去年11月頃、2012年のカレンダーを入手し、真っ先に確認したのは祝日。
土曜日が祝日になった年はあまりなかったというのに、今年は4日も!!
2月11日(土曜日) 建国記念日
5月 5日(土曜日) こどもの日
9月22日(土曜日) 秋分の日
11月 3日(土曜日) 文化の日
明日(2月11日)も出勤。今までは土曜日が祝日と重なった場合でも祝日出勤とみなし、代休がもらえたのですが、平成22年度から廃止になりました。
年に4日もあり、なんだか今年は・・・・とうすうす感じている人も多いのでは・・・?
土曜日が祝日と重なった場合、前日の金曜日を振替休日とするという祝日法を改正して欲しいな~とネットで調べてみたところ、タイ王国のみでした。(月曜日を振替休日にしているようです)
祝日が日曜日に重なっても、振替休日を実施しない国はお隣の韓国、スウェーデン、ウズベキスタンなどの国。
返却された本をパラパラめぐって、中に何かはさまれていないかチェック。
大切なお知らせのハガキや個人情報の入っている公共料金や医療費の領収書がはまれていたら、その場でお返しするようにしています。
感熱紙のレシートや、磁化券の特急券は紙のリサイクルに回すことができないため、「燃えるゴミ箱」行き。
今回は、おや?と思えるレシートが出てきました。
東京 → 市川 グリーン券 平日 1,000円。
東京から市川まで、およそ15キロ、運賃は確か290円、わずか20分だというのに、グリーン車!?私だったら、20分の乗車にグリーンは乗りません。普通車で十分。
車内でグリーン券を購入すると、事前購入よりは高くなってしまいます。
50キロまで 平日750円(車内清算1000円)、ホリデー550円(車内清算800円)
51キロ以上 平日950円(車内清算1200円)、ホリデー750円(車内清算1000円)
東京から八幡宿までなら、48.6キロ、50キロ以内のギリギリまでフルに使えます。
ところが・・・・東京から五井まで52.3キロ。わずか2.3キロを超えているため、51キロ以上。
自由席特急券も、蘇我まで50キロ以内なので、ワンコインの500円。五井までにすると、料金が一気に跳ね上がり、900円。400円を浮かすため、1本前の各駅停車で蘇我に行き、そこから特急を利用したほうが賢明。
グリーン券も、東京から50キロ以内に収まる八幡宿までにして、それ以降は隣の普通車両に移したほうがよい。
このような節約できる乗り方を工夫している私から見れば、東京から市川、車内清算でグリーン券1000円は非常に高いっ!!と目玉が飛び出してしまいます。
君津から沼津ゆきのグリーン券を事前に求めると、51キロ以上平日950円になります。距離は207.5キロ、全区間快速の要所時間は3時間半から4時間。
わずか20分でグリーン料金1000円、3時間半から4時間かけてグリーンの快適空間を味わって950円。
損得計算をしただけでも、大きなギャップが・・・。
グリーン車は事前購入と車内清算の差は250円。特急券を買わずに乗ったとしても、「特急券を拝見しま~す!特急券をお持ちのない方は、清算します」と携帯POS(小型乗車券発行機)を片手に検札。車内で清算しても、事前に購入した特急料金と同額。快速のグリーン車だけ、車内で購入すると損してしまいます。
首都圏の快速は「グリーン車」が連結されていますが、京阪神圏の新快速に「グリーン車」はありません。
京阪神圏の人々は少しでも安く買うこと、ムダを省くという処方術が好まれていて、普通車でも快適な転換クロスシートがついているのに、首都圏のようにグリーン料金まで取るのはボッタクリに捉えてしまいそうです。
首都圏に住んでいながら、少しでも安く乗れる方法を考える私は根本的に関西人!?
