いいもの見ぃ~つけた!

「いいもの」は探せばいっぱいあります。独断と偏見による個人的「いいもの」情報発信所です。

< 郷土料理 > 青森 豆しとぎ

2023-12-05 09:21:51 | 郷土料理

 「豆しとぎ」

 主な伝承地域 南部地方

 主な使用食材 青大豆、合わせ粉(うるち米粉:もち粉)、砂糖

 歴史・由来・関連行事
 煮て潰した青大豆に米粉と砂糖を入れて練った生菓子。「しとぎ」は米をつぶして粉にしてつくったもので、現在の餅の原型とも言われ、全国で神前のお供え物とされていた。南部地方ではしばしば冷害に見舞われ、米が貴重だったため大豆を加えてつくられるようになり「豆しとぎ」とよばれるようになった。どの家庭も味噌を仕込むために大豆の作付けは多かった。ハレの日に山の神や農神へお供えして、健康と豊作を祈り、その後蒸したり焼いたりして食べる。

 食習の機会や時季
 青森県では12月に入ると「神様の年取り」の行事が続く。3日に稲荷様、5日にえびす様、7日に天王様、9日に大黒様、12日に山の神様といった具合に連日のように神祭りを行う習慣があった。南部地方では、このときの主にお供え物にするのが「豆しとぎ」で、一日ずつ神を祀りながら一年のご加護に感謝し、新しい年の平安を祈った。

 飲食方法
 煮て潰した青大豆と米の粉を混ぜ、砂糖と塩を一つまみ入れてぬるま湯でこね、かまぼこ状にまとめる。1cmほどの厚さに切り、そのまま食べればほろりとした食感、焼き目がつくくらい焼くと香ばしく甘みが増し、少しもちっとした食感になる。大豆の品種によってできあがりの色合いや甘みが異なる。多くの場合は青大豆を使い、明るい青緑色と米粉の白が混ざり合った上品で爽やかな見た目に仕上げる。

 保存・継承の取組(伝承者の概要、保存会、SNSの活用、商品化等現代的な取組等について)
 伝統的なおやつの中でも人気があり、家庭でつくる他、スーパーマーケットや道の駅、産直などでも販売されている。応用が利くため、豆の代わりにドライフルーツやナッツを入れたり、フルーツソースをかけてレストランのデザートにしたりと現代風のアレンジも見られる。お供え物としてだけでなく、日常のおやつやおもてなしにも使われる。

*https://www.maff.go.jp/j/keikaku/syokubunka/k_ryouri/search_menu/menu/mame_shitogi_aomori.html より

 ”しとぎ”といえば「豆しとぎ」 特産品・お土産 | 2006-10-16 19:41

 「豆しとぎ」という食べ物をご存じでしょうか?

 「しとぎ」とは、米をつぶし、粉にして作ったもちのこと。
 もちの原型ともいわれ、古くから神前のお供えものとして欠かせない存在でした。
 かつては全国的に食べられていたようですが、この伝統食が今なお生き続けているのは、青森を中心とする北東北と九州地方のごく一部だけだとか。日本の北と南の端だけに残っているのはなんとも不思議ですね。

 これに大豆を混ぜたのが”豆しとぎ”です。
 同じ青森県内でも、米どころの津軽地方で「しとぎ」といえば米粉をしとねたこの餅のこと。甘~い”あんこ”も入っています。
 しかし、南部地方で”しとぎ”といえば、普通はこの「豆しとぎ」を指します。しかも”あんこ”なし。大豆を加えてつくる「豆しとぎ」は、しばしば冷害に見舞われ、米が津軽地方以上に貴重であった南部地方ならではの伝統的なおやつと言えます。

 作り方はいたってシンプル。水に浸しておいた大豆を硬めに茹で、すり鉢ですりつぶし、米粉を加えてよくこね合わせるだけ。青大豆の煮汁は甘味が強いので、それを加えるだけで甘味が出ますし、お好みで砂糖を加えても良いでしょう。
 使う大豆の種類によってできあがりの色合いは様々。黒大豆や黄大豆も使いますが、美しいうぐいす色に仕上がる青大豆を用いるのが最もポピュラーで、私の記憶では一番美味しかったような気がします。

