東京アイランド

OCNブログ人サービス終了に伴い、ここに引っ越ししました!

たかしのはま~!!

2019-07-04 00:00:00 | 2018_秋_南紀&関西

 羽衣駅で南海高師浜線に乗りかえです。本線とは少し離れたところの、単独線ホーム。途中の伽羅橋(かなかな読めない駅名ですが、「きゃらばし」と言う)をはさんで、終点、高師浜。距離はわずか1.5キロ。2両編成の電車が細々と動いています。

 あっという間に高師浜駅。

 終着駅でーす!!

 たかしのはま。男性の名前に「浜」が付く駅と覚えていれば、覚えやすい。たかし、といえば、あのトレ〇ディ。たかしの相棒は私を苦しませたpocoを思い出すからいいや、いい。ポンポコリンのたぬきを由来しているのではなく、あの特徴のある髪型。pocoが来なくていい休みの日なのに年中無休出勤。真向いはパソコンのモニター超しにピカーッと光る。私の休憩時間に目の前が仕事なんて、ランチがまずくなるわ!!!と別の場所で食べていた思い出が蘇る。俺様は休日返上で仕事に来ているからな、お前らも俺様を見習えと誇示していればパワハラなんですよ、おまえっ!!次の日までに仕上げなければならない仕事があれば、やむを得ず休日出勤するけれど、あの人は休みの日に仕事に来るのが生きがいだったらしい。

 無人駅なのに、自動改札機は通せんぼバー付き。南海は全線自動改札機導入。(世界遺産の高野山駅も)JRは稚内から枕崎まで全国津々の乗車券、しかもマルスの経由に入りきれないときは自動改札非対応の120mmで発券するときもあるので、無人駅に通せんぼバーは付かない。南海は全駅に自動改札機、裏面が磁化券化されているので、対面で対応する必要がなく、不足していれば通せんぼバーが閉まる。

 記念に持ち帰りたくても、改札機を強行突破しているのを防犯カメラで撮影されてはかなりまずい。(改札機の扉が閉まっているのに強行突破はキセルに等しく処罰の対象になる)改札機に吸い込まれる前に、記念撮影。


 うわー、すごい。貫禄のある駅舎。1919(大正8)年開業なので、今年100年目になる駅舎。
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すごいねぇ・・この切符

2019-07-03 21:30:12 | 日記・エッセイ・コラム

 切符オタなら、眺めるだけでも楽しいサイト。最南端の「みどりの窓口」で最北端発の指定席券。枕崎 → 稚内の乗車券で枝分かれするような乗車券をまとめて発券してもらうつもりでしたが、マルス端末は1台しかなく、最南端の駅で北海道のどこからどこまで・・・と要求するのはかなり厳しい。今度は県庁所在地で九州新幹線の始発駅、比較的ベテランな駅員さんがいる鹿児島中央駅ならスムーズ・・・と思ったら、とっても若い女性。新入社員のようで後ろにベテランの駅員さんが指示。自社の範囲つまり、最北は福岡県までなら何々線とかは頭にインプットしているが、北海道だとかなり難題。予約した新幹線の発車時刻が迫っているので途中で切り上げ、博多駅へ。かなり混んでいましたが、博多駅も他社でも慣れている女性の方。稚内でも難なくスムーズに発券!!北海道なら(1- )のはずなのに、九州の(6-タ)を道内で行使!!(もちろん、相互清算が行われ、九州で発券しても手数料を少し差し引きて北海道に還元)

 なっちゃんのドラマは昭和34(1959)年の世界。一般家庭のインテリアとかもちゃんと時代考証されていて、忠実に再現。ハガキが出たときの切手も円単位切手の5円オシドリ(1955(昭和30)年9月10日のものが使われていて、正解。封筒も10円の観音菩薩像(1953(昭和28)年7月10日なので、ヨシ。違和感無し。小道具担当の方、ちゃんと検証して再現しているところが素晴らしい。
 なっちゃんが幼い頃、戦争で家族が離ればなれになり、東京から北海道の十勝へ。兄の咲太郎君と再会は果たせたが、妹の千遥はどこで過ごしているのかわからないまま13年の歳月が流れ・・・千遥が北海道の住所が記されたハガキを大切に持っていたため、訪ねに来た。その頃のなっちゃんは東京で働いている。富士子お母さん・・・・といっても、昔は家政婦のミタの主役を演じたお方。無茶な仕事でも「承知しました」と依頼主からの頼み事を無表情で黙々と仕事をこなしているが、今回はからりと変わり、人情厚い田舎のお母さん。千遥にナイショでなっちゃんの会社に電話。当時は黒電話で交換手がいた。「北海道の音問別4141番からの通話です。どうぞ」。電話交換手が最後までいたのは、青ヶ島村の1982(昭和57)年頃。1983(昭和58)年から全自動化。あれから15、16年後の1999(平成11)年頃、ドコモが携帯電話基地局を設置。アイモードも使えるし、青ヶ島でインターネットが出来る!!!とネット社会の幕開き。当時は電話回線につないで、東京23区のアクセスポイントに接続。04996-9から03にかけるときも、特例により、隣接料金体制になる。電話回線でインターネットにつなぎっぱなしだと電話料金が気になるので、深夜早朝の時間帯(23時から翌日8時まで)に限り、予め指定した2つまでの電話番号に対し、通話時間に関わらず料金が月極の一定料金となるテレホーダイを契約していた方もいらしていたのでは。2004(平成16)年から、ようやく青ヶ島村にブロードバンドのADSL導入。ADSLは電話回線を利用するため、天候次第でネットが使えない時間帯も出てくる。電話の自動化も昭和58年、と全国に比べるとかなり遅かったんですが、八丈島から青ヶ島まで海底光ファーバー敷設工事は完了。各戸に光コンセントをすでに敷設完了。あとは、光の開通を待つだけです。令和元年度末(予定では、令和2年1月から3月?)から 青ヶ島でも超高速インターネット!パソコンがサクサク動け、動画も途中で止まってダウンロードを待つ、ということは無くなります。これで、青ヶ島村のネット環境は本土と同じになります!!小笠原村は2011(平成23)年、八丈島から800キロも海底ケーブル敷設工事完了。それまでは衛星回線通信経由でインターネットだけど、2012(平成24)年から光ファーバー。真新しい「おがさわら丸」で小笠原に行ったときも、母島でもスマホの動きが内地と変わらなかったと記憶しています。青ヶ島村も来年からネットは内地と同じ速度になります!!

