いいもの見ぃ~つけた!

「いいもの」は探せばいっぱいあります。独断と偏見による個人的「いいもの」情報発信所です。

< 郷土料理 > 青森 いちご煮

2023-12-06 08:10:10 | 郷土料理

 「いちご煮」

 主な伝承地域 南部地方

 主な使用食材 生ウニ、アワビ、青じそ、ねぎ

 歴史・由来・関連行事
 八戸市や階上町などの太平洋沿岸に伝わる郷土料理で、ウニとアワビの吸い物という高級食材ばかりを使った贅沢な料理。その昔、漁師らが潜って捕ったウニやアワビを浜で豪快に煮たのがはじまりという。大正時代に料亭の料理として、お椀に美しく盛り付けて供されるようになった。「いちご煮」の名前は、椀に盛り付けたとき、アワビなどのエキスによって乳白色に濁った汁に浮かぶ黄金色のウニがまるで、朝露にかすむ野いちごのように見えたことから付けられた。風流でしゃれた名前が人気となり、現代では結婚式などの祝い事に欠かせない料理として大切に受け継がれている。

 食習の機会や時季
 「青じその出る頃にウニが美味しくなる」といわれるように、ウニは7月ごろが旬である。見た目に上品で高級感もあり、地元ではハレ食の吸い物として、お盆や正月、祝い事などに必ずつくられる。シンプルなだけに素材の質と鮮度が決め手であり、特に良質なウニが獲れる地元ならではの味。他では食べられないと、わざわざ足を運ぶ人も多い。

 飲食方法
 素材の味を存分に生かすつくり方が正統派。新鮮なウニとアワビを水かカツオ節のだしでさっと煮て、少量の醬油で味をととのえ、青じその千切りをのせるだけのシンプルな料理。舌の上でとろけるウニ、コリッとした食感のアワビ、深みのある潮の香りに青じそのアクセントがたまらない逸品だ。

 保存・継承の取組(伝承者の概要、保存会、SNSの活用、商品化等現代的な取組等について)
 昔は各家庭で日常的に食べていたが、時代の流れとともにウニやアワビが高級食材として扱われるようになり、身近な料理とはいえなくなった。家庭でつくることは減ったが、1980年に地元業者が缶詰を開発したことから土産品として全国に知られるようになった。階上町では毎年7月に「はしかみいちご煮まつり」を開き、「いちご煮」を浜価格で提供してファンを獲得している。

*https://www.maff.go.jp/j/keikaku/syokubunka/k_ryouri/search_menu/menu/ichigoni_aomori.html より

 

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<おせち> 酢の物-こはだ

2023-12-06 08:04:05 | おせち

 「こはだ」

 「こはだ」の由来
 お寿司のイメージが強いこはだ。ブリと同じように、シンコ、こはだ、コノシロと、成長するにしたがって呼び名が変わります。そのことから出世魚として、立身出世の願いが込められています。体表が柔らかくて光沢があり、美しいことから、子どものような肌に例えて「子肌」と表記されたともいわれます。

 「こはだ」の特徴
 こはだは、目と腹の色が銀色に輝いているものが新鮮です。主に、おろして酢で漬ける酢じめにします。おせちでは「粟漬け」がおすすめです。酢じめにしたあと、クチナシで黄色に染めた粟(あわ)とショウガのみじん切り、唐辛子の輪切りを加えて、こはだと交互に重ねて漬けます。鮮やかな黄色と赤色のコントラストが美しく、おせちを華やかにします。天ぷらや唐揚げにしてもおいしいです。

*https://www.jreastmall.com/shop/secure/detail_kohada.aspx より

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イッピンNHK 「技の巧みな掛け合わせ~長崎 波佐見焼~」

