いいもの見ぃ~つけた!

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< 郷土料理 > 青森 せんべい汁

2023-12-01 19:23:26 | 郷土料理

 「せんべい汁」

 主な伝承地域 八戸市

 主な使用食材 せんべい、ねぎ、鶏肉、糸こんにゃく、板麩、ごぼう、凍み豆腐、人参、きのこ

 歴史・由来・関連行事
 南部せんべいは旧南部藩の領地だった青森県南東部から岩手県北部にかけての伝統食品で、小麦粉に塩と水を混ぜ鉄製の型で丸く焼いたもの。戦前、農家の多くは鉄製の型を持っており、せんべいは冷害が多く米がよく取れなかった地域の貴重な保存食だった。これを味噌汁や鍋に入れて煮たものが「せんべい汁」だ。起源は諸説あるが、戦前に川で捕れたウグイを使ったあら汁にせんべいを入れて煮たのがきっかけという。この料理は地元で受け継がれたが「せんべい汁」という呼び名が定着したのは平成になってから。家庭でだけ食べる地味な料理と思われていたものを観光客向けの名物にしようと、八戸市の観光団体がPRに乗り出したのだ。現在では全国にその名を知られる地域おこしの立役者となった。

 食習の機会や時季
 古くは各家庭でせんべいを焼いていたが、戦時中に軍需物資として鉄鍋を供出したことから農家はせんべいをつくらなくなった。戦後、製造業者が汁を吸っても煮崩れせずモチモチした食感のせんべいを開発し、汁用として販売をはじめた。現在では家庭の味噌汁や鍋物で寒い時期に食べるほか、飲食店やイベントで観光客向けにもメジャーな料理として親しまれている。

 飲食方法
 鶏だし醤油味の鍋に野菜、糸こんにゃくなどを入れ、せんべいを割り入れて煮込んで食べるのがもっとも一般的。お好みでしめじなどのきのこを入れても美味しい。その他、港町らしくタラや焼きサバの塩味仕立て(家庭では手軽にサバ水煮缶を使うことも)、名物である馬肉を使った味噌味の桜鍋など、バリエーションは豊富である。

 保存・継承の取組(伝承者の概要、保存会、SNSの活用、商品化等現代的な取組等について)
 約200年にもわたって家庭料理として伝わってきたせんべい汁を、観光コンテンツとしてとらえ広く普及させることに成功、今では全国的に有名な郷土料理となった。八戸市内では約200軒の飲食店が提供している。ブームの火付け役となった「八戸せんべい汁研究所」は2003年に結成した市民団体で、ご当地グルメの祭典「B-1グランプリ」の生みの親として知られる。

*https://www.maff.go.jp/j/keikaku/syokubunka/k_ryouri/search_menu/menu/senbei_jiru_aomori.html より

 

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<おせち> 焼き肴-あわび

2023-12-01 08:03:39 | おせち

 「あわび」

 「あわび」の由来
 あわびは高級食材というイメージがありますが、そのイメージ通り貝類の中でも最上級の貴重な食材とされてきました。あわびは100年生きるとも言われ、不良長寿の象徴とされています。(実際のあわびの寿命は15~20年程度だそうです)
 また「のしあわび」という、あわびを薄く切って長く伸ばしたものは、「永遠に発展してめでたいことが永く続くように」との願いが込められています。

 「あわび」の特徴
 あわびは身に特有な歯ごたえがあり、それが魅力です。刺身や酢の物、バター焼き、酒蒸しなど、さまざまに料理します。身が太っていて傷がないものを選ぶとよいでしょう。
 おせち料理では日持ちさせる目的もあって、蒸し鮑や煮貝など加熱しておせちに加える事が多いようです。

*https://www.jreastmall.com/shop/secure/detail_awabi.aspx より

 

 神事としてのアワビ
 熨斗鮑(のしあわび)
 細く切った鮑を乾燥させた物で、祝い事に配られる。伊勢神宮での神事に使用される国崎(三重県鳥羽市国崎町)産の熨斗鰒にちなみ、御師が縁起物として配りだしたのが一般に広まったきっかけである。進物にも熨斗鮑を添付するのが正式であるが、次第に簡略化して熨斗鮑を図案化した物を印刷した熨斗紙で済ませることが多くなった。