たとえば、五井から東京まで950円。
五井~西千葉 230円
西千葉~西船橋 290円
西船橋~東京 290円 指定席券発売機で3枚に分けて購入すると、810円。なんと140円を浮かしてしまいます。(往復280円)
もちろん、裏面の磁気情報に入場記録がないため、有人通路で3枚を差し出します。駅係員が3枚チラッと見て、「はい」と頷くわけですが、「少しでも安くするためにわざわざ分けるなんてせこいな」と思われたかも知れません。
毎週の新刊をチェックする職場ですので、「これは面白いな~」と思える本と出会うときがあります。
「昭和ちびっこ未来画報」は目を見張ってしまいました。
1950年代から1970年代(おおまかにいえば、昭和30年~昭和50年前後)に発刊された、子供向けの雑誌に今から50年後、100年後の未来予想図が掲載されていました。
三丁目の夕日に出てくるような昭和30年代(1958年頃)から50年後はちょうど現代。
この絵を描かれた時代から見れば、私たちは未来人ということになります。
暮らし、交通、ロボット、コンピューター、宇宙、終末の6項目に分けての紹介になりますが、「おお~!50年前では妄想していたことが今の時代では実用化されているものがあるな~」と感心しながら読んでしまいました。
50年前のテレビ電話予想図は、テレビのようなモニターをアナログ電話機に接続し、お互いに顔を見ながら会話する絵でした。
スマートフォンやipodの端末とWiFi(無線LAN)の環境さえあれば、世界どこでも顔を見ながらリアルタイムで手話ができる時代になりました。
ビルの屋上にヘリポート設置、ヘリコプターで移動できる絵は、実用化。しかし、空飛ぶ自動車は現実化できず。
1950年代に思い描いていた魚の群れを探り水中や水底の状態を測定分析する魚群探知機はすでに1980年頃から実用化。
空中飛行鉄道のモデルは、今の千葉モノレールかな。自分が歩かなくても、移動してくれる「動く歩道」は東京駅の京葉線ホームで実現化。
おや?と思えたのは、全自動食事製造機。ボタン1つで、自分の食べたいメニューを機械が料理してくれるシステム。これは今から100年後の2112年では、現実化できそう。
台風が襲ってきそうになったら、台風を撃退するマシンも出てくるだろうという構想はなかなか現実できません。今の時代になっても、自然の力にはなかなか勝てませんし・・・。
昭和30年代の人が50年後を思い描いたファッションは上下つながったピチピチの「つなぎ服」のようなものばかり。これは残念ながら、未来人にとってウケる衣装ではありませんでした。(笑)
50年前が思い描いた未来の郵便は、ロケットのようなものを飛ばし、遠方でも即日配達。
携帯電話のような電子メールという、発想はなかったみたい。
上映中の三丁目の夕日’64に関連付けるかように「写真と資料で読む昭和39年大図鑑 三丁目の夕日の時代’64編」が発刊されました。
1964(昭和39)年は東京オリンピック開催年であり、世界中の人たちが東京にやってきます。
汚いもの、危ないもの、恥ずかしいものを海外の人には見せるわけいかないので、急ピッチで首都高速敷設、東京モノレール、東海道新幹線開通。汲み取り式の和式は海外からのお客さんに対しては恥だからと洋式に下水道はこの頃から普及。昭和39年は日本が最も輝いていた時代かなと思います。
2月7日の朝早くから大雨が降っていました。こんな天気でもキジバトちゃまが来ているかな~?と思ったら、来ていました!!
今まで雨の日は来なかったというのに、最近はまめに来てくれますねぇ~!!