2023-12-06 07:54:22 | イッピンNHK

 第227回 2019年7月9日 「技の巧みな掛け合わせ~長崎 波佐見焼~」リサーチャー: 南沢奈央

 番組内容
 皿やカップ、そしてポットもピッタリ重ねる事ができ、見た目もモダンと人気の器がある。これは正確に重なるようにするため、皿作りが得意な工場、ポット作りが得意な職人と、それぞれ別の所に発注して作ったもの。高い技術力を持つ焼き物の里、長崎の波佐見町で生まれた「波佐見焼」だ。ほかにも手作業で彫りを施して温かな風合いを出した器。子どもや、お年寄りも使いやすいと評判のカップなど。女優の南沢奈央がリサーチする。

*https://www.nhk.or.jp/archives/chronicle/detail/?crnid=A201907091930001301000 より

 1.HASAMI PORCELAIN(西海陶器)

 「HASAMI PORCELAIN」(ハサミポーセリン)は、長崎・波佐見焼の老舗商社・西海陶器と、L.Aを拠点するデザイナー・篠本拓宏さん(tortoise)が共同で開発したグローバルなテーブルウェアです。

 アメリカで先行販売され人気となり、平成23(2011)年には日本でも発売されて以降人気を博して、今ではスタンダードなテーブルウェアとして定着しています。
 まさかのアメリカから逆輸入な波佐見焼です。
 2015年のグッドデザイン賞を受賞しています。

 「HASAMI PORCELAIN」(ハサミポーセリン)は、磁器に10%程の陶器を混ぜた土で生み出された「半磁器」なので、通常の磁器よりも優しい感触でありながら、陶器に比べてもシャープさがあります。

 マットでしなやかなである一方、土の手触りにも似たざらりとした感覚も感じられます。

 電子レンジや食洗機もOKなので、日常の器として使うことが出来ます。
 
 また日本のお重のように、器同士をピッタリ重ねて収納出来るためスペースを取りません。

 皿とポットの本体、ポットの蓋はそれぞれ違うところで作られています。
 ディレクターの陶磁器デザイナー・阿部薫太郎さんが精密な設計図を作ってそれを持ってそれぞれの職人と連絡を取り合いながら実現させました。

 「皿」は「ローラーマシン」で成形しますが、生産を軌道に乗せるまでが大変でした。
 「HASAMI PORCELAIN」(ハサミポーセリン)は、磁器に10%程の陶器を混ぜた土で生み出された「半磁器」なので、磁器と同じように扱うと歪みが出てしまうからです。
 磁器の原料は比較的水分が少なく、型に入れると石膏が水分を吸収してくれるため形が崩れることはありません。
 しかし「半磁器」の原料は磁器よりも水分が多いため、同じ石膏を使うと早く乾燥してしまうため、変形してしまうのです。

 そこで、乾燥するスピードを遅らせるために、従来のものよりも水を吸いにくい石膏を探り当てることで、
この難題を解決。
 「半磁器」という特殊な焼き物を㎜単位の正確さで作ることに成功しました。

 「ポット」の本体は「鋳込み」という製法によって成形します。
 急須や花瓶など、中が空洞になった袋状の器の量産に適した方法です。

 「半磁器」の原料を水で溶かした「泥しょう」を、乾燥した石膏型に流し込んで作る成形法です。
 石膏型が泥しょうの水分を吸収して張り付くので、目指す厚みになったら型の中の泥しょうを排出して乾燥させ、型から外します。
 縁の厚みは厳密に決められており、その誤差は0.5㎜以下。
 待つこと40分。
 普段の磁器を「鋳込み」を作る時よりも3倍もの時間を掛けて作ります。

 「蓋」は「機械ろくろ」によって成形します。
 器の外形をした石膏型に陶土を入れて回転させ、金属板のコテを当てながら水を使って生地を滑らせ形を作る
「水ゴテ」とも呼ばれる成形法です。
 主に飯碗や湯呑、カップなど回転体の成形に適しており、職人による高度な技術が必要です。