*Wikipedia より

 都道府県別漁獲高

 1位:岩手県
 2位:千葉県
 3位:三重県 2019年

*https://urahyoji.com/catch-awabi-d/ より

 焼き肴として挙げられているが、「鮑の煮貝」もよくおせちに入れられている。

 「鮑の煮貝」として有名なのは、山梨県。

 煮貝

 鮑の煮貝
 山梨県の名産品に鮑の煮貝(あわびのにがい)がある。鮑の煮貝は高級食材である鮑(ミミガイ科のクロアワビ、メガイアワビ、マダカアワビ)を丸のまま、醤油ベースの煮汁で煮浸しにした加工食品。

 起源は不明であるが、山梨県は内陸部でありつつも駿河湾を有する駿河国に近く、中世後期・近世には海産物が移入されている。武田氏居館跡や勝沼氏居館跡など戦国時代の武家居館からアワビの貝殻が出土しており、当時から内陸部においてもアワビが食用にされていたと考えられている。ただし、貝殻を外して加工され、煮貝として搬入された場合は、考古資料として残らないことも指摘される。

 文献資料では江戸時代の文政12年(1829年)の笛吹市石和町に所在する篠原家文書に含まれる「御用其外日記」が初出で、形態は不明であるが「尓加以(にがい)」の文字が当てられている。また、弘化3年(1846年)の甲府徽典館の学頭・林靏梁の日記である『林靏梁日記』では夏の贈答品として用いられている「煮鮑」「生鮑の塩漬け」が記録されており、江戸後期においては醤油を用いた煮貝は塩漬けと区別されていたことが確認される。

*Wikipedia より

 「株式会社かいや」さんの煮貝は絶品!以前、本当にお世話になりました。また食べたい(笑

 

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イッピンNHK 「ふだん使いを美しく なつかしモダン~岡山の焼き物~」

2023-12-01 07:57:19 | イッピンNHK

 第222回 2019年4月30日 「ふだん使いを美しく なつかしモダン~岡山の焼き物~」リサーチャー: 生方ななえ

 番組内容
 岡山県では倉敷を中心に、普段使いの焼き物が作られ、その素朴さとモダンな雰囲気が人気を集めている。陶器の表面に入るひび、「貫入」にこだわり、細かくくっきりとした「貫入」を出すことに成功した岡山の職人。民芸の巨匠バーナード・リーチの指導を受け、才能を開花させた倉敷の職人たちがいた。いま、その後継者が現代の暮らしにあわせて作る「なつかしモダン」な器の数々。独自の技法を、モデルの生方ななえさんが探る。

*https://www.nhk.or.jp/archives/chronicle/detail/?crnid=A201904301930001301000 より

 

 岡山県と言えば「備前焼」が有名ですが、毎日食卓で使う「普段使いの焼き物」もいろいろあります。
 これらの「普段使いの焼き物」は、素朴な味わいとモダンが融合して、今、人気を集めています。
 手のひらサイズの「豆皿」には多種多様な模様があって、チーズにミニトマトなどを載せて、オシャレに使うことが出来ます。
 縁に模様があり、真ん中が無地のお皿に料理を載せれば、食べ物の彩りを引き立たててもくれます。
 今回のイッピンは、ドコか懐かしく、モダンな「岡山の普段使いの焼き物」の魅力に迫ります。
 
 
 1.「貫入」(陶芸家・林拓児さん)

 陶器の表面に出来たヒビ「貫入」に、栃渋を染み込ませて模様とする林拓児(はやしたくじ)さんの作品には、時を経た骨董のような佇まい、詫びた風情が感じられます。

 岡山市の陶芸家・林拓児(はやしたくじ)さんは、愛知県瀬戸市の製陶所の四代目として生まれ、倉敷芸術科学大学で学び、平成28(2016)年に岡山県に築窯・移住しました。

 林さんのわざとヒビが入った皿はカタチもユニークで器の縁が緩やかにうねっています。
 古くから「貫入」の入ったお皿は作られてきましたが、林さんの「貫入」は細かくはっきりしています。
 また、縁の緩やかうねりも林さん独特のものです。

