いいもの見ぃ~つけた!

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< 郷土料理 > 青森 ごまご飯

2023-12-20 09:00:38 | 郷土料理

 「ごまご飯」

 主な伝承地域 津軽地方

 主な使用食材 もち米、黒ごま

 歴史・由来・関連行事
 江戸時代のはじめから大規模に新田開発がなされ、多彩な米料理が発達した津軽地方では、いろいろな具を入れて醤油味にしたごはんのことを「色飯」や「色ごはん」と呼んだ。「ごまご飯」「ごままま」もその一つだ。真っ黒な色になることから、仏事や精進日といった「ケの日」につくって仏壇に供えた。一方で、砂糖を加えて甘くつくり、田植えや神社の祭りなどの際に赤飯の代わりにつくる地域もある。ごまだけのものは「ごままま」、栗入りの豪勢なものを「栗入りごままま」と呼んだ。

 食習の機会や時季
 仏事や祭事に振る舞われることが多い。また昔の田植えは大勢の人を集めて二日、三日がかりでおこなっていたが、前日から女性たちが寝ずに、ごまままや赤飯をつくったものだった。おにぎりにして田んぼへ持って行き、作業の合間に食べた。また砂糖は大変な貴重品で、おもてなしのために借金してまで買うといわれ、特別な席にはたっぷりの砂糖で甘くしたごまままが振る舞われた。また旧暦9月9日の重陽の節句には酒の盃に菊の一枝を乗せて神棚に捧げる習慣があり、このとき栗入りのごまご飯も一緒に供えたという。

 飲食方法
 津軽地方の色飯は種類が豊富で「ごまご飯」の他にも、たけのこ飯、小豆飯、黒豆飯、赤飯などがあった。もち米だけでつくったり、もち米とうるち米を混ぜてつくったりする。「ごまご飯」は、よく炒ってすった黒ごまを米に混ぜて炊きこむ。すり鉢にごまが残らないよう水を回し、炊き水に加えた。湯気にのってあがる香ばしいごまの香りと旨味がごちそうで、昔から子どもたちの大好物である。

 保存・継承の取組(伝承者の概要、保存会、SNSの活用、商品化等現代的な取組等について)
 官民一体で取り組んでいる、多様な食文化を次世代へ伝えようとウェブサイト「津軽料理遺産プロジェクト」でも、「ごまご飯」が紹介されている。

*https://www.maff.go.jp/j/keikaku/syokubunka/k_ryouri/search_menu/menu/goma_gohan_aomori.html より

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<おせち> 福島 こづゆ

2023-12-20 08:56:23 | おせち

 「こづゆ」

 主な伝承地域 南会津をのぞいた会津地方

 主な使用食材 貝柱、きくらげ、里芋、糸こん、干し椎茸、白玉麩(まめふ)、にんじん、わらび等

 歴史・由来・関連行事
 福島県には、会津塗と言われる赤い漆塗りの器がある。この会津塗のなかでも、浅めに作られた「手塩皿」に、貝柱のだしで煮込んだきくらげ、わらび、里芋など、豊富な具材を盛りつけた郷土料理が、「こづゆ」である。「こじゅうのつゆ」がなまって、こづゆという名前になったと言われている。
 こづゆ自体は100年以上前から食べられており、昔は「一の重」「二の重」あるいは「一の露」「二の露」と二つのお椀に分けて供されていたが、昭和60年代頃からは一つのお椀で「こづゆ」として提供されるようになった。なお、こづゆに似た郷土料理としては、郡山市の「つゆじゅう」と呼ばれる汁物がある。豆麩以外の具材はほとんど同じで、福島の食材をふんだんに使用している。

 食習の機会や時季
 冠婚葬祭の際に、「手塩皿」に盛りつけて供されることが一般的。中でも婚礼時には欠かせない一品となっており、宴会の最中にふるまわれる。こづゆは酒の肴として楽しまれていたため、何杯でもおかわりしてよいとされていた。そのほか、祝い事や祭りの際など、来客をもてなすときに出す料理として、長い間受け継がれてきている。ちなみに具材は7または9種類にすると、奇数で縁起が良いとされている。