 作るのは、「機械ろくろ」の道で40年以上に渡り生地屋一筋のキャリアを歩んでこられた溝口明さんです。
 溝口さんは石膏の型に半磁器の土を載せると、コテを当てて土が伸ばし、型を埋めていきます。
 簡単にこなしていますが、まさに修練のたまものです。
 蓋は薄く表面積は広いため乾くのが早いので、早くやることが肝心なのだそうです。

 次に焼きの工程。
 ポットの本体と蓋は一つの釜で焼き上げます。

 西海陶器 長崎県東彼杵郡波佐見町1 折敷瀬郷2124

 

 3.手彫りの技「飛びがんな」の器(利左エ門窯)

 波佐見焼の始まりは400年前に遡ります。
 隣の佐賀県の、磁器の「有田焼」と陶器の「唐津焼」もその頃に生まれました。
 「波佐見」はその2大ブランドの影響を受けて、陶器も磁器も作る町として成長し、かつ有田や唐津よりも値段の手頃な日常の用途に使われる食器の生産地として発展してきました。

 「利左ェ門窯」(りざえもん)さんは、陶器(土もの)を手掛けている町内では珍しい窯元です。
 また、分業制ではなく自社で生地づくりから焼成までの全ての工程を一貫生産を行う、「職人集団」の窯元でもあります。
 昭和43(1968)年に初代の名から「利左エ門窯」と命名して開窯、現在は13代目の武村裕宣(たけむら ひろのり)さんが経営を、弟・博昭さんが商品開発を担い、職人さんとともに、いにしえの伝統を受け継ぎながらも、現代の多彩な食生活に合うモダンで温かみのある手頃な値段の器を作陶しています。

 「利左エ門窯」の一番人気は、削り専用の特殊な道具を使って、焼く前の素地の表面に彫りの深さと広さを一様に揃えて紋様を作り上げていく「鎬」(しのぎ)の技で作られた器です。

 彫っていくと立体感のある表情に。立山貞子さんが黒い土で作ったカップに等間隔に太い線をひとつひとつ丁寧に彫っていきます。
 これは「線彫り」というもので、黒土の上に白い化粧土を施したカップは彫ったところ出た黒いラインのシンプルな模様がモダンで、手仕事ならではの味わいが出ます。

 黒の鉄の様な質感でマットな色合いが高級感を醸し出している「玄鎬」(くろしのぎ)シリーズは、落ち着いた色合いが料理を引き立ててくれる、落着いた大人の雰囲気の器です。
 スタッキングも良く、収納性にも優れています。
 「2017年長崎デザインアワード」で奨励賞を受賞しています。

 長崎の爽やかな青い空と青い海をイメージしてデザインされた「蒼鎬」(あおしのぎ)シリーズは、他のカラーの倍の時間をかけて焼き上げることによって深みのある色「蒼」になっています。
 お料理をより鮮やかに魅せてくれるだけでなく、流行中のグレートーンや定番のホワイトとの相性も抜群です。

 「黒刷毛飛び鉋」や「白刷毛飛び鉋」のお皿も「利左エ門窯」さんの人気のアイテムです。
 「飛び鉋」(とびかんな)は放射状に広がる細かな模様をしたものです。

 生地に化粧土を塗り適度に乾燥した器をロクロに載せてゆっくり回します。
 特殊なハガネの道具「鉋」を同じ力で押し当て化粧土を削っていくと、美しい紋様が浮かび上がります。
 熟練した職人だけが出来る、昔から受け継がれた特殊な技法です。

 職人歴34年の井手義信さんが黒い化粧土を乗せた皿を鉋で削っていきます。
 その作業はあっという間で3秒。
 大きさの揃った粒が同じ間隔で出来ています。
 釉薬をかけて焼いたら完成しました。

 利左エ門窯 長崎県東彼杵郡波佐見町稗木場郷548-3

 

 2.motteシリーズ(aiyu(アイユー))

 波佐見焼の磁器の中に、ユニークな形で大人気なものがあります。
 握力が弱くなってきた高齢者の方、手が自由に動かせない方、手の小さなお子様が分け隔てなく、一緒に食卓を囲んで、楽しく食事をしていただきたい・・・その思いから生まれた、aiyu(アイユー)さんの「motteシリーズ」です。

