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小笠原・硫黄島の昔

2009-04-01 01:16:19 | 小笠原

 株式会社NTTドコモ モバイル社会研究所 No.15号(2009年3月25日発刊)に大変興味深い記事を見つけました。
 
 ・そこに社会があった -硫黄島の地上戦と<島民たち> 石原 俊
 (リンク先にクリックすると、本と同じくPDF形式で閲覧できます)

 「小笠原・硫黄島ツアー」は1つもないので、同じ都内でありながら上陸が非常に難しいところ。
 硫黄島に長い滑走路があり、自衛官の航空訓練や食物や飲用水などの物資輸送機の発着に使われているみたいです。
 空港コードは「IWO」、国内線の飛行機でも発着可能。

 1937(昭和12年)の地図も硫黄島村役場、学校、警察、温泉などの位置が判明しているし、硫黄島村(硫黄島と北硫黄島)の人口推移などのデータも盛りだくさん。
 硫黄島に関する昔の資料はなかなか見つけにくいので、この情報は大変勉強になります。

 1895(明治28)年の硫黄島は男6人だけで開拓、ほぼ50年後の1944(昭和19)年の人口は216世帯、男性629名、女性535名 合計1164名。
 アメリカ軍が硫黄島を内地への攻撃航空基地にしようとしたため、1944(昭和19)年に全員を内地に強制疎開し、日米両軍が玉砕した島として有名になっています。

 もちろん、そこで駐在する自衛隊の話では、夜間は絶対に外に出てはならないそうです。
 硫黄島の現象は こちら
 
 青ヶ島は載っていなくてほっとしました。
 大好きな島なので、こういうものがなければよいです。

コメント
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