 飲食方法
 各材料を下ごしらえして食べやすい大きさに切り、干ししいたけや貝柱のだしで煮込み、醤油や塩で味を調える。具材は、貝柱などの海の幸とわらびや里芋などの山の幸の両方がバランスよく入っているのが特徴。昔は卵焼きを入れる家庭もあったという。切り方や材料、味つけも各家庭により異なっており、それぞれに個性豊かなこづゆが作られている。

 保存・継承の取組(伝承者の概要、保存会、SNSの活用、商品化等現代的な取組等について)
 家庭で作ることは少なくなってきたものの、こづゆの風習や文化は受け継がれている。現在はレトルトのこづゆや、「手塩皿」までセットにしたこづゆセットなどが販売されており、気軽に楽しむことができる。また、福島県内の宿泊施設や飲食店などでも提供されている。

*https://www.maff.go.jp/j/keikaku/syokubunka/k_ryouri/search_menu/menu/30_2_fukushima.html より

 

 こづゆは、福島県会津地方の郷土料理。

 概要
 会津藩8代藩主松平容敬が参勤交代の時に食べた「重」という料理がルーツと言われる。内陸の会津地方でも入手が可能な、海産物の乾物を素材とした汁物である。江戸時代後期から明治初期にかけて会津藩の武家料理や庶民のごちそうとして広まり、現在でも正月や婚礼などハレの席で振る舞われる郷土料理である。かつては「一の重」「二の重」(あるいは「一の露」「二の露」)と二つのお椀に分けて供されていたが、昭和60年代頃からは1つの椀で「こづゆ」として提供されるようになった。

*Wikipedia より

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イッピンNHK 「百万石の美を装う~石川 装飾品~」

2023-12-20 08:49:37 | イッピンNHK

 第241回 2019年12月24日 「百万石の美を装う~石川 装飾品~」リサーチャー: 田丸麻紀

 番組内容
 白地に金の装飾がエレガントなバングル。カラフルな絹糸が輝くペンダント。鳥の羽が風にゆれる可愛らしいイヤリング。すべて、石川県・加賀百万石の文化にルーツを持つ。石川県は、江戸時代、藩主・前田家が工芸を奨励したことから、多彩な伝統工芸が花開いた。漆工芸の蒔絵、鮎つり用に特化した毛針、そして加賀友禅の縫子たちが作った絹糸の指ぬき。それぞれから、現代のセンスに合わせたアクセサリーが生まれている。

*https://www.nhk.or.jp/archives/chronicle/detail/?crnid=A201912241930001301000 より

 

 1.「Classic Ko」(大下香仙工房)

 「大下香仙工房」は、初代・大下雪香が金沢で習得してきた高度な装飾技術を要する 「加賀蒔絵」を
故郷の山中の地で広め伝えるべく明治27(1894)年に創立されて以来120年余り、「蒔絵・漆」の手法を駆使して、美術工芸品を制作する傍ら、イアリング、ペンダント、ピン、ブローチなどの蒔絵ジュエリー・アクセサリーを作っています。

 「Classic Ko」は「古典的な、一流の、時代に左右されない」などの意味を持つ「Classic」と初代「雪香」(せっこう)より代々受け継がれる雅号「香(Ko)」 に、「その人の美意識・感性を [ 香り(ko) ] として纏う」 という意味も込めているそうです。

 大下香仙工房 石川県加賀市二子塚町103−2  
 
 
 2.加賀ゆびぬき(加賀てまり毬屋・大西由紀子さん)

 大西由紀子さんは、金沢に伝わるゆびぬきの技法を復元・研究する小出つや子さんをお祖母様に持ち、そのお祖母様やお母様の指導の下、平成12年からゆびぬき作りを始めました。