 「aiyu」がものづくりを始めたのは明治30(1897)年。
 皿山郷の窯元で「小吉陶苑」を開業し、昭和の食卓で活躍した「若竹シリーズ」など、多くのヒットシリーズを生み出しましたが、昭和57(1982)年に閉窯しました。

 昭和59(1984)年、現社長の小柳吉喜さんが「aiyu」としてオリジナル商品のデザイン開発をスタートさせ、波佐見焼をセレクトして広める活動を行う一方で使い手目線のオリジナル商品開発・デザイン開発に取り組み続けています。

 手の不自由な人のためのカップを作ろうと考えた「aiyu」の社長・小柳さんは、福祉用具メーカー「シーズ」の代表取締役・山﨑 一雄に器の形についてアドバイスを求めます。
 「シーズ」は、障害者用のオーダーメイド製品、チャイルドシート、高齢者向けの椅子、誰もが使いやすいプロダクトの開発などに取り組んでいるメーカーです。

 こうして生まれた「motte」のカップには、大人の指4本が収まる程の大きさの持ちやすいリング形状のハンドルがついています。
 内側には丸みを持たせソフトな握り心地になっています。
 取っ手の下の部分はテーブルに接するように設計されているため、少々のことでは倒れないほど安定感も抜群です。
 またハンドルに通した指がカップに触れた時にもなるべく熱くないように、ハンドルとカップの接合部分は二重に、厚みを持たせてあります。

 motte-マグカップ(S)」は、ハンドルが2つついたキッズサイズのmotteマグです。

 「スープマグ」は、重心は低く、口径は広くなっています。
 スープの具をスプーンで掬いやすいような傾斜もついています。

 磁器の重さを活かした「プレート」は、片手で掬う時にプレートを押さえることが出来なくても、プレートが動きづらくなっています。
 また内側には返しが付いているので、細かいものでも掬いやすくなっています。
 より食べこぼしを少なくするためのリムも付いています。

 「e-series」は人間工学に基づいて作られたシリーズです。
 子供もお年寄りもいろんな人が持ちやすく、使いやすい形を考えてデザインされています。

 「KIRITRU IRON」シリーズは、独自に開発された特殊な釉薬がかかった部分と素地の部分のコントラストが特長の器です。
 封筒をモチーフにしたプレートとハンドルがハサミのようなマグカップは食器としてはもちろん、小物収納にもおススメです。

 「重宝皿」は、アイユーの人気ナンバーワンのお皿です。
 小さなくぼみと溝がついていることで様々なシーンで活用出来る便利なお皿です。
 スタッキング出来るのでまとめ買いもおすすめです。

 aiyu 長崎県東彼杵郡波佐見町皿山郷380

*https://omotedana.hatenablog.com/entry/Ippin/Nagasaki/Hasami_2 より

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<異名-人物> ダイナマイト王

2023-12-06 07:33:54 | 異名

 「ダイナマイト王 アルフレッド・ノーベル」

 (1833〜1896)スウェーデン

 ノーベルはダイナマイトを創り出して、巨万の富を得た。誤りで死亡記事が世の中に出回ったときに、自身が大量殺人者のように書かれていたことにショックを受けてノーベルは自身が死んだ後のことを気にするようになった。こうして生まれたのが「ノーベル賞」だ。

*https://www.chickennoneta.com/entry/%E7%95%B0%E5%90%8D%E3%81%A8%E8%8B%B1%E9%9B%84#%E3%83%80%E3%82%A4%E3%83%8A%E3%83%9E%E3%82%A4%E3%83%88%E7%8E%8B%E3%82%A2%E3%83%AB%E3%83%95%E3%83%AC%E3%83%83%E3%83%89%E3%83%8E%E3%83%BC%E3%83%99%E3%83%AB より

 

