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浜原駅改札を出て、右側にある建物。
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開校100年記念碑でした。1975(昭和50)年で100年前だとしたら、1875年(明治8)年。
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二宮尊徳(にのみや たかのり)像。早くも両親を亡くし、親戚の家に預けられた尊徳は朝暗いうちから夜遅くまで一生懸命働き、わずかな時間も無駄にせず勉強をして、江戸時代後期の思想家となりました。薪を背負っているのは、当時のエネルギー源になるものとして需用が高く、売り歩くため。少しでも勉強する姿は子どものお手本として、木造校舎の校庭にかならずあるほどです。現在の小学校はそのような像は滅多に見かけませんが、古くからある小学校なら必ずありました。
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真っ暗ですいません、小笠原村父島にある「首なし二宮尊徳像」。場所は、夜明山の旧日本海軍通信所跡付近の旧小学校校庭。
米軍の爆撃で首がもがれたままになっています。頭は米軍が記念に持ち帰ったという通説あり。
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開校100年記念に贈られた「心の○」。
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140年目になるので、新しい校舎に建て替えたかな、と思い、さっきネットで調べてみたら、なんと!!2004(平成16)年で閉校。現在は校舎を改修し、何かの施設として使われているかも知れません。