東京アイランド

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台風トリプル発生

2016-08-20 17:05:43 | 2014~2022青ヶ島

 2016年7月3日にようやく1号発生。沖縄の南、台湾へ。2号は7月24日、南鳥島近海。3号は7月26日、ベトナム。1~3号は日本に接近することはなかったが、8月に入って、4、5,6,7,8,9,10,11号、7個も発生。
 普通なら、赤道付近で温帯低気圧発生し、台風になって沖縄から九州にかけて通るのが昔のパターンなのに、想定しない場所に発生。北海道に2回も上陸し、東北の太平洋で発生した11号も北海道へ。11号のあとを追うように9号も同様なコースになりそうです。八丈島の東側で発生した台風10号は北上せず、西進し、四国沖を通って、鹿児島の南に達したあとはしばらく滞るそうです。今まで台風が北海道に近づく前に勢力が衰えるはずなのに、今年の台風はなぜか異常。開通したばかりの北海道新幹線に嫌がらせか!?10号が鹿児島と沖縄の真ん中に滞ったままだと、土用波が三宝港に届き、欠航になる確率も高くなってしまいます。あおがしま丸代船の「ゆり丸」も来週いっぱいはムリなのかも知れません・・・。
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超弱火で野菜炒め

2016-08-20 15:33:16 | 麺類・パスタ
 8月19日の夜、スマスマの番組で放映された、野菜炒め。今までの作り方は、まず、硬い野菜(人参、ピーマン、玉ねぎ等)を強火で炒め、豚肉、キャベツ、もやし投入。これだと、中華料理店で食べるようなシャキシャキとしたものではなく、ベトベト。うーん、イマイチ。

 水島シェフの常識を翻ってしまうような作り方に唖然。

 人参の切り方も、強く切ると中の細胞が壊れて水分とともに旨みが出てしまう。包丁の先っぽでゆっくり優しく切る。強く切ったときは表面に水が出ているのに対し、テレビでやっていたとおりゆっくり優しく切ってみたら、なるほど水分は出てこない。

 フライパンに野菜だけの材料を乗せ、手で均等になるように混ぜておく。火にかける前なので、もちろん火傷の心配はなし。
 それから、少量の油を野菜に注いで、韓国のチョレギサラダのように和えるシーンは衝撃。だって、野菜炒めを作るのに、まるで生野菜のサラダを作るようなもの。
 準備を整えたら、超弱火で火をかけます。
 3分くらい経ったら、上下をひっくり返します。固い野菜(人参やゴーヤー)は電子レンジでチン。テレビでは、「湯通し」をやっていましたが、我が家では硬い野菜はいつも電子レンジ使用。
 もう1つのフライパンを用意し、豚肉に塩コショウをかけて弱火で火が通るまで焼いておく。
 好みの調味料をかけて炒める。フライパンの真ん中を空けておき、少量のゴマ油を注ぐ。最後に強火で30秒間。できあがり~!!

 水島シェフに教わったとおりに作ってみたら、水っぽさもなくて、野菜の旨みをまるごと封じられたまま。ベトベトではなく、シャキシャキ。今までの野菜炒めとは全然違う。美味しい~!! 
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東京から28時間半、やっと最終目的地の母島

2016-08-20 01:32:05 | 2016小笠原

 東京を発ってから28時間半。ここがやっと最終目的地。人口400名程度の母島。

 母島は父島に比べると、とてもひっそりしているのに、母島に直行したがる理由は何だろうな??ずっと昔、山口県のな~にもない、小さな漁村で暮らしていました。日本の首都、トーキョーに住みたいと憧れ続け、それが現実になったのもつかの間、休日は檜原村や奥多摩へ。夏になれば、目指せ!伊豆諸島全島制覇!とか言い、いきなりの思いつきで「今日は利島だっ!」と竹芝桟橋へ。無茶を仕出かしても平然な若気の至り、20代の話。利島は朝到着したばかりの船で飛び入り宿泊でもOK、しかも、夕食は他の宿泊者と一緒にいただく食堂で刺身や煮つけをどーんと次々と運ばれてきてビーックリ!!ということも・・・。でも、利島は1度きりで、似たような秘境の青ヶ島はリピータになってしまいました。利島の存在はお隣の伊豆大島に奪われがちですが、利島もすごくいいところだと思いますよ。都心に憧れたつもりが、なぜか田舎が好きになってしまいました。

 沖港の真正面。観光協会とははじま丸切符売り場の建物です。

 父島で鋏を入れたときの鋏痕。國鐵廣島鉄道管理局の鋏痕は、ア行の駅なら、□、イ行は三画ベース、ウ行はM型、エ行はトンネル型、オ行は凸。長門二見駅はウ行なので、M。綾羅木、滝部はア行だから□。吉見や小串はオ行で凸。そんな法則を見出したのは小学生のころ。首都圏は、自分で切り込みを入れてキセルを企むのに防止するため、廣島では見たことのないようないろんな形の鋏。

 ははじま丸利用者の乗客マナーは抜群。使った毛布をもとにあった場所にしっかり折りたたんで置いています。

 7年ぶりに母島にものすごーく浮かれてしまいました。友人の姿が見えません。切符は私が持っているので、しばらく待っていたら・・・

 「冷蔵庫に入っていた飲み物忘れていたよー」
 「あっ!!」
 常温は苦手なので、キンキン冷えた状態で楽しもうと冷蔵庫に入れたままでした。旅先でいつも浮かれて、何かモノを忘れるという私の性格はもうすでにお見通し!という友人は賢明。浮かれると鉄道員みたいに指差し呼称を怠ってしまうけど、友人はちゃんと最後まで忘れ物はないか、確認してくれるので本当に助かります・・・。
 母島に降り立つと、夕方のツアーを予約していたクラブノアさんのプラカードを持ったスタッフさんに「○○さんですね~。今日の5時半に、クラブノアで集合でーす。場所、わかりますよね?アンナビーチから歩いて3分!」と簡単な手話で教えてくれました。そのとなりに若い男の人。「このツアーは何時頃で終わりますか?」と手話。内心、この人何言ってんだろう?スタッフなんだから、「何時で終わるかはお任せしますよ」と返事。「あの、その・・・」ぎこちない手話。「あなたはスタッフじゃないんですか?」「母島手話サークルです。今日は送別会がありますので、宿の食事が終わったら、ぜひ村役場の集会室に来てください」「はーい、わかりました」あのね、ですね・・・。ツアーを行うスタッフと横並びするような立ち方じゃなくて、「母島手話サークル」って書いたプラカードまたは大きな紙を胸の前に出しておくべきなんですよ~!(笑)母島という土地柄なので、まあ、それくらいは「よし」。たぶん、手話を流暢に話せる小笠原郵便局のおかげで母島に連絡が行ったかも!?父島、母島も手話サークルがあり、ろう者が来たら、積極的に交流して手話フレーズを覚えていこうという意図もあるそうです。
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