「社長、このままですと今月も150万不足ですね。何とかならないですか。」
子供と同じくらいの信金の担当が遠慮のない口を利きます。
今日は社長が最も嫌な日、銀行と資金打ち合わせの日です。
10年前から行き詰って居ます。
親からの商売、地道に遣ってきました。平成のはじめ、自宅に4Fの自宅兼作業場の鉄骨ビルをたてました。
信金からの融資です。信金は親の大からの付き合いで、銀行は此処一本でした。
そのまま慎ましやかに遣っていればよかったですが、つい、飛び込んできた地銀の薦めによって工場を別に設けて、
拡大策を取ったのです。大失敗。倒産の寸前でした。手形を切って居なかったため助かったのです、
でも、工場は閉鎖し、サービサーに譲渡された債務は何とか和解をしました。
信金はこの時に暗に力を貸してくれました。
危ないと見て回収に走るわけでもなく、逆に保証協会保証の借り入れが皆無のことに
目をつけて此処からの融資を検討してくれたのです。
何とか首は繋がったものの、今までの蓄えは全て吐き出しました。
それに不景気の上、世間はブランド志向に走り、彼のような国産品は淋しくなる一方です。
売り上げは低迷し続けています。
仕入れでカバーすべく、原材料を中国からの輸入に求めましたが、この仕入れ資金にも事かく状態が続きました。
信金は良く面倒を見てくれました。
しかしもうプロパー融資は出来ません。保証協会を出来得る限り斡旋したのです。
勿論その時に若干はプロパーとの差し替えも忘れませんでした。
彼はその事は当然と思って居りました。
次第に彼は、資金に困ると信金に縋りつくようになりました。
その都度の相談で、信金も彼の会社の内部を細かく知るようになりました。
親密さがまして来ると、どちらかと云えば細かい資金繰りなど苦手の彼は、
資金繰りに信金の担当者を話し相手にして、其の意見を求めならが遣るようになって居ました。
一方、信金もまだ大口のプロパーが残って居ます。斜陽産業の彼のところの業績が心配です。
阿吽の呼吸で資金繰りは、信金が遣るようになって居ました。
つきに一遍、日を決めて一ヶ月の資金繰りを立てるのです。彼はそれによって行動まで
決まります。
之って銀行管理と云うのでしょうか。
計算嫌いな彼に代わって、信金は良く面倒を見てくれました。
しかし、其れは一方信金の利益にもなって居ました。信金は自行の回収を必ず盛り込んだのです。
金利だけなんて、話題すら上がりませんでした。
当初は信金は保証協会を利用しました。
自行の返済もしますから枠が一杯になるのは早かったです。
次に彼夫婦の個人資産を投げ出すことを要求しました。
夫婦の全くの虎の子の2000万、之も信金にばれて何時のまにか空になって居ます。
此処まで来ると、もう入るものは有りません。
彼の本業の稼ぎと、実際に信金がどのくらい出すかと云うことだけです。
この頃から、信金の本業に対する要求は次第に強くなり、お金を出す時も、裏づけを要求または確認するようになりました。
売掛金が10年間、信金の譲渡担保になったのもこの頃です。
ついに、生活費まで口を出されるようになって来たのです。
さすがこうなると、彼の不満が鬱積しました。
「返済は当然だ。しかしせめて金利だけにしてくれれば、生活も少し楽になるし、
第一事業に対する投資も出来るのではないか。」と思い始めたのです。
でも其れを信金に切り出すのは、担保の自宅や売掛金がどうなるかと思うと怖くて言い出しません。
漸く信金に口火を切ったのは思い出して半年以上過ぎてからです。
事情を知った知人に発破を掛けられたのがきっかけです。
「経営が危機です。自分で立て直したい。其れが為には資金繰りも全部自分で遣ってみます。
資金は自分が遣りますが、御願いが有ります。暫く返済を金利だけにしてください。」
信金の内部では揉めたらしいですが、外見ではすんなり通りました。
銀行管理が彼の簡単な一言っで終ったのです。
10年の間に2億のプロパーが5000万に減り、保証協会が8000万増えて居ます。
その間個人のお金を2000万投入して居ますが5000万は借金を返して居ます。
年に500万です。
知人は数字を示して彼に出来ると発破を掛けて居ます。
一ヶ月目です。
早くも月内の資金繰りがうまく行っていません。
一ヶ月のやりくりです。少し余裕が出来るまでは辛いでしょう。
しかし、折角手に入れた自由、何とか守り抜きます。