 林さんはまず、板状にスライスした土を自作の型に被せて手で叩いてはめていきます。
 30分乾かしたら型を外し始めましたが、土はまだ柔らかいままです。
 それを成形して、形を整えていきました。
 すると縁に、緩やかなうねりが生まれていきました。

 ここから「貫入」を入れていきます。
 陶器は、素地の上に釉薬を施釉してから、高温で焼成して作ります。
 焼成すると、釉薬は溶けてガラスのような層となって陶器の上を覆います。
 焼成後、陶器自体の温度が下がっていきますが、その時の収縮度が、陶器本体の素地と釉薬との間で違うので、この差が大きいと釉薬がヒビのような状態になって固まります。
 これを「貫入」と言います。
 林さんは細かい「貫入」を入れるために、成分を変えて試行錯誤を繰り返したそうです。

 窯出しすると、「ピンピン・・・」と風鈴が鳴るような美しい音がします。
 これは「貫入」が生まれている音だそうです。

 その後、どんぐりのかさを入れて2週間程経った「栃渋」(とちしぶ)と呼ばれる染液にお皿を入れ、「貫入」の部分に栃渋を染み込ませ、模様を美しく際立たせます。
 この方法は、織部焼の色を出すために使われていたのだそうです。
 一日つけたら水洗い。
 タオルでしっかり拭いて完成です。
 温かみのある緩やかなうねりのある皿が生まれました。
 
  2.スリップウェア(羽島焼・小河原常美さん)

 岡山県の倉敷では、普段遣いのお皿が作られてきました。
 その代表的なお皿は「スリップウェア」です。
 この技法はイギリスから伝わったもので、イギリスではかつて広く使われていた皿でした。

 「スリップウェア」を倉敷に伝えたのは、柳宗悦、濱田庄司らとともに民芸運動に参加した英国人工芸作家のバーナード・リーチ(1887-1979)です。

 リーチは香港で生まれましたが、生後まもなく母を亡くし、幼少期の4年間を京都で育ったことから、日本に愛着を持っていました。
 21歳の時、ロンドン美術学校で、詩人で彫刻家の高村光太郎と交友を結んだことが縁で、明治42(1909)年、22歳の時に再び来日。
 以来13回に渡り、来日しました。

 昭和9(1934)年、後に「大原美術館」を開館した実業家・大原孫三郎の民芸運動を支援するために4回目の来日で初めて倉敷を訪れました。
 その後も戦前・戦後と、度々倉敷を訪れて、大原美術館で講演や展覧会を開催したり、若手を指導しました。

 大原美術館 岡山県倉敷市中央1丁目1−15

 

 倉敷の陶工・小河原虎吉(おがわらとらきち)もリーチに指導を受けた1人です。
 虎吉は14歳の頃よりロクロ職人として陶芸の道を歩みましたが、「ロクロの名人」として知られ、その腕前は早くから民芸運動家の間でも一目置かれていました。
 
 昭和21(1946)年、戦後の復員してくると、大原総一郎を始め、当時、倉敷の民芸普及に力を注いでいた文化人達が力添えにより、羽島の地で「羽島焼」を開窯。
 ひたすらに作陶活動を続け、昭和32(1957)年のブリュッセル万国博覧会でグランプリを受賞したり、天皇家に花瓶を献上したりするなど、その実績もどんどん積み上げていきました。

 虎吉が亡くなった後は、三女の和子さんとその夫・勝康さん、そして四女の常美さんの三人が窯を引き継ぎ、自ら採取し精製した倉敷の土を用い、登り窯で焼き上げて作陶を続けてきました。

 しかし5年前に勝康さんが、そして今年3月に和子さんが亡くなり、後継者もいないことから、令和4(2022)年11月をもって、倉敷「羽島窯」76年の歴史に幕を下しました。
 
 番組では、常美さんの作った「スリップ豆皿」が紹介されました。
 素朴な模様ですが、どこか西洋を感じさせるハイカラさのある豆皿でした。
 
  3.押紋(倉敷堤窯・武内真木さん)

 倉敷にはもう一人、リーチが認めた職人がいました。
 武内晴二郎です。
 武内晴二郎は、大原美術館の初代館長・武内潔真の次男として生まれ、日本民藝運動を起こした河井寛次郎や濱田庄司、柳宗悦らから教訓を受けました。

