12月 1日(土)から12月11日(火)まで × 連続欠航11日。
12月12日(水) ○就航
12月13日(木) ○就航
12月14日(金) ○就航
12月15日(土) ×欠航
12月16日(日) 日曜日のため運休日
12月17日(月) ○就航
12月18日(火) ○就航
12月19日(水) ×欠航
12月20日(木) ×欠航
12月21日(金) ○就航
12月22日(土) ×欠航
12月23日(日) 日曜日のため運休日
12月24日(月) ×欠航
―――(ここからは予想)―?―
12月25日(火) ○就航 代替船の最終就航日
12月26日(水) ×欠航
12月27日(木) ○就航
12月28日(金) ○就航
12月29日(土)~1月2日(水)年末年始のため運休日
1月 3日(木)から営業開始ですが、今までのデータを見ると欠航になる確率高そう。
13時59分着、14時14分発なので、わずか15分の滞在です。難読駅だというのに、パソコンや携帯電話も固有名詞として登録されているようです。
携帯電話も「してぐ」を入力しただけでも、次に来る漢字の候補は「為栗」と出ていました。
山口県の日本海側、「特牛(こっとい)」も地元の人でなければ絶対に読めないはずなのに、パソコンや携帯電話では一発で変換できます。
為栗も駅前に何もありません。飯田線の歴史は古く、昭和1ケタ時代に敷設した三信鉄道時代なら、こんな場所でも駅としての需要があったかも知れません。
駅前に大きな橋がかかっていて、この写真は駅方面。
今はもうクリスマスですが・・・撮影日は11月23日。紅葉真っ盛りです。
秘境駅だというのに、住民なんですかっ!?
為栗の話はまだまだあります。ゴールの飯田は年明けかな。
今日は国王様のお出ましでした~!!夕食時に昨夜録画した幽霊のDVDを上映。
すると、「君は幽霊が見えるとか、有名らしいだが?」「ははっ、さようでございます。しかし、子供のころはよく見えていて、大人に言っても全然信じてくれなかった。だから、あまり人には言わないようにしているんです」
今まで胸に秘めていましたが、幽霊に助けられたことはあります。
2006(平成18)年、クルマを買い替えて初めて奥多摩へ。青梅~奥多摩~奥多摩湖~奥多摩周遊道路~檜原村数馬のルートでドライブ。真夜中というわけではなく、明るい昼間の3時か4時頃。奥多摩湖では晴れていたのに、周遊道路で標高が高くなるつれに雲行きが怪しくなり、土砂降り。道路の左側に若い男が立っていました。傍らにバイクが置いていれば、ライダーということはわかります。バイクがないのに、どうやってここに来たのか?雨が降っていて檜原方面の足がなくて困っているのか?と頭をよぎり、ブレーキをかけながら様子を見ました。全然反応せず、じっと下に俯けたままです。おかしな人もいるもんだな~と思いながら通過。しばらくすると、カーブの対向車線から曲がり切れず転倒したバイクが飛び出して来ました。
ライダーは倒れる前に手放したのか無事。車への接触はありませんでした。しかし、こっちは心臓が止まりそうになり、「気をつけろ!このバカが!」とカーッとなったのですが・・・あとで冷静になって考えていれば、さっきの人を見かけていなければ間違いなく事故に巻き込まれていたはず・・・。
助手席に乗っていた父に「さっき、道端に人がいた?」と一応確認のため聞きましたが「いや、そんな人はいなかった」。その時点でユーレイだとようやく気づきました。あれ以来から周遊道路を運転するときは、下り坂でも速度を出さない、カーブの手前に差し掛かる前に飛び出してくるのを予測しながら慎重に運転するようになりました。
ユーレイと言っても、テレビに出ていたように白目を向いていたり、この世のものではないような恐ろしい容姿ではなく、どこにでもよく見かける普通の人。ユーレイは足がないとよく言われますが、ちゃんと足が地面についていた姿でした。
もう1つ、不思議な現象。平成21(2009)年、友人らと小笠原の母島を旅したときのこと。最南端の南崎に行くのに、遊歩道をおよそ1時間歩かなければなりません。アップダウンもあり、少しハード。背中にリュックを背負い、歩いていました。「はぁ~、疲れたな」と歩くスピードを少し落とすと、背中から「頑張れ!頑張れ!」と言っているかようでツンツンと手で押すような感覚が何度も。後ろにおのっちが歩いていたから、彼が私を励ましているかと思っていました。
「私は頑張っているから押さなくてもいいですよ~」
「全然押していないってば~!!」
「あんたが頑張れ、頑張れ!と押したんじゃないの!?」と決めつけるような口調(手話)で追及しても、「断じて全然押していないっ!!」
あれはユーレイではなく、森の妖精???
・2009年8月にも同じようなことを書いていました。 当時の様子は こちら