市民の方より「名著復刻版 日本児童文学シリーズ」(ほるぷ出版)を図書館に寄贈がありました。
本物の古書は一般開架に出すのは非常に難しく、書庫で保管中だが、この復刻版は現代の技術で製本されたものなので、一般図書として装備準備中。
1891(明治24)年の児童書はご覧のとおり。(写真にクリックすると拡大されます)
日本語で書かれてあるとしても、どんなこと書かれてあるか、ちんぷんかんぷんです。
今の児童書に比べると非常に難しく書かれてあるのに、明治時代の子どもたちはこの本でも読めたらしい・・・。 これは書庫で保管されている大正時代に発刊された、「日本鐵道案内書」
山口県の日本海と瀬戸内海を結ぶ、陰陽連絡線の美祢(みね)線(長門市~厚狭)の前身は大嶺線。
大嶺をひらがなにすると「おおみね」だが、昔は「おほみね」。
ちなみに長門市延伸に伴い、本来の終着駅だった大嶺駅はわずか2.8キロの支線に格下げ、今から10年前の1997年に廃止。
大嶺は「谷に眠る終着駅」にふさわしく、秘境駅でした。
東京からクルマで実家に帰るときは中国道・美祢インターを降り、新しくできたバイパスを通るよりも旧道沿いの大嶺駅に何度か寄ったことを思い出します。 在りし日の大嶺駅。(廃止直前の1997年2月下旬撮影)
明治時代から使われていた駅舎が取り壊されてしまいました。
(上と同じ場所で2003年撮影) 年代は書かれていなかったが、「辛酉」の文字をヒントに調べたところ、1861(万延2)年の国語辞典。
中国語みたいに漢字だけで綴られていて、明治に比べると全く読めなくなりました。
150年前の日本では、このような文字でのやり取りが行われていたなんて信じられないな・・・。
もし、100年後の人間がこのブログを読んだとしても、まるで明治時代の文書を読んでいるかような気持ちになるかも知れませんね・・・?