 戦争で左腕を失うものの、昭和35(1960)年に倉敷市の西郊を流れる高梁川の旧い堤の跡に「倉敷堤窯」(くらしきつつみがま)を築窯し、積極的に作品を作り続けました。
 型物を中心に、スリップ・型押・象嵌などの技法を駆使した作品は、重厚で力強いもので、片手では極めて難しいと思われる陶芸活動へのチャレンジ精神に周囲の人達も敬服し、感嘆させました。
 陶芸家・濱田庄司氏は「武内晴二郎君の陶器は手で作ったというより眼で作ったと言いたい気がします」と評する程でした。
 
 武内晴二郎君の陶器は手で作ったというより目で作ったといいたい気がします。
 見て見て見た結果です。
 陶工として手の修行は久しいとは云えませんが、一家中が大した目と心とを持ったなかで暮らして来て、積もり積もった拠りどころが仕事の芯になっています。
 昨秋私はちょうど初窯の窯出しに立ち会えて、こくの籠った数々の大鉢を無類だと思いました。
 君が手の不自由だということも余計に思いを深めているかと思います。
 形が歪んでも傷が出来ても気になりません。
 これ程多くの陶工達がいろいろの試みをしている中で、立派に新しい道を見せてくれました。

 現在は、ご子息の武内真木(たけうち まき)さんが倉敷北部で採れる粘土を使って作陶されています。
 
 縁につけられた「押紋」と呼ばれる力強い連続模様が印象的です。
 これは石陶器と石膏で出来た丸い「型」でつけていくのですが、真木さんによると、先代の晴二郎さんが作ったものも合わせると、「型」は全部で160種はあるそうです。

 まず、スライスした土を石膏の型枠にのせて押し付けていきます。
 縁の部分は折り返して厚みを出して強度をつけていきます。
 縁を削って表面を滑らかにしたら、湿った土に「押紋の型」がくっつかないように粉を乗せていきます。

 「押紋の型」は縁に指を使って這わせていきます。
 その力加減は絶妙です。
 くっきりと模様が浮かび上がってきました。

 乾燥させたら型枠から外し、素焼きをします。
 釉薬をかけて本焼きしたら、完成です。

 繰り返し使っても飽きが来ず、使い続けることで味わいが出るのを目指したお皿です。
 
 倉敷堤窯 岡山県倉敷市酒津1660-65

*https://omotedana.hatenablog.com/entry/Ippin/Okayama/Yakimono より

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<異名-人物> 解放者

2023-12-01 07:48:55 | 異名

 「解放者 シモン・ボリバル」

 (1783〜1830)ベネズエラ

 南米5カ国をスペインからの独立に導いたことで「解放者」と呼ばれる。ヨーロッパに渡った彼はナポレオンによってスペインが弱体化していることをしり、帰国すると独立に貢献した。各国を転々としたシモンは、南米統一国家の建国を夢見るが断念した。

*https://www.chickennoneta.com/entry/%E7%95%B0%E5%90%8D%E3%81%A8%E8%8B%B1%E9%9B%84#%E8%A7%A3%E6%94%BE%E8%80%85%E3%82%B7%E3%83%A2%E3%83%B3%E3%83%9C%E3%83%AA%E3%83%90%E3%83%AB より

 シモン・ボリバル (Simón Bolívar [siˈmom boˈliβaɾ] ( 音声ファイル))として知られるシモン・ホセ・アントニオ・デ・ラ・サンティシマ・トリニダード・ボリバル・パラシオス・ポンテ・イ・ブランコ(Simón José Antonio de la Santísima Trinidad Bolívar Palacios Ponte y Blanco、1783年7月24日 - 1830年12月17日)は、南米大陸のアンデス5ヵ国をスペインから独立に導き、統一したコロンビア共和国を打ちたてようとした革命家、軍人、政治家、思想家である。

 ベネズエラのカラカスに南米大陸屈指の名家の男子として生まれたが、早いうちに妻を亡くしたことがきっかけとなって、その後の生涯をラテンアメリカの人々の解放と統一に捧げた。このため、ラテンアメリカでは「解放者」 (El Libertador) とも呼ばれる。