(追記)

 書いた当初の目的から大きくかけ離れている。青ヶ島の話に脱線。
 1959(昭和34)年、東京から帯広へ向かうのに、1日目の夕方、青森行きの夜行列車。2日目。青森から国鉄の青函連絡船で函館。船でも、運賃を打ち切ることはなく切符は東京から帯広まで通し。本州、道内の国鉄線と合算し、連絡船の運賃も加算。今の新幹線だとあっという間だけど、船はおよそ5時間。函館から帯広まで地図をちらっと見ただけで250キロくらいか?と見間違えそうですが、実際はなんと450キロ。どんなに早くても3日かかるのでは、と朝ドラで言ったとおり。今だったら、羽田から帯広まで空路で数時間で行けてしまう。昭和30年代はかなり苦労していた。
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本日の船は臨時条件付

2019-07-03 07:19:51 | 2014~2022青ヶ島
 7月3日水曜日。本日の船は本来、東京積み荷作業だったのですが、1週間も船が欠航しているため条件付で臨時出航となりました。1週間ぶり!!不定期で年に数回来ていた昭和30年代に比べると1週間はまだマシなほう。あの時代、青ヶ島に上陸してしまうと、次はいつ帰れるかわからない。1ヶ月後か、3ヶ月後か?それでも人口は今に比べると多かった。船が年に数回来なくても逞しく生きていました。
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本日も欠航、明日は臨時就航予定

2019-07-02 07:23:45 | 2014~2022青ヶ島
 7月2日。今日は海上状況が良くなると予想はしていたんですが、まだまだ波が高く、欠航となりました。1週間も船は来ていないことに・・・。
時刻表では明日(3日)は辰巳となっていますが、明日は臨時就航が予定されています。
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はじめまして、最新版の千円札

2019-07-02 00:00:00 | 日記・エッセイ・コラム

 私のことはもう「人間レジスター」と定着化。この写真はジローさん所有の「レジスター」。1円玉や5円玉ばっかりなのは、行きつけのスーパーで例えば、お会計1997円です、と表示されると、金額とおりに1円玉まで用意して支払い。2千円札渡し、お釣り3円もらえばスマートだけど、お店側にすると小銭の備え付けがあったほうが喜ばれるらしい。
 毎朝の日課は出前の注文。9時過ぎになればオーダーの締切。代金を入れる箱を取り出すときに、重たければ小銭がたくさん入っている。軽ければ、ほとんど千円札ばかり。

 
 おおおおおおおおー!!!

 すぐ気づいた方は、お金マニア!?
 
 そう・・・千円札の番号が「紺」に変わりました。令和になって、「紺」を刷ったものを発行か!?と思い、調べてみたら、2019(平成31)年3月18日の発行分より紺色に変更とのこと。アルファベットが1文字のものは平成最後ギリギリで発行されたもの。


 「紺」の前は「茶」。写真ではわかりづらいですが、少し茶味が帯びています。茶色のアルファベット1文字は、2011(平成23)年発行。
 2004(平成16)年発行当時は黒色、129億枚を印刷し、7年目で一巡。2011年からおよそ8年目なので、もう一巡。
 新デザインの千円札が発行される2024(令和6)年まであと5年。(計算してみたら、平成6年生まれも30歳!?)キャッシュレス社会到来に伴い、黒→茶→紺で終わってしまいそうですが、先代の夏目漱石は20年間で黒→青→茶→緑と4回変わっています。
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2019年7月1日から施行です!