大雨のさなか、傘を差さずに自転車に乗っても雨粒が目に当たり、なかなか進まないはずなのに、キジバトちゃまは雨の中でもうまく飛べられるのですか?人間だったら、体を濡らしたままだと風邪をひくはずなのに、キジバトちゃまは羽毛をレインコート代わりにしているのですか?といろいろ聞いてみたいです。私も動物と話せるハイジさんみたいになっていればいいですけど・・・。
我が家によく来てくれるのは、1羽と、2羽のつがい(雄雌いつも一緒の夫婦)。
まず、1羽のキジバトちゃまが遊びに来ると、2羽のつがいがその1羽を追っ払ってしまいます。
普通の歩き方は、ヨチヨチ歩きでかわいいのに、追っ払うときは猛スピードのダッシュで。
キジバトちゃまの走る姿は速いです。ダッシュで追いかけると、追いかけられるほうもダッシュ。
2羽のつがいがいなくなるのを見計らい、「あの夫婦は私をよくいじめるんです」と再びやってきて、「さあ、私にもくださいな」とおねだり。
なんだ、こりゃ?同じ仲間同士なんだから、以前みたいに仲良くしなさいよ!!(写真は2011年7月撮影)
2月6日。ドックおじさん(父)の糖尿定期検査日。
糖質制限食開始後の1ヶ月目の12月はヘモグロビンの値が5.7を記録。今回は、糖質制限食開始後4ヶ月目、検査の結果は・・・・・なんと!!5.4。(※4.8~5.8までが正常値)
(糖質制限食開始前は1日3食 銀シャリ(白米のごはん)に食後の甘いデザート付きは6.1~6.5のレッドゾーンをさまようばかりでした)
お医者さんが笑顔で「短期間でこんなに下がるのは素晴らしいですよ、よく頑張りましたね!!」と褒めていました。
「今回の投薬はありません。薬なしで維持できるかどうか、2ヶ月後もまたいらしてください」
ドックおじさん(父):「山口県に住んでいたころの医師は金儲けしか考えないインチキだったな。2週間ごと、採血に行って、薬をもらって・・・」
私:「それを何年続けたの?」
父:「10年くらい」
私:「なぬっ!?10年間も、2週間ごと行って、採血と投薬?この医師は詐欺に等しいじゃないの!?」
父:(しかめっ面にして)「毎年、お中元として私が獲ってきたアワビとサザエをインチキに貢いでいたな」
私:「インチキだとわかっていれば、ほかのまともな病院に変えるとかそうすればよかったのに!!」
父:「山口県の漁村は何も情報がなく、医師を神様と崇めていたからね」
全国のどこかでネギをしょったカモだと、治療費だけを取ることしか考えないヤブ医師もいることも忘れなく・・・。
今回のかかりつけは、患者の健康を第一に考える優秀な医師なので、信頼関係もよいです。
糖質制限食を始めたころは、食後の習慣だった甘いデザートがなくて、かなり苦労していたみたいですが、慣れてしまえば、食後に甘いものは忘れてしまいます。
今はブラックコーヒーで十分という状態に変わってしまいました。
「主食を抜けば糖尿病は良くなる!糖質制限食のすすめ 」(江部康二先生)の書いた本は本当に参考になります。
・詳しくは amazon
2月5日(日) 午前7時。キジバトちゃまが「おはよう」とわざわざ窓のところに飛び降りてきました。鳴き声で呼んでも私たちはなかなか気づかないということは知っているのか、わざわざ見えるところに来てくれます。
毎朝、キジバトちゃま専用の飲み水をチェックしているのですが、ほぼ毎日氷が張っています。
今日はいつもよりは非常に寒かったせいか、分厚い氷が・・・・。
薄い氷だったら、突っつくだけで水は飲められます。今日は嘴(くちばし)が折れそうな厚さになっていました。
今日は出勤なので、キジバトちゃまの様子は見られませんが、親から聞いた話です。
畑で作業をしていたら、キジバトちゃまが足元の近くまで飛び降りて来ました。
父が(ホラ、この前の大豆があるんでしょう、あっちに行きなさい!)といつもの場所に指差すと、(昨日の節分豆は美味しかったですよ。それより小麦はありますか?)とまるでおねだりするような仕草。
小麦を与えると、大豆そっちのけでパクパク・・・・。「そっか、小麦が大好物だったのか~」 今日の夕食。新メニューの「もやしビーフン」でした。
ビーフンの原料は「米」なので、炭水化物が含まれています。
それを完璧に取り除くメニューはちょっと大変・・・・。
2月3日(金曜日)の夜、父が「鬼は外~!福はうち~!」と豆まきをしたらしい。
北北西に向かって恵方巻を食べたがったのですが、炭水化物(ごはん、パン、麺類)は昼のみなので、夕食はなし。
今朝、夜が明けたとたん、キジバトちゃまがおいしそうに昨日まいた豆をきれいについばんでいたとのこと。なるほど、市販の節分用豆はすでに煎ってあるので、人間も食べられます。