*Wikipedia より

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<料理用語-和食> 落とし蓋

2023-12-01 07:44:52 | 料理用語

 「落とし蓋」

 鍋より一回り小さい木蓋。
 金属、紙、アルミホイル、その他で代用する事もある。

 ・材料が踊らず煮崩れしない

 ・材料が浮かないので少量の煮汁で全体に味が回る

*https://temaeitamae.jp/top/t2/kj/4_E/039.html より

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<難読漢字-魚へん> 鮗

2023-12-01 07:42:39 | 難読漢字

 「鮗 このしろ」

 コノシロ(鰶・鮗・鯯・鱅、学名: Konosirus punctatus)は、ニシン目ニシン科に分類される魚類である。東アジアの内湾に生息する海水魚で、食用に漁獲される。

 日本語の呼称
 古くはツナシと言い、大伴家持の古歌に「都奈之」として登場する。「コノシロ」は古代に人名としても使用され、塩屋連鯯魚や坂合部連鯯魚、小塞連近之里、己乃志呂売、近志侶などが史料から確認できる。

 出世魚
 成長段階に応じて呼び名が変わる、いわゆる出世魚の一つである。関東地方では4 - 5センチメートルの幼魚をシンコ、7 - 10センチメートルぐらいはコハダ、13センチメートル程度はナカズミ、15センチメートル以上はコノシロとなる。その他の地域での若魚の名前として、ツナシ(関西地方)、ハビロ(佐賀県)、ドロクイ、ジャコ(高知県)などがある。

 コノシロの由来
 『慈元抄』では、コノシロの名称は戦国期ごろ「ツナシ」に代わり広まったという。大量に獲れたために下魚扱いされ、「飯の代わりにする魚」の意から「飯代魚(このしろ)」と呼ばれたと伝わる。これは、古くは「飯」のことを「コ」や「コオ」といい、また、雑炊に入れる煮付けや鮓(すし)の上にのせる魚肉なども「コ」や「コオ」といったところから。また『慈元抄』や『物類称呼』には、出産児の健康を祈って地中に埋める風習から「児(こ)の代(しろ)」と云うとある。当て字でコノシロを幼子の代役の意味で「児の代」、娘の代役の意味で「娘の代」と書くことがある。出産時などに子供の健康を祈って、コノシロを地中に埋める習慣があった。また焼くと臭いがきついために、以下のような伝承も伝わっている。

 むかし下野国の長者に美しい一人娘がいた。常陸国の国司がこれを見初めて結婚を申し出た。しかし娘には恋人がいた。そこで娘思いの親は、「娘は病死した」と国司に偽り、代わりに魚を棺に入れ、使者の前で火葬してみせた。その時棺に入れたのが、焼くと人体が焦げるような匂いがするといわれたツナシで、使者たちは娘が本当に死んだと納得し国へ帰り去った。それから後、子どもの身代わりとなったツナシはコノシロ(子の代)と呼ばれるようになった。
 

 富士山の山頂には「このしろ池」と呼ばれる夏でも涸れない池があり、山頂にある富士山本宮浅間大社奥社の祭神木花咲耶姫の眷属である「このしろ」という魚が棲んでいるとされ、風神からの求婚を断るために女神がやはりコノシロを焼いて欺いたという同様の話が伝わっている。

 また『塵塚談』には、「武士は決して食せざりしものなり、コノシロは『この城』を食うというひびきを忌(いみ)てなり」とあり、また料理する際に腹側から切り開くため、「腹切魚」と呼ばれ、武家には忌み嫌われた。そのため、江戸時代には幕府によって武士がコノシロを食べることは禁止されていたが、酢締めにして寿司にすると旨いため、庶民はコハダと称して食した。その一方で、日本の正月には膳(おせち)に「コハダの粟漬け」が残っており、縁起の良い魚としても扱われている。

 コノシロの漢字は、コノシロが秋祭の「鮓」の材料として広く使われたことから魚偏に祭とした。

 また冬という字を使って「鮗」とも書く。

*Wikipedia より

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<慣用句・諺> 雀の涙 など

2023-12-01 07:37:43 | 慣用句・諺

 「雀の涙」

 ごくわずかなもののたとえ。

 