 アルフレッド・ベルンハルド・ノーベル(スウェーデン語: Alfred Bernhard Nobel [ˈǎlfrɛd nʊˈbɛlː] , 1833年10月21日 - 1896年12月10日)は、スウェーデンの化学者、発明家、実業家。

 ボフォース社を単なる鉄工所から兵器メーカーへと発展させた。350もの特許を取得し、中でもダイナマイトが最も有名である。ダイナマイトの開発で巨万の富を築いたことから、「ダイナマイト王」とも呼ばれた。

 遺産を「ノーベル賞」の創設に使用させた。自然界には存在しない元素ノーベリウムはノーベルの名をとって名付けられた。ディナミット・ノーベルやアクゾノーベルのように現代の企業名にも名を残している(どちらもノーベルが創業した会社の後継)。

*Wikipedia より

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<料理用語-和食> 大原木そば

2023-12-06 07:22:26 | 料理用語

 「大原木そば」

 同様にして蕎麦を数本束ねたもの。

*https://temaeitamae.jp/top/t2/kj/4_E/042.html より

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<慣用句・諺> 角水を突く など

2023-12-06 07:19:52 | 慣用句・諺

 「角水を突く-すみずをつく」

 《角水をあてて正確に水平度を測る意から》こまかく吟味したり、わずかな欠点でもとがめたりする。〈日葡〉

 

 「墨と雪」

 性質が全然反対なもののたとえ。

 

 「隅に置けない」

 その人が意外に経験豊かであったり、才能・知識などがあったりして、あなどれない。

 

 「墨は餓鬼に磨らせ筆は鬼に持たせよ-すみはがきにすらせふではおににもたせよ」

 墨をするには力を入れず、筆を使って書くには力を込めるのがよいというたとえ。

 

 「角を入れる-すみをいれる」

 近世、元服2、3年前の少年が前髪の額の生え際の両隅をそり込むこと。角 (すみ) を抜く。

 

*goo辞書 より

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<難読漢字-魚へん> 鮫

2023-12-06 07:12:58 | 難読漢字

 「鮫 さめ」

 サメ(鮫)は、軟骨魚綱板鰓亜綱に属する魚類のうち、鰓裂が体の側面に開くものの総称。鰓裂が下面に開くエイとは区別される。2020年11月時点で世界中に9目36科106属553種が存在し、日本近海には9目34科64属130種が認められている。世界中の海洋に広く分布し、オオメジロザメなど一部の種は汽水域、淡水域にも進出する。また、深海性のサメも知られている。

*Wikipedia より

 サメの語源・由来
 サメの語源には、「狭目・狭眼(さめ)」の意味とする説が多い。
 しかし、サメの目は体に比べて小さいとは言えるが、狭い(細い)とは言えない。
 目の大きさを語源とするならば、1億分の1の単位を表し、非常に小さい粒を意味する「沙」で「沙目(さめ)」、もしくは「小目(さめ)」の方が良いであろう。
 「メ」は魚につける指称辞として用いられる語である。
 目の大きさに関係ないとすれば、古くはクジラが「イサナ(磯魚)」と呼ばれていたことから、「イサメ(磯魚)」の上略とも考えられる。
 また、アイヌ語でも「サメ」は「サメ」や「シャメ」と言う。
 アイヌ語が和語に入ることはあっても、和語からアイヌ語に入ることはないことから、アイヌ語説は有力視されている。
 ただし、アイヌ語から和語になった動物は、もともと寒い地域に棲息するものが多く、広域に棲むサメがこれに該当するとは言い切れない。
 『古事記』や『風土記』では、「サメ」が「ワニ」と呼ばれており、古く「ワニ」は「サメ」を指す言葉であったことがわかる。