最近は、朝早くから遊びに来るようになりました。キジバトちゃまって意外と早起き。
明るくなったら、真っ先にわが家に飛んでくるみたいですが、夏だったら、朝4時や5時になってしまいそう・・・。 今日のランチ。バターで舞茸と玉ネギを炒め、ツナを加えます。
パスタ麺が茹で上がる直前に水菜を加え、しんなりしてきたらお湯を切る。
粒マスタードソースとマヨネーズを加えたものをパスタソースにしたものですが、麺に何か味がついていなくて、ちょっと物足りない感じ。豆板醤を少し加えたほうがよかったかも・・・。 真鯛の1パック 700円。これは買える値段だけど、マグロだけは非常に高い。ビントロや大トロなどは1800円や2000円以上。
母がそれを夕食の刺身に買おうと思っていたみたいですが、「安いブツ切りでいいじゃないの?ブツ切りでも美味しく食べられる方法あり!!」と2パック1300円のブツ切り購入。 これが初めての新メニュー。
いつものとおりの刺身にすると、ワサビと醤油になってしまいます。
これだとどうしても、ごはんが欲しくなってしまうので、ごはんの代わりにレタスと青シソを下に敷いてあります。
マグロのブツ切りを醤油でしばらく漬けておきます。オリーブオイルで揚げたガーリックチップを乗せ、白髪ネギと貝割れ大根、食べるラー油をかけたものです。野菜と一緒に食べると、ごはんを欲しなくてもいいようにちょっとした工夫。
いつも新しいメニューを作ると母の顔色を伺ってしまいます。まあ、毒見のようで申し訳ないですけど、眉間にシワを寄せていたら「まずい」。普通の顔をしていれば「美味しい」。今回は後者のほうなので、ほっとして私も食べてみたら、ごはんがなくても美味しいです。
母が「ピリ辛さがちょっと足りないような気がする。韓国のコチュジャンをもう少し加えると美味しいかも」とのこと。
青ヶ島の島ラー油は島の唐辛子で作られたものなので、これを使えばちょうどよい味に仕上げていたかも知れません。市販のラー油なら、コチュジャンも少し加えてみます。 手前は母のひじき、玉ネギ、さつまいもの天ぷら。
(注:イモ類は炭水化物がかなり多いほうです)
今度の月曜日は2ヶ月ぶりに父の定期検査へ。
ごはん、麺類、パンの炭水化物は昼のみの糖質制限食を始めてから1ヶ月の検査でヘモグロピンが正常値以内の5.7に下がりました。
あれ以来から甘いものを食べたのはご褒美としてのクリスマスケーキのみ。
今度は5.7より下がるかどうか・・・・。もし、この値よりも下がっていたら、投薬はなくなるかも知れません。
1912(大正元)年、鉄道院木更津線の蘇我~姉ヶ崎間が初めて開通。千葉県営鉄道久留里線とし、木更津~久留里間も開通。
ちょうど今年は100年目になります。往年を懐かしむために 2月10日から12日までの3日間、昭和24年製造のC61形の蒸気機関車が昭和20年代製造の旧型客車(オハ47、スハ42など)をけん引するイベントが行われます。 しかし~、この販売方法に大きな問題があります。
5年前の2007年もD51 498がやってきたときは乗ろうと思っていたのに、指定席券が完売し、なかなか乗れなかった。
満席のはずなのに、車内をのぞいてみると、空席が結構目立っていました。
指定席券は510円なので、マルス券(切符)に印字される臨時列車名を記念にとっておこうというコレクターがいるみたい。キャンセルすると、手数料は320円。手元に戻ってくるのはわずか190円になります。戻ってくる額が少ないからとそのままにしている人が多い。
それで、本当に乗りたいと思う人がたくさんいても、マルス(みどりの窓口の端末)では満席になっているので、「あいにくですが、満席です」と断られてしまいます。
ネットオークションの「SL 内房」のキーワードで検索すると、転売目的のダフ行為が見られます。
JR東日本の「びゅう」が企画した、ツアーセット券は、みどりの窓口のオンラインによる予約を受け付けないためにあらかじめ指定席を抜いておいたもの。
東京から木更津まで往復乗車券、グリーン券、お弁当付きで4900円。
東京~木更津 往復2560円+SL指定料金1020円+グリーン1500円、これだけでも5千円超えてしまいます。弁当代は無料、良心的なツアーだというのに、オークションで最低12700円、24800円即決という、はたから見てそのダフ行為は非常に悪質。
510円で購入し、3千なんぼとかのプレミアムもついているし・・・。
JRのオンラインシステムのマルスに頼らず、本当に乗りたければ、当日中に並んでおいた乗客にあらかじめ発行しておいた指定席券を1枚ずつ配布すれば、公平さを保つことができるはず。
JR側もそういった、人気列車の販売方法に一考を!!