 「雀百まで踊りを忘れず」

 雀は死ぬまで飛びはねるくせが抜けないように、人が幼い時に身につけた習慣は、年をとっても直らない。

 

 「鈴を転がすよう」

 女性の、澄んだ美しい声を形容する言葉。

 

 「鈴を張ったよう」

 女性の、つぶらで美しい目を形容する言葉。

 

 「裾を掻く」

 足をなぎ払って倒す。転じて、他人を出し抜く。裏切る。

 

*goo辞書 より

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<伝統野菜> 山口 あざみな -追記あり-

2023-12-01 07:30:45 | 伝統野菜

 「あざみな」

 岩国市美和町、山口市徳地、萩市むつみ村 他/県内30以上の市町村に分布。寒さに大変強く、厳寒期でも収穫できる葉もの野菜。カラシナの一種で、葉にピリッとした辛みがあり、サラダなどに利用。

*http://www.ja-yamaguchi.jp/product.html より

 「あざみ菜」

 【生産地】岩国市美和町(みわちょう)、山口市徳地町(とくぢちょう)、萩市むつみ村 他県全般

 【特徴】むつみ在来種。現在、県内30以上の市町村で栽培されている。寒さに大変強く、厳寒期でも収穫できる葉物野菜。葉に切れ込みがあり、あざみのように尖った葉が多いのが特徴。

 【食味】カラシナの一種で、葉にピリッとした辛みがある。

 【料理】サラダなどに利用

 【来歴】伝統野菜のあざみ菜は、萩市むつみ村の在来種。「あざみ菜」と言う名称では、宮崎県東臼杵郡美郷町で栽培されるカブの一種「イラカブ」の別称で、兵庫県丹波市でも生産されている。宮崎県、兵庫県でも伝統野菜とされる。

 【時期】10月上旬~3月

*https://tradveggie.or.jp/%e6%97%a5%e6%9c%ac%e3%81%ae%e4%bc%9d%e7%b5%b1%e9%87%8e%e8%8f%9c%ef%bc%8d35-%e5%b1%b1%e5%8f%a3%e7%9c%8c/#i-8 より

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<国産ワイナリー> カタシモワイナリー

2023-12-01 07:27:34 | 国産ワイナリー

 「カタシモワインフード(株)/カタシモワイナリー」

 大正3年創業。日本酒の製造技術を用いてワイン醸造を始めた、西日本では現存する最古のワイナリーです。かつて日本一の産地だった大阪のぶどう畑を後世に残し、地域と共に歩んで行こうとワイナリーツアーやイベント等、様々な取り組みを積極的に行っています。他社に先駆けて発売した「グラッパ」やたこ焼きに合うスパークリングワイン「たこシャン」等、日本人の味覚に合ったオリジナリティ溢れる商品を生み出し続けます。

 カタシモワインフード(株)/カタシモワイナリー 大阪府柏原市太平寺2丁目9番14号

 商品リスト

堅下本葡萄 合名⼭南⻄畑

味わい さわやかな辛口

たこシャン 

味わい さわやかな辛口

*https://www.winery.or.jp/winery-map/778/ より

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<大阪-観光> ハーベストの丘

2023-12-01 07:21:21 | 観光

 「ハーベストの丘」

 堺・緑のミュージアム ハーベストの丘は、大阪府堺市南区にある農業公園である。2000年4月11日開業。指定管理者制度に基ずき、株式会社堺ファームが管理・運営している。

*Wikipedia より

 堺市南部泉北丘陵の一画に広がる、緑と花に溢れた農業公園。甲子園球場の8倍の敷地には芝生広場や花畑、つり橋などがあり、54人乗りのハーベストトレインがのんびり運行。「新鮮・安全・美味しい」をテーマに四季折々の収穫体験、パンやソーセージなどの手づくり体験、陶芸や絵つけなどのクラフト体験が楽しめる。ふれあい広場では、ウサギなどの小動物に触れ合ったり、牛の乳搾りや乗馬体験も。関西最大級の芝滑りゲレンデも楽しい。近隣の農家から届く採れたて野菜の直売所、マイスター工房で作られた自家製品や焼きたてパンなどを販売する手づくり館、レストラン、バーベキューサイトもある。

*https://osaka-info.jp/spot/harvest-hill/ より

 

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