2019-07-01 22:37:22 | 日記・エッセイ・コラム

 非喫煙者にとっては嬉しいニュース。昭和の末期は、どこに行ってもタバコ吸い放題。駅も、病院も、役所も・・・。子供のころ、喘息にかかって病院へ。待合室は灰皿スタンドだらけでしかも、お医者さんもシャツのポケットにタバコをしのばせ、机の上に灰皿も置いてあったこともおぼろげな記憶が・・・。喘息の治療を受けに行っているのに、これじゃ本末転倒。
 DD51機関車のけん引するレッドトレイン。オハ50系がデビューした直後、最初から全車両灰皿が付く設計。何もない田舎から乗ったときは、ガラガラ空いていて問題はなさそうだけど、途中から立ち客が出るほど混み始める。あれほど混んでいるのにも関わらず、紫煙をくゆらせる。あの頃のニッポンは喫煙天国だった。

 平成の半ば頃の2003(平成15)年に健康増進法施行。首都圏の駅から灰皿が撤去され、ホームおよび構内の終日禁煙化もその頃から。
 あれから16年後の2019(令和元)年。さらに厳しくする「改正健康増進法」施行。まずは、学校、役所、病院などの敷地内を原則として禁煙とする。2020(令和2)年からは努力義務だった飲食店も分煙の対象となってしまいます。
 実際、うちの職場でも敷地内すなわち、駐車場も含むとなっている。マイカーであっても駐車場で喫煙しても許されるっていうのではないんですよ。朝の駐車場争奪戦でやっと、枠内にピットイン。車の中で朝ドラの「なっちゃん」を楽しんでいるさなか、何処からともなくタバコのにおいが!!まわりを見たら、隣で停めていたおばちゃまが、禁煙になる勤務時間に備え、ひっきりなくタバコを吸い溜め。6月までは自分の車でタバコを吸われても文句は言えないけれど、今月からは禁煙ですよ!!
 敷地内の指定屋外喫煙場所以外は原則として禁煙になりますが・・・愛煙家はタバコを吸いたくなったら、わざわざあそこまで出向くっていうのは結構大変ですよ。ここだけではなく、他の場所でも原則として禁煙になり、昭和の喫煙天国とは違って「タバコが吸える場所探し」がかなり苦痛になるのでは。タバコでストレスは解消できると思われがちだけど、現在の状況からみると、かえってストレスになるのではないですか。もう、愛煙家のみなさんよ~、タバコはニコチンに支配されている奴隷だと目覚めてくださいな。
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今日の船は欠航となりました

2019-07-01 06:29:56 | 2014~2022青ヶ島
 7月1日月曜日。本日も海上状況が悪いため、欠航となりました。最後に船が来たのは6月26日なので、5日間も船は来ていないことになっています。明日(7月2日)は凪いでくるので、就航できるかも知れません。7月3日、4日はまた東京へ行ってしまうので、運休日。
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秋田まで行ってUターン

2019-07-01 00:00:00 | 2018_初冬_北関東&東北
 田沢湖線といっても、秋田新幹線と一緒。盛岡から普通電車で大曲で接続し、秋田まで行く方法は、1日3本しかなく、127.3キロを2時間半。
新幹線は1時間半。新幹線の本数が多いので、盛岡から秋田への移動手段はほとんど新幹線でしょう。
 友人が待ち時間、接続時間などを考慮に入れた結果、今回は新幹線を利用しなくても普通列車だけでも十分接続できる。

 和田駅。千葉県でも「和田浦」駅あったかも?と調べてみたら、安房鴨川から内房線で3つ目の駅。安房鴨川のとなりは「太海」。「ふとみ」と言います。大正のレトロっぽさ雰囲気の漂う駅、マイカーで館山や鴨川、千倉とか房総南部に出かけたときに次いでに古めかしい「太海駅」に寄ればいいのに、うちの家族は全員鉄道や駅とか興味がないからスルー。

 県庁所在地の大都会、秋田駅の1つ前なんですけど、のどかな風景。

 ワンちゃんに会いに行きたいんですけど・・・もう少しで折り返しの電車に乗る予定なので、残念。

 秋田県内のJR駅に秋田犬のポスターを何度か見かけましたが、ここが本家。

旧2円切手も、このデザイン。犬が好きなのか、多量所持。数えたことはないけれど、たぶん、2、30シートか!?1シート100枚なので、小包に貼るとしても、全面ワンちゃんだらけになってしまう。これだけ貼ってあっても、200円なので、ものすごく足りない。500円、300円切手を追加すれば事足りるけど、出す勇気が・・・。
 今から30年前の1989(平成元)年4月1日。消費税3%施行に伴い、封筒の料金も60円から62円に値上げ。2円は追加貼付用として同じデザインでNIPPON入り、紺色に変更されたものを発行。これも小倉駅前の小倉郵便局(当時は北九州中央郵便局の前身で集配局)で買い占めたものを現在も保管中。

 これから大曲に戻りまーす!!


 ちょうど昼時なので、秋田駅で購入した比内地鶏弁当。


 ここで奥羽本線に乗りかえ。考えてみえれば、大曲から羽前千歳間は未乗区間なので、ちょうど片付くこともできる。
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