照ノ富士が見事 復活優勝した!
おめでとう~!
照ノ富士-照ノ富士 春雄 本名:ガントルガ・ガンエルデネ 出身:モンゴル人民共和国 年齢:28歳
17歳の時、相撲留学(鳥取城北高校)。
高校卒業後、2010年 間垣部屋へ入門。
2013年 間垣部屋閉鎖につき伊勢ケ濱部屋へ移籍。
2014年3月場所で新入幕。
2015年3月場所で関脇昇進。
2015年5月場所で初の幕内最高優勝を果たす。
2015年7月場所で平成生まれ初の「大関」に。
2015年9月場所後の精密検査で「右膝の前十字靱帯損傷・外側半月板損傷などで1か月の加療を要する」との診断書が下され、秋巡業は休場。
2015月11月場所は、右膝の怪我が完治しない中強行出場し、なんとか勝ち越し。
2016年1月場所4日目、右鎖骨骨折(全治不明)により自身初土俵以降初めての休場。
1月18日には以前から傷めている左膝の内視鏡手術を決行。次の3月場所は、自身初の大関角番となった。
2016年5月場所、1968年秋場所の豊山以来、48年ぶりの大関1場所10連敗を記録した。
11月場所初日は、大関で2度目の10連敗を記録した。
2017年9月場所で2場所負け越しとなり「大関」陥落。
2017年11月場所、5日目から日本相撲協会に「左膝外側半月板損傷で全治4週間」との診断書を提出し休場。
2018年1月16日に「2型糖尿病、約1週間程度の療養を要す」との診断休場届を協会に提出。大関陥落からわずか2場所での十両転落。
2018年3月場所は西十両5枚目で挑み、9敗6休。
2018年6月25日に7月場所の番付が発表、東幕下6枚目にしこ名が掲載され正式に幕下陥落が決定。
大関経験者、幕内最高優勝経験者が幕下に陥落するのはこれが初めて。
またこの日に東京都内の病院で両膝の手術を受けた。
この手術により7月場所を全休したため、9月場所は東幕下47枚目まで番付を落とすことに。
元大関・幕内最高優勝経験者の幕下陥落で既に前代未聞のところ、9月場所も全休したため、翌11月場所では三段目(西27枚目)へと陥落してしまった。その11月場所でも全休を表明。次の2019年1月場所での復帰を見据えて治療とトレーニングを行っていたが、その西三段目88枚目まで番付を落とした2019年1月場所でも全休(休場は5場所連続、全休は4場所連続)することになり、翌3月場所で西序二段48枚目へと陥落した。序二段陥落は大関はおろか三役経験者としても初めて。
2019年3月場所から土俵復帰。勝ち越し。
東三段目49枚目で臨んだ翌5月場所は6勝1敗。
東幕下59枚目で臨んだ翌7月場所も6勝1敗。
9月場所は東幕下27枚目で、初日から6連勝したが6戦全勝対決に敗れ、幕下優勝はならなかった。
11月場所は、西幕下10枚目で7戦全勝優勝となり幕下優勝。
来場所関取復帰を決め、大関経験者、幕内経験者、幕内最高優勝経験者の序二段からの関取復帰はいずれも史上初。
2020年1月場所、十両優勝。
3月場所、10勝5敗、幕内復帰を確実にした。
5月場所はコロナで中止に。
7月場所は幕尻の東前頭17枚目に。
そして、「優勝」!
元大関の平幕優勝としては魁傑以来44年振り史上2人目、再入幕優勝としても同年1月場所の徳勝龍以来史上2人目の快挙となった。
非常に長い、「怪我と病気」に苦しめられた時間だったといえよう。
でも「苦労人」の活躍には、ただただ「おめでとう!」と言いたい。
おめでとう~~!
おめでとう~!
照ノ富士-照ノ富士 春雄 本名:ガントルガ・ガンエルデネ 出身:モンゴル人民共和国 年齢:28歳
17歳の時、相撲留学(鳥取城北高校)。
高校卒業後、2010年 間垣部屋へ入門。
2013年 間垣部屋閉鎖につき伊勢ケ濱部屋へ移籍。
2014年3月場所で新入幕。
2015年3月場所で関脇昇進。
2015年5月場所で初の幕内最高優勝を果たす。
2015年7月場所で平成生まれ初の「大関」に。
2015年9月場所後の精密検査で「右膝の前十字靱帯損傷・外側半月板損傷などで1か月の加療を要する」との診断書が下され、秋巡業は休場。
2015月11月場所は、右膝の怪我が完治しない中強行出場し、なんとか勝ち越し。
2016年1月場所4日目、右鎖骨骨折(全治不明)により自身初土俵以降初めての休場。
1月18日には以前から傷めている左膝の内視鏡手術を決行。次の3月場所は、自身初の大関角番となった。
2016年5月場所、1968年秋場所の豊山以来、48年ぶりの大関1場所10連敗を記録した。
11月場所初日は、大関で2度目の10連敗を記録した。
2017年9月場所で2場所負け越しとなり「大関」陥落。
2017年11月場所、5日目から日本相撲協会に「左膝外側半月板損傷で全治4週間」との診断書を提出し休場。
2018年1月16日に「2型糖尿病、約1週間程度の療養を要す」との診断休場届を協会に提出。大関陥落からわずか2場所での十両転落。
2018年3月場所は西十両5枚目で挑み、9敗6休。
2018年6月25日に7月場所の番付が発表、東幕下6枚目にしこ名が掲載され正式に幕下陥落が決定。
大関経験者、幕内最高優勝経験者が幕下に陥落するのはこれが初めて。
またこの日に東京都内の病院で両膝の手術を受けた。
この手術により7月場所を全休したため、9月場所は東幕下47枚目まで番付を落とすことに。
元大関・幕内最高優勝経験者の幕下陥落で既に前代未聞のところ、9月場所も全休したため、翌11月場所では三段目(西27枚目)へと陥落してしまった。その11月場所でも全休を表明。次の2019年1月場所での復帰を見据えて治療とトレーニングを行っていたが、その西三段目88枚目まで番付を落とした2019年1月場所でも全休(休場は5場所連続、全休は4場所連続)することになり、翌3月場所で西序二段48枚目へと陥落した。序二段陥落は大関はおろか三役経験者としても初めて。
2019年3月場所から土俵復帰。勝ち越し。
東三段目49枚目で臨んだ翌5月場所は6勝1敗。
東幕下59枚目で臨んだ翌7月場所も6勝1敗。
9月場所は東幕下27枚目で、初日から6連勝したが6戦全勝対決に敗れ、幕下優勝はならなかった。
11月場所は、西幕下10枚目で7戦全勝優勝となり幕下優勝。
来場所関取復帰を決め、大関経験者、幕内経験者、幕内最高優勝経験者の序二段からの関取復帰はいずれも史上初。
2020年1月場所、十両優勝。
3月場所、10勝5敗、幕内復帰を確実にした。
5月場所はコロナで中止に。
7月場所は幕尻の東前頭17枚目に。
そして、「優勝」!
元大関の平幕優勝としては魁傑以来44年振り史上2人目、再入幕優勝としても同年1月場所の徳勝龍以来史上2人目の快挙となった。
非常に長い、「怪我と病気」に苦しめられた時間だったといえよう。
でも「苦労人」の活躍には、ただただ「おめでとう!」と言いたい。
おめでとう~~!