 サメの漢字「鮫」の「交」は、くねらせることを表す。
 体をくねらせる魚の意味で、魚へんに「交」で「鮫」となった。

*https://gogen-yurai.jp/same/ より

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<伝統野菜> 山口 とっくり大根 -追記あり-

2023-12-06 07:08:07 | 伝統野菜

 「とっくり大根」

 山口県 周南市
 【見た目】
 根部が500g程度のとっくり型をした小型のダイコン
 【食味】
 徳山沢庵粕漬け用としての漬物ダイコン。肉質は緻密で、生食では辛みがあり、漬物の歯切れがよい
 【機能性等】
 ビタミンCや辛み成分があり、特に小形のものに辛みが強い傾向がある
 【由来】
 明治時代から周南地域で盛んに栽培され、昭和初期にかけては「沢庵粕漬」に加工して京阪神・関東地域まで出荷されていた
 【調理法・加工品等】
 沢庵粕漬
 【生産の見通し】
 現状維持  
 【種子の入手先】
 自家採種

*http://g-foods.info/zukan/product/product_772.html より

 

 【生産地】周南市

 【特徴】根形がとっくりの形をした小型の大根。首部の直径が1.5~2.0cm程度と細いが、尻太で、最大部の根径は6~8cm、根長は13~17cm、根重400~500g前後が一般的な大きさ。他の地区で栽培すると、なかなかとっくり型にならないといわれている。

 【食味】辛みがやや強い

 【料理】主に沢庵漬けに利用。

 【来歴】山口県の瀬戸内沿岸にある徳山・新南陽地域で漬物用として栽培されてきた。栽培の始まりは定かではないが、100年以上の歴史が確認されており、明治時代から昭和の初期にかけて、この大根を漬物にした「徳山沢庵粕漬」が京阪神や関東をはじめ、全国各地に広く出荷されていた。現在では、周南市福川の羽島・かせ河原町・中綴(なかなわて)町の数戸の農家が段々畑で生産を続けている。収穫後の乾燥は、柿の木に吊して乾かす方法が今も続いており、この風景はこの地域の風物詩。

 【時期】12月上旬~中旬

*https://tradveggie.or.jp/%e6%97%a5%e6%9c%ac%e3%81%ae%e4%bc%9d%e7%b5%b1%e9%87%8e%e8%8f%9c%ef%bc%8d35-%e5%b1%b1%e5%8f%a3%e7%9c%8c/#i-22 より

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<国産ワイナリー> 河内葡萄酒

2023-12-06 07:04:44 | 国産ワイナリー

 「(株)河内ワイン/河内葡萄酒」

 

 (株)河内ワイン/河内葡萄酒 大阪府羽曳野市駒ケ谷1027

*https://www.winery.or.jp/winery-map/2644/ より

 

 “和飲”を、つくる。
 会話に花が咲く一杯。大切なひとに贈る一本。
 人生に喜びや楽しさを添えるワインには、時を和ませ、心を和ませる力があります。
 「ワインとは、“和飲”である。」それが、創業以来80年の時を超えて、わたしたちが辿り着いた答えです。

 大阪という豊かな食文化に育まれ、河内駒ヶ谷という土地と歩んできた歴史。
 それは、樽のなかでワインが熟成していくように、さまざまなひとたちの想いで育まれた“繋がりの歴史”でもあります。

 地元の葡萄農家、醸造職人、そして河内ワインを愛する皆様。
 河内の土地と人間に育てられたワイナリーだからこそ、西洋のワインを追い求めるのではなく、ここでしか作れない葡萄酒をつくりたい。
 そして、日本の家庭料理にも気軽に寄り添え、ひととひとをつなぐ家族のような一杯を届けたい。
 そんな想いを胸に、1世紀という新たな未来へ向けて、河内ワインは歩み続けていきます。

 ―こころ和む、和製ワインを。―

 商品リスト

徳一 シャルドネ 85th

-HAJIME- 86th
Chardonnay Limited Edition

これから迎える90周年・100周年に向けて2014年に発売したHAJIMEマグナムを特別に再リリース。 「原点に帰る」2020年はまさにそんな年でした。
自社の畑をもう一度見つめ直し良い葡萄を作る事に邁進した2020年。
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<大阪-観光> 四天王寺