 平成16年1月に東京・銀座で初の作品展が好評を博して以来、ゆびぬきブームの中心として活躍されています。
 
 
 3.フェザーアクセサリー「MEBOSO」(目細八郎兵衛商店)

 目細八郎兵衛商店は、加賀前田藩が城下を開く以前の天正3(1575)年に創業しました。
 初代八郎兵衛は京都系統の技術に独自の工夫を凝らして「めぼそ針」を作り上げ、加賀藩主より「めぼそ」を針の名前として頂きました。

 明治23(1890)年「第3回内国勧業博覧会」で17代目細八郎兵衛が「加賀毛針」が褒状を受賞したことで、
「加賀毛針」の品質と名声が広く全国に伝わました。

 そして現代、 加賀毛針の美しさ伝え、新しいものづくりで伝統を守りたいとの思いから、「フェザーアクセサリー」を生み出しました。

 目細八郎兵衛商店 石川県金沢市安江町11−35 

*https://omotedana.hatenablog.com/entry/Ippin/Ishikawa/accessory より

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<異名-人物> 戦士女王

2023-12-20 08:36:43 | 異名

 「戦士女王 ゼノビア」

 (240〜274)パルミア(シリア)

 ローマから事実上独立していたパルミラの女王。ローマと独立をかけて戦争をした大敗した。自身が戦闘に立ち戦っていたとされる。

*https://www.chickennoneta.com/entry/%E7%95%B0%E5%90%8D%E3%81%A8%E8%8B%B1%E9%9B%84#%E6%88%A6%E5%A3%AB%E5%A5%B3%E7%8E%8B%E3%82%BC%E3%83%8E%E3%83%93%E3%82%A2 より

 

 ゼノビア(ラテン語: Zenobia)は、3世紀に存在したパルミラ帝国の「女王」と呼ばれた人物である。パルミラにあるギリシア語・パルミラ語合璧碑文では、パルミラ語(アラム語パルミラ方言)で「最も傑出した敬虔なる女王、セプティミア=バト=ザッバイ」( ספטמיא בת זבי נהירתא וזדקתא מלכתא spṭmy' bt zby nhyt' w zdqt' mlkt' )と記されている。

*Wikipedia より

 パルミラの「女王」

 『パルミラ市街を見納めるゼノビア女王』("Queen Zenobia's Last Look Upon Palmyra") シュマルツ・ヘルベルト(Herbert Schmalz)による作
 ゼノビアの名前が初めて史料に出るのは258年にパルミラ一帯を治める有力者であったセプティミウス・オダエナトゥスの後妻として入った時となる。その後、ゼノビアにとって初子となるルキウス・ユリウス・アウレリウス・セプティミウス・ウァバッラトゥス・アテノドラス(以下ウァバッラトゥス)も生まれた(オダエナトゥスには前妻との間に1子(ヘロデス Hairan が有)。オダエナトゥスはガッリエヌス帝に叛旗を翻して皇帝を僭称したティトゥス・フルウィウス・ユニウス・クィエトゥスの討伐やサーサーン朝の首都クテシフォンへ2度も攻め入る等の功績を挙げてガッリエヌスの信頼を勝ち得た。それら遠征にゼノビアはパルミラ軍に同行しただけでなく、軍装を纏い、その智謀でオダエナトゥスを支えた。

 267年にオダエナトゥスが甥・マエオニウス  (Maeonius)  によって暗殺、またヘロディアヌスも同時に殺害され、パルミラはNo.1及び後継者を相次いで失う混乱状態に陥った(ゼノビアが仕組んだともされる)。ゼノビアはウァバッラトゥスをオダエナトゥスの後継者に据えると共に自らはその共同統治者となることで、一連の事態を収拾することに成功した。