2月2日(木)今朝7時。今朝は珍しく寒さが和らいだのか、真っ白な霜はありませんでした。
庭先の窓を開けてみると、なんと、朝早くからキジバトちゃまがずっと待ってくれました。
父いわく、「こんなに朝早くから来ても、飲み水の交換ができないじゃないか」とボソッ。
まあ、毎日来てくれるってことは、キジバトちゃまも寒さに負けずに元気でいられるので、安心です。
職場の友人から「職場に鉄道が趣味な方がいて、飲み会に参加してもなかなか話し相手にしてもらえないので、一緒に夕食でも行きませんか」とお誘いがありました。
どのお店がいいのか、知っていたら教えて欲しいとのこと、タバコの煙が充満しているオヤジ系の居酒屋は美味しい料理の味が分からなくなるので、イタリア料理の「オステリア ジャッロ」という店(全面)を希望すると、リクエストの通りにしてくれました。
このお店は、大通りに面したところではなく、小さな路地の秘密の隠れ家のようなところです。 デジカメを忘れたため、前回来たときの写真を使いました。
鮮魚のカルパッチョがすごく美味しかったので、今回も注文。
前回と違い、今回のカルパッチョは食べられるお花がついていました。
我が家でもカルパッチョを作るときもありますが、プロの味をなかなか真似することはできません。
生麺パスタもすごくモチモチしていて、美味しい、ピザも・・・・。
「今までどのくらい乗ったことはあるのですか?」と聞かれ、「生まれは山口県なので、山陰線、九州、山陽・東海道、東北、海峡線、函館線、千歳線、旭川から宗谷線で稚内くらいかな」と答えると、「私は、石巻線を除き、全国のJR線を完乗しました」。
ええええーっ!!稚内から枕崎まで全線乗りつぶしたということに・・・。
「岩泉線(※岩手県の日本一秘境路線の1日3本しかないところ)や石北本線(1日1本しかない北海道)も?」と聞くと、それも制覇したとのこと。
「お気に入りの路線はあるのですか?」
「東の横綱は、五能線(青森県~秋田県の日本海側の海岸沿い)、西の横綱は肥薩線(熊本の八代から険しい山岳路線を経て、真幸駅、嘉例川駅など日本一古い駅舎が続き、終点は日豊本線の隼人駅)。
いつの間にかにボロ房線の話になり、国鉄時代の内房線は今だと考えられない状態だった。千葉~木更津間は禁煙、木更津を過ぎると、喫煙になり、マナーの悪い不良高校生も乗ってきて、吸い放題にしていた。その頃は、行商客もいて、魚の入った袋の少し破れた穴から水が滲みて、魚臭かったこともあったとのこと。
そんな、臭かったボロ房線の113系電車は去年(2011)年の9月で淘汰。今や「思い出の電車」になってしまいました。(笑)
今週の新刊案内をチェックしたところ、面白そうな本を見つけました。
前号は2009年12月発刊なので、2年ぶりになります。
著者が2年の間に全国の驚愕するような給食献立を徹底的に取材し、1冊にまとめたそうです。
前号の所蔵があれば、今号も自動的に購入することになっていますので、楽しみにしています。(笑)
有名企業社員食堂のような献立は・・・日本一秘境村の東京都青ヶ島村立小中学校。
子供たちや先生たちは、毎日のように何品かご馳走が出るお昼を楽しみにしているでしょうね。
・青ヶ島小中学校給食献立は こちら (毎日更新中)
職場の仕出し弁当はショボクて美味しくないのが出たり、たまに美味しいのが出たり変化が激しい。ほとんどショボイのが多い。でも、作って届けてくれた人に感謝しながら食べているのですが、青ヶ島から職場まで給食を届けて欲しいな~と指をくわえながら献立の写真を見ています(笑) 今夜の夕食。ひじきとサツマイモ、玉ネギのかき揚げとサバの味噌煮がメインになっていました。
大根おろしに麺つゆは「天ぷらつゆ」になるので、さらに美味しくなります。
三丁目の夕日は昭和33年、34年、39年の時代考証を厳密に再現されているのに、感心させられます。
