案の卵を、昼、夜、早朝とあたためて、孵化させることができた。今回は、ハイアーセルフ(より高くなった自己自身)にずいぶんと助けてもらった。そんな印象だ。

 

なんだか一仕事したって感じになって、午前中に1時間ほどうたた寝をした。快感を得た。

 

お昼は冷や麦を茹でて食べた。留守番している僕だけのお昼になった。後片付けも終わった。いまはYouTubeで好きな音楽を聴いているところ。

 

おやおや、外が幾分か暗くなってきたぞ。日が陰ってきた。直射日光を受けずに済むなら、畑にも出て行けそうだ。

 

 

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抜けて出ている。青空へ抜けて来ている。

2021年06月22日 07時24分42秒 | Weblog

あんなに僕を恐怖に陥れた痛みが、徐々に徐々に弱くなっている。とともに、僕の恐怖指数が軽減して行く。

 

ほっとしている。

 

あれはなんだったんだろう? などと思う。

 

ともかくも僕は此処を通過した。こうすることで、僕は一段の進歩を勝ち得たのかも知れない。

 

抜けて、出ている。青空へ抜けて出ている。

 

あれは僕を強くするために仕組まれた「克服材料」だったのかもしれない、などとも思う。

 

庭のコスモスがいとしく感じられる。そこにそうして咲いていてくれること、それは天の気が利いた配慮のようにも思われて来る。

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