 ガッリエヌス(在位253年 - 268年)の治世下より上述したような功績もあってガッリエヌスよりローマ帝国東部属州を委任されていたオダエナトゥスは、パルミラを根拠地として既に半独立(パルミラ帝国)の状態であった。西方属州にはガリア帝国が割拠、北方属州へはゴート族等の北方異民族の侵入が相次ぐ中、268年にはガッリエヌスが暗殺された。

 ゼノビアはローマの迷走に乗じる格好で「サーサーン朝の侵略からローマ東部属州を護る」という名目で皇帝直轄領アエギュプトゥス(エジプト)及びカッパドキアやパレスティナ、カルケドン等のローマ東部属州・都市に軍を派遣して次々と「領土」を拡大していった。ゼノビアは自らを「エジプトの女王」と称し、またこれらの事件から「戦士女王(Warrior Queen)」とも呼ばれた。実際にゼノビアは騎馬術にも優れた才能を示したという。ゼノビアはカルタゴの女王ディードーやアッシリアの女王セミラミス、プトレマイオス朝のクレオパトラの後継者を自称したとされる。

*Wikipedia より

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<料理用語-和食> 懐石

2023-12-20 08:25:40 | 料理用語

 「懐石」

 元は禅の修行僧が寒をしのぐために懐に入れた温石の事。後に粥になり、茶道が始まると軽食をさす言葉に変化。つまり懐石料理は茶事で供される料理が原型である。

 たんに懐石でもよいが「会席」と混同せぬよう、発音する場合は「茶懐石」と言う。

 まず一汁三菜。

 三菜は「向付」「椀盛」「焼き物」

 汁は味噌仕立て。

 柔く炊いた飯は一文字、丸型、山形。

 これに箸洗い(小吸物)と八寸。

 最後に香の物と湯桶が出る。

 以上が定石の懐石である。

 もてなし料理の意味合いが濃い場合は箸洗いの前に「強肴」を出す。

 季節の素材を淡白に味付けし、香りの強すぎるものや油がありすぎるものは使わない。椀と向付以外は取り回しが決まりなので、焼き物にしろ、煮物にしろ、客の手間が掛からぬように仕上げておく。魚は小骨まで取り除き、褄折りにて焼くのがよい。

*https://temaeitamae.jp/top/t2/kj/5_F/03.html より

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<伝統野菜> 徳島 菊芋

2023-12-20 08:19:52 | 伝統野菜

 「菊芋」

 【生産地】美馬市脇町(みましわきちょう)

 【特徴】キク科ヒマワリ属の多年草。水溶性食物繊維イヌリンを豊富に含んでおり、スーパーフードとして注目されている。イヌリンは「天然のインスリン」とも言われ、糖質の吸収を抑えるとともに腸を整え、便通を良くする効果がある。

 【食味】レンコンやリンゴのようにシャキッとした食感に、ゴボウのような味とほんのりとした甘みがある。

 【料理】煮物にしても煮崩れせず、使い勝手が良い。サラダ・フライドポテト・パスタ・漬物・和え物など。

 【来歴】菊芋という名は「花が菊、根が芋」に似ていることが由来となっている。ヒマワリのような鮮やかな黄色の花が咲く。

 菊芋が日本に伝わったのは江戸末期あたりだと言われている。にし阿波(あわ)地域の菊芋は、もともと同地域で自生していたものを発見し、2013年頃から栽培が始まった。発見者は、現:キクイモ栽培加工消費研究会の会長・三笠桂司氏の妻とのこと。近所に自生しているのを見つけ育て始めたことが契機。近隣の農家20人ほどで栽培加工消費研究会を立ち上げ、休耕地などを耕し、栽培を増やしてきた。研究会では、菊芋を地元産直市で販売するほか、乾燥させたチップスや粉末にした商品など加工品も販売している。

 【時期】11月下旬頃、茎が枯れたら収穫

*https://tradveggie.or.jp/%e6%97%a5%e6%9c%ac%e3%81%ae%e4%bc%9d%e7%b5%b1%e9%87%8e%e8%8f%9c%ef%bc%8d36-%e5%be%b3%e5%b3%b6%e7%9c%8c/#i-8 より

