第229回 2019年7月23日 「歴史が育む 技の冴え~栃木の服飾~」リサーチャー: 鈴木ちなみ
番組内容
栃木県ならではの服飾品。まず、日光東照宮参詣のために作られた「日光下駄」は草履と下駄が一体化したもの。雪深い冬場の参詣のために生み出された。栃木は日本一の麻の産地でもあり、古代の技法を復活させ、麻紙のバッグが開発された。さらにかつての水運の拠点・大田原市で、伝統を受け継ぐ藍染職人が手がける、モダンなデザインの藍染のシャツ。栃木ならではの素材を使い、伝統が育んだ技に一層の磨きをかけたイッピンの数々。
*https://www.nhk.or.jp/archives/chronicle/detail/?crnid=A201907231930001301000 より
1.日光下駄
格式を重んじる社寺参入の際には「草履」を使用するのが原則でした。
ところが、日光東照宮を始めとした日光の社寺は石や坂道、雪も多く、草履で歩くには不便なため、草履の下に下駄を合わせた「御免下駄」が考案されました。
大名を始め、神官や僧侶の正式な履物として用いられましたが、明治になると、より履きやすい改良型が作られ、
一般庶民にも愛用される「日光下駄」が生まれました。
石や坂道を歩く際の安定や、雪をつきにくくするため、下の方が広い八開きの台木に竹の皮で編んだ草履表を麻糸で縫い付けられています。
夏涼しく、冬温かいのが特徴です。
日光下駄の主な材料は、台木と草履に編む竹皮と、鼻緒に用いる真綿木綿に野州麻などです。
星野リゾート「界 日光」では、「日光下駄」を使った『日光下駄談義』という舞台が行われています。
日光下駄の成り立ちや魅力がストーリー仕立てでご紹介されています。
2.麻紙布・マシヌノ(野州麻和紙工房・大森芳紀さん)
鹿沼市は麻の生産量日本一を誇る産地です。
鹿沼の麻は古くから「野州麻」(やしゅうあさ)と呼ばれ、美しい光沢があり、薄くしなやかで丈夫なのが特徴で、全国各地に出荷されています。
野州麻紙工房の8代目大森芳紀さんは平成13(2001)年に「野州麻紙工房」を設立し、日本で唯一、麻を原料にした和紙作りを始め、麻の独特な質感を活かしたランプシェードなど、和のインテリアを手掛けています。
他にも、麻の繊維(麻垢)を使って、「麻紙布・マシヌノ」を作りました。
「紙布」は昔、神社などで紙衣として用いられ、布のように強い紙で、多少の水に濡れても破けることはありません。
この「麻紙布・マシヌノ」を使って野州麻紙工房オリジナルのでバックを作りました。
持ち手部分には精麻を挟んで縫い合わせ、内布は工房が厳選したヘンプ布を使っています。
一枚づつ手漉きで紙漉きをしているため、同じ商品でも色の出方が異なります。
とても軽く、使うほどに布は柔らかくなり、肌に馴染みます。
麻の繊維は縁起ものであり、魔を除けるとも言われています。
日常使いはもちろん、贈り物としてもご利用いただけます。
3.黒羽藍染(黒羽藍染紺屋・小沼雄大さん)
かの有名な俳諧師・松尾芭蕉が「奥の細道」の旅で14日間も滞在したのが栃木県大田原市黒羽です。
江戸時代、大田原市は水運の拠点であったため材木商が数多く、職人達が着る印半纏は 「紺屋」と呼ばれる染物屋で作られていました。
この黒羽で200年以上「藍」を建て続ける染元があります。
1804年創業の「黒羽藍染紺屋」です。
豆汁に松の根を燃やして作る良質な煤「松煙墨」を混ぜて下染めする 「紺染め」の技法により、藍の色がより濃くなり、色褪せにくくなるのが特徴です。
創業200年余の「黒羽藍染紺屋」の初代・紺屋新兵衛が残した藍甕を守り、その伝統的手法を現代に受け継いでいるのが8代目・小沼雄大さんです。
小沼さんは、父・重信さんの勧めで、東京の江戸川区指定無形文化財・「長板中形」の技術保持者、松原 與七さんに師事。
師匠のもとで型染めの修行を積み、実家に戻ってからも紺屋を手伝いながら月に何度か師匠のもとに通い、技術を身に付けていきました。
雄大さんが24歳の時、重信さんが早世。
紺屋の暖簾を受け継ぎました。
若い小沼さんが手掛けるのは藍染めのスニーカーやTシャツ、紙袋を模したバッグなどです。
柄はもちろん、色味も同じものがない唯一無二の魅力。
「伝統工芸品を特別なものとして意識してもらうより、若い方にも自然なかたちで気軽に親しんでもらえるよう、
自分自身こんなものがあったらいいなって気持ちをベースに、作品づくりに取り組んでいます」
*https://omotedana.hatenablog.com/entry/Ippin/Tochigi/Clothing より