月曜日のテレビでタイタニックを取り上げられていたのは、日本橋の三越で開催中の「タイタニック号展」の影響もあったかも知れません。
・進水100周年 豪華客船タイタニック号展 (日本橋三越)
3月2日(水)~14日(月)
入館料 一般&大学生 800円/中学生・高校生600円/小学生 無料
1909(明治42)年3月31日 起工
1911(明治44)年5月31日 進水
1912(明治45)年4月10日 イギリス~アメリカ・ニューヨーク航海初デビュー
1912(明治45)年4月15日 沈没
氷山に接触、完全に沈没するまでおよそ2時間。
100歳の現役医師の日野原先生も1911(明治44)年10月4日生まれですので、タイタニック号は翌年の初デニューに備え、準備中だったと思われます。
現在もなお、海底3600メートルでタイタニック号が当時のままで眠っていると思います。 1999(平成11)年1月29日。
何のために大阪に行ったのか、なかなか思い出せなかった切符。
大阪港?だったのか、よく覚えていませんが、タイタニック展を見に行くための切符でした。
海底3600メートルで眠る船体の写真や回収された遺品の展示だったと思います。
田舎に帰ったときに次いでに買ったので、切符の発行箇所は門司駅でした。
当時のマルス(指定席発行端末)は緑色のピンを差す旧式のパタパタ型でした。
コンピュータのメモリが非常に高額なMS-DOS時代なので、駅名は今のような漢字のフル表示ではなく、半角カナ4文字の暗号めいた電報略号。
下関 → ヒロセキ(ヒロは広島鉄道管理局と、下関の略 セキ)
東京 → トミトウ (東京南の トミ+東京の略 トウ)
新宿 → トニシク (東京西のトニ + 新宿を2文字に短縮すると「シク」)
小倉 → モシコラ(門司のモシ+ コラ) 鹿児島線 → カコシ など。
平成の初めころ、新宿駅で長門二見までを注文したところ、山陰線のページを開いても超マイナーな駅名が出て来ないと悪戦苦闘。「ヒロフタです」教えると、すんなりと発券。
そこまで覚えなくてもいいのに変わり者の客だと思われたかも・・・。