2023-12-06 06:45:58 | 観光

 「四天王寺」

 四天王寺(してんのうじ)は、大阪市天王寺区四天王寺にある和宗の総本山の寺院。山号は荒陵山(あらはかさん)。本尊は救世観音(ぐぜかんのん)。聖徳太子建立七大寺の一つとされている。新西国三十三箇所第1番札所のほか多数の霊場の札所となっている。

 『日本書紀』によれば推古天皇元年(593年)に造立が開始されたという。当寺周辺の区名、駅名などに使われている「天王寺」は四天王寺の略称である。また、荒陵寺(あらはかでら)・難波大寺(なにわだいじ)・御津寺(みとでら)・堀江寺(ほりえでら)などの別称が伝えられている。

 宗派は天台宗に属していた時期もあったが、元来は特定宗派に偏しない八宗兼学の寺であった。日本仏教の祖とされる「聖徳太子建立の寺」であり、既存の仏教の諸宗派にはこだわらない全仏教的な立場から、1946年(昭和21年)に「和宗」の総本山として独立している。

 歴史

 四天王寺は蘇我馬子の法興寺(飛鳥寺)と並び、日本における本格的な仏教寺院としては最古のものである。 四天王寺の草創については『日本書紀』に次のように記されている。

 用明天皇2年(587年)、かねてより対立していた崇仏派の蘇我氏と排仏派の物部氏の間に武力闘争が発生した。蘇我軍は物部氏の本拠地であった河内国渋河(現・大阪府東大阪市布施)へ攻め込んだが、敵の物部守屋は稲城(いなき、稲を積んだ砦)を築き、自らは朴(えのき)の上から矢を放って防戦するので、蘇我軍は三たび退却した。聖徳太子こと厩戸皇子(当時14歳)は蘇我氏の軍の後方にいたが、この戦況を見て、白膠木(ぬるで)という木を伐って、四天王の像を作り、「もしこの戦に勝利したなら、必ずや四天王を安置する寺塔(てら)を建てる」という誓願をした。その甲斐あって、味方の矢が敵の物部守屋に命中し、彼は「えのき」の木から落ち、戦いは崇仏派の蘇我氏の勝利に終わった。その6年後、推古天皇元年(593年)、聖徳太子は摂津難波の荒陵(あらはか)で四天王寺の建立に取りかかった。寺の基盤を支えるためには、物部氏から没収した奴婢と土地が用いられたという(なお、蘇我馬子の法興寺は上記の戦いの翌年から造営が始まっており、四天王寺の造営開始はそれから数年後であった)。
 以上が『書紀』の記載のあらましである。聖徳太子の草創を伝える寺は近畿地方一円に多数あるが、実際に太子が創建に関わったと考えられるのは四天王寺と法隆寺のみで、その他は「太子ゆかりの寺」とするのが妥当である。

*Wikipedia より

 推古元年(593)聖徳太子により創建された日本仏法最初の官寺。創建当初から伝わる伽藍配置や、宗派の枠を超えた各宗祖師にまつわる堂宇など、見所が満載です。

 推古元年(593)聖徳太子により創建された日本仏法最初の官寺で、幾度の災害や戦災による焼失を乗り越え、現代にまで存続しています。日本最古の伽藍構造を伝える四天王寺式伽藍構造や、伝教大師最澄や弘法大師空海、法然上人や親鸞聖人など、各宗祖師にまつわるお堂が立ち並び、宗派の枠を超えたお寺です。中心伽藍は創建時の様式を再現した昭和復興の建物ですが、境内北側に在る六時礼讃堂や元三大師堂は江戸初期の建物で国の重要文化財に指定されています。その他、多数の国宝や重要文化財を所蔵する宝物館や、毎月21日(大師会)22日(太子会)の縁日には法要だけでなく、境内に多数の露店が出店されるなど、見所が満載です。

*https://osaka-info.jp/spot/shitennoji/ より

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