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子供と同じくらいの信金の担当が遠慮のない口を利きます。
今日は社長が最も嫌な日、銀行と資金打ち合わせの日です。
10年前から行き詰って居ます。
親からの商売、地道に遣ってきました。平成のはじめ、自宅に4Fの自宅兼作業場の鉄骨ビルをたてました。
信金からの融資です。信金は親の大からの付き合いで、銀行は此処一本でした。
そのまま慎ましやかに遣っていればよかったですが、つい、飛び込んできた地銀の薦めによって工場を別に設けて、
拡大策を取ったのです。大失敗。倒産の寸前でした。手形を切って居なかったため助かったのです、
でも、工場は閉鎖し、サービサーに譲渡された債務は何とか和解をしました。
信金はこの時に暗に力を貸してくれました。
危ないと見て回収に走るわけでもなく、逆に保証協会保証の借り入れが皆無のことに
目をつけて此処からの融資を検討してくれたのです。
何とか首は繋がったものの、今までの蓄えは全て吐き出しました。
それに不景気の上、世間はブランド志向に走り、彼のような国産品は淋しくなる一方です。
売り上げは低迷し続けています。
仕入れでカバーすべく、原材料を中国からの輸入に求めましたが、この仕入れ資金にも事かく状態が続きました。
信金は良く面倒を見てくれました。
しかしもうプロパー融資は出来ません。保証協会を出来得る限り斡旋したのです。
勿論その時に若干はプロパーとの差し替えも忘れませんでした。
彼はその事は当然と思って居りました。
次第に彼は、資金に困ると信金に縋りつくようになりました。
その都度の相談で、信金も彼の会社の内部を細かく知るようになりました。
親密さがまして来ると、どちらかと云えば細かい資金繰りなど苦手の彼は、
資金繰りに信金の担当者を話し相手にして、其の意見を求めならが遣るようになって居ました。
一方、信金もまだ大口のプロパーが残って居ます。斜陽産業の彼のところの業績が心配です。
阿吽の呼吸で資金繰りは、信金が遣るようになって居ました。
つきに一遍、日を決めて一ヶ月の資金繰りを立てるのです。彼はそれによって行動まで
決まります。
之って銀行管理と云うのでしょうか。
計算嫌いな彼に代わって、信金は良く面倒を見てくれました。
しかし、其れは一方信金の利益にもなって居ました。信金は自行の回収を必ず盛り込んだのです。
金利だけなんて、話題すら上がりませんでした。
当初は信金は保証協会を利用しました。
自行の返済もしますから枠が一杯になるのは早かったです。
次に彼夫婦の個人資産を投げ出すことを要求しました。
夫婦の全くの虎の子の2000万、之も信金にばれて何時のまにか空になって居ます。
此処まで来ると、もう入るものは有りません。
彼の本業の稼ぎと、実際に信金がどのくらい出すかと云うことだけです。
この頃から、信金の本業に対する要求は次第に強くなり、お金を出す時も、裏づけを要求または確認するようになりました。
売掛金が10年間、信金の譲渡担保になったのもこの頃です。
ついに、生活費まで口を出されるようになって来たのです。
さすがこうなると、彼の不満が鬱積しました。
「返済は当然だ。しかしせめて金利だけにしてくれれば、生活も少し楽になるし、
第一事業に対する投資も出来るのではないか。」と思い始めたのです。
でも其れを信金に切り出すのは、担保の自宅や売掛金がどうなるかと思うと怖くて言い出しません。
漸く信金に口火を切ったのは思い出して半年以上過ぎてからです。
事情を知った知人に発破を掛けられたのがきっかけです。
「経営が危機です。自分で立て直したい。其れが為には資金繰りも全部自分で遣ってみます。
資金は自分が遣りますが、御願いが有ります。暫く返済を金利だけにしてください。」
信金の内部では揉めたらしいですが、外見ではすんなり通りました。
銀行管理が彼の簡単な一言っで終ったのです。
10年の間に2億のプロパーが5000万に減り、保証協会が8000万増えて居ます。
その間個人のお金を2000万投入して居ますが5000万は借金を返して居ます。
年に500万です。
知人は数字を示して彼に出来ると発破を掛けて居ます。
一ヶ月目です。
早くも月内の資金繰りがうまく行っていません。
一ヶ月のやりくりです。少し余裕が出来るまでは辛いでしょう。
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