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<慣用句・諺> 精を出す など

2023-12-20 07:57:21 | 慣用句・諺

 「精を出す」 

 精いっぱい働く。こつこつ物事をする。

 

 「生を偸む-せいをぬすむ」

 《李陵「答蘇武書」から》死ぬべきときに死なずに生きている。恥を忍んで生き長らえる。

 

 「精を励ます」 

 熱心につとめ励む。

 

 「生を視ること死の如し」

 《「列子」仲尼から》生死を超越し、天命に安んじて心を労しない。

 

 「背負い投げを食う」

 信用していた人に、思いもよらず裏切られる。しょい投げを食う。

 

*goo辞書 より

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<難読漢字-魚へん> 鮬

2023-12-20 07:48:17 | 難読漢字

 「鮬 せいご」

 出世魚である「すずき」の幼名。

 日本においてスズキはいわゆる出世魚で、成長とともに呼び名が変わる。ただし、地方によって呼び名は様々に異なり、統一的な定義はない。

 例として、関東では幼魚をコッパ、1年ものと2年もので全長20-30cm程度までのものをセイゴ(鮬)、2、3年目以降の魚で全長40-60cm程度までをフッコ(福子)、それ以上の大きさの通常4-5年もの以降程度の成熟魚をスズキと呼んでいる。関西ではフッコの代わりにハネという呼称が使われている。東海地方では60cm程度までを一律にセイゴ、それ以上の大きさの成熟魚をマダカと呼んで二分することが多い。宮城県周辺では小型のものをセッパとも呼ぶ。有明海産は地元の人からはハクラと呼ばれている。

*Wikipedia より

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<国産ワイナリー> ドメーヌ・tetta

2023-12-20 07:38:57 | 国産ワイナリー

 「tetta(株)/ドメーヌ・tetta」

 日本では希少な石灰岩土壌の圃場を有して、自社原料100%でワインを製造するドメーヌワイナリーとして2016年にスタート。
 シャルドネ、メルロ、マスカット・ベリーAを中心に試験栽培を含め約20品種の品種を栽培。
 自然酵母を中心にテロワールのポテンシャルを引き出す醸造を目指す。

 tetta(株)/ドメーヌ・tetta 岡山県新見市哲多町矢戸3136

 商品リスト

2019 シャルドネ

自社原料100% 岡山県新見市哲多産

味わい キレイな酸としっかりとしたボディの辛口白ワイン

*https://www.winery.or.jp/winery-map/1057/ より

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<大阪-観光> 枚岡神社

2023-12-20 07:29:12 | 観光

 「枚岡神社」

 枚岡神社(ひらおかじんじゃ)は、大阪府東大阪市出雲井町(いずもいちょう)にある神社。式内社(名神大社)、河内国一宮。旧社格は官幣大社で、現在は神社本庁の別表神社。

*Wikipedia より

 基本情報
 延喜式の神名帳にもその名がある河内国一ノ宮の古社で、創祀は神武天皇即位前3年と伝えられます。後に、奈良の春日大社に枚岡神社の二分霊を祀ったことから「元春日」とも呼ばれています。本殿は豊臣秀頼が片桐且元に造営させたと伝えられていますが、現在の本殿は1826年に再建されたものです。府下随一と言われる秋の郷のまつり(秋郷祭)は、太鼓台の宮入や地車の曳行などが行われ、勇壮かつ華やかです。毎年年末の12月23日に、新しいしめ縄を掛け替えて大勢で笑う「注連縄掛神事」(しめかけしんじ)通称「お笑い神事」が行われ、年初には、その年の稲の実りを、小豆粥を使って占う「粥占神事」が行われます。境内は楠、杉などの古木が多く、環境省の「かおり風景100選」に指定を受けました。毎春、境内南側の枚岡神社梅林では30品種約400本の梅が咲き競います。

*https://osaka-info.jp/spot/hiraokajinja/ より

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