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軍事郵便&昭和20年8月15日消印

2009-04-21 00:00:00 | 郵便局・切手

0904210004  軍事郵便といえば、映画「硫黄島からの手紙」が有名になっています。
 戦時中は徴兵され、自分の赴任地を家族に伝えてはいけないきまりがあったのか、宛先は「木更津航空隊基地気付」。
 木更津航空隊で集められたはがきや手紙を飛行機に乗せ、命がけで操縦する場面もありました。
 戦場で心待ちしているものは家族からの手紙や小包だそうです。

 青ヶ島も昭和30年代だと電話もなく、郵便物を乗せた船が3、4ヶ月ごとに来るので、消印が2~3ヶ月前のものがほとんどだったらしい。
 ところが、今は青ヶ島からでも午前8時までに投函したものはヘリコプター、その日の夕方、八丈島からの飛行機で新東京支店(江東区)に運ばれ、首都圏なら翌日には配達されてしまいます。逆に内地からは八丈島に到着したものを翌日の午前中に出るので、翌々日から3日後。
 およそ50年の間に離島やへき地からの郵便輸送は劇的にスピードアップ。

0904210003  これは原爆の悲惨さをいち早く伝えた「はがき」。
 長崎県「大村郵便局」の消印、昭和20年8月15日付。
 昔は左から読むのではなく、右からになっています。


 昔の人は今みたいにパソコンがないため、達筆が多いです。
 内容は(一部抜粋)

 周囲の山は一木一草枯れ尽し、正に死の色を呈して居ます。赤黒い死体は、或ひは躍ったやうにし、或ひは椅子に掛けたまゝあちこちに散見せられ、新型爆弾が如何に大いになる力を瞬間的に発揮する ・・・・

 昭和20年8月14日に大村市内のポストに投函、終戦の日の15日に消印。
 当時の郵便局は原爆と終戦の混乱の下でもきちんと3日後に配達していたことを、このはがきは証明していることがわかります。

コメント (2)
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