★ファンレターに貼られた郵便切手
昭和39年当時の封筒は10円でした。スクリーンに出ていたのは、昭和28(1953)年7月10日発行の「観音菩薩」と昭和36(1961)年4月1日発行の「ソメイヨシノ」が使われていました。
スクリーンでは、あまり大きく映し出されていませんでしたが、小さく映し出された切手も細かく見逃さずチェックしてしまいました。(笑)
映画に出ていた消印はちょっとニセモノっぽい感じがするのですが、まあ、ご愛嬌。
★国鉄の切符
’64には出ていませんでしたが、第1作目の2005年に上映されたものです。
年末年始は働きづくめのロクちゃんを青森県の実家へ帰るようにという、鈴木オート社長のお取り計らいで「33.12.24 東京都区内から青森ゆき 仙台経由 ¥2***」の硬券をクリスマスプレゼント。
その硬券がスクリーンに数秒間出ましたが、あの時代に「東京都区内」というのが存在していたのか調べてみると、昭和14(1939)年から制度化されていました。運賃が2千なんぼと出ていたのは、昭和33年の国鉄運賃を丹念に調べてから小道具として作成されたと思います。
★タバコ
昭和30年代は喫煙大王国!?’64のスクリーンは、タバコの紫煙をくゆらせる場面ばっかり。
主役の竜之介もかなりヘビースモーカー。灰皿に吸い殻てんこ盛りになっているのは、第1作目から相変わらず。出版社の事務室でも、男性社員2人がタバコをくわえながら打ち合わせ。若いお医者さんでさえもタバコ。
新幹線0系が誕生したのは、昭和39年。当時は「禁煙」の「キ」文字すら無関係な時代なので、全車両の座席に灰皿が設けられていて、喫煙可。
禁煙車を初めて設けたのは、12年後の昭和51年から。16両のうち、たった1両のみ。やがて、平成4(1992)年登場の「のぞみ」は禁煙車と喫煙車の割合が折半になり、今の時代は新幹線、特急も全車両禁煙になりました。東海道・山陽・九州の3社共有のN700系は喫煙ルームがありますが、他社に乗り入れないJR東日本、JR九州が開発した800系は全車両禁煙で喫煙ルームなし。マルス券(切符)に「」マークが付く列車は、長距離を走る寝台特急(サンライズ、あけぼの、北斗星、トワイライトエクスプレス、カシオペア)のみ。寝台急行のはまなす(青森~札幌)は現在全車両
。
昭和時代の病院も喫煙可。医者も診察の合間に診察室で喫煙。発ガン物質たっぷりのタバコを治療関係者が吸うのはナンセンス。
★「品5」ナンバー
ここは田舎呼ばわりにされる「袖ヶ浦」ナンバー。ここに転居し、「多摩」ナンバーが外され、「袖ヶ浦」のナンバーを取り付けたときは「漁村をイメージするような袖ヶ浦だな」と思いましたが、ナンバープレートごときあまりこだわる必要ないと割り切ってしまいました。
しかし、「品川」は憧れてしまいます。銀座、皇居、赤坂、六本木、渋谷、小笠原村、青ヶ島村のクルマは「品川」。
自動車のナンバープレートも忠実に昭和30年代を再現。「品5」は今でいうと、「品川500」に相当します。昭和30年代に製造された、「品5」ナンバーのクルマが現役だとすると非常に骨董的な存在になります。50年も同じクルマに乗り続けるには到底無理な話ですけど・・・。(笑)
キジバトちゃまがいつも来てくれるのは、フェンス柵越しの庭先だというのに、今日は珍しく駐車場のコンクリートに来てくれました。
「人間って、こんなにモノをたくさん持っているなあ。オラは何もモノを取りそろえなくても平気だけどなぁ?」とあたりをゆっくり観察しながらヨチヨチ歩きしたそうです。
父が出ると、くちばしを動かしながら、何か話しかけたそうです。父いわく、「くちばしをパクパク動かして、何か言っていたみたいですよ」とのこと。
私はその場に居合わせていなかったのですが、もしかすると、「何しているの~?」だったかも知れません。