 そのまま食べてもおいしいのですが、焼いて食べると香ばしく、甘味が引き立って美味しさもアップ。昔の時代、南部の子供たちにとって、どれほど楽しみなおやつだったことでしょうか。

 つい先日、なんと東京都内のある居酒屋で、焦げ目が付く程度に焼いた「豆しとぎ」をいただきました。これが不思議なほどアルコールにピッタリ。子供のおやつだと思っていましたが、なんのなんの。大人の絶品おつまみでもありました。侮れませんよ!by 義人

 掲載されている内容は取材当時の情報です。メニュー、料金、営業日など変更になっている可能性がありますので、最新の情報は店舗等に直接お問合せください。

*https://www.marugotoaomori.jp/blog/2006/10/2041.html より

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<おせち> 酢の物-梅干し

2023-12-05 09:16:52 | おせち

 「梅干し」

 「梅干し」の由来
 梅干しは、老人の皮膚のようにシワがよっていることと、梅の木は長生きする木であることから、長寿を願う縁起物として、昔から食されてきました。また、主に京都や関西地方の習慣で、お茶に梅干しを入れて飲む「福茶」と呼ばれる飲み方があります。昔、京都で疫病が流行したときに梅干し入りのお茶を飲むことで疫病がおさまったことがありました。それ以来、無病息災を願って、お正月や節分などのお祝いの席で梅干し入りのお茶を飲むようになったようです。

 「梅干し」の特徴
 酢れんこんに梅肉を和えたり、味噌と梅干しを合わせて鶏肉などにのせて焼く「梅味噌焼き」もおすすめです。梅干しにかつお節やみりんを合わせて、きゅうりや大根、にんじん、れんこんなどと和えてもよいでしょう。

*https://www.jreastmall.com/shop/secure/detail_umeboshi.aspx より

 祝いの席の「梅昆布茶」でいいのかな?

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イッピンNHK 「薄くて丈夫 伝統の技~岐阜 美濃和紙~」

2023-12-05 09:10:29 | イッピンNHK

 第226回 2019年6月18日 「薄くて丈夫 伝統の技~岐阜 美濃和紙~」リサーチャー: 生方ななえ

 番組内容
 美濃和紙の魅力を紹介。和紙に施された模様が部屋中に投影され、幻想的な雰囲気を醸し出すランプシェード。和洋どちらの部屋にも合うモダンなデザインが、女性たちに人気だ。「これが和紙?」と誰もが驚く“水うちわ”は、透けるような薄さで出来ている。かつて涼を取るのに使われ、近年若い職人たちの手で蘇ったイッピンだ。無形文化遺産にも登録され、伝統の技から生み出された美濃和紙を、モデルの生方ななえが徹底リサーチ!

*https://www.nhk.or.jp/archives/chronicle/detail/?crnid=A201906181930001301000 より

 

 1.美濃和紙のランプシェード(彩光デザイン)

 和紙に施された模様が部屋中に投影され、幻想的な雰囲気を醸し出すランプシェード。
 彩光デザインさんの作品です。

 彩光デザインさんは、刃物が名産品で有名な岐阜県の関市にある世界的に有名な岐阜県の和紙照明のブランドです。

 関市に隣接している岐阜市と美濃市は、それぞれ「岐阜提灯」と「美濃和紙」で有名であり、「美濃和紙」を使った「岐阜提灯」は昔から身近な存在でした。
 この和紙を透した灯りは、とても優しく、そしてとても柔らかく、 和洋どちらの部屋にも合うモダンなデザインが、女性に大人気です。

 「美濃和紙」は、原料である「楮」(こうぞ)の木の皮の白い部分を繊維状にほぐして使用します。

 それを井戸水に浸けて、「トロロアオイ」の根から抽出した粘液「ねり」を混ぜます。

 「ねり」は楮の繊維の広がりを均一にするために使われます。
 「ねり」のない水で紙を漉くと、繊維の水中滞在時間が短く、すぐ水が落ちてしまい繊維が均等に散らばりません。
 薄くて丈夫で、保存性に富んだ和紙の特徴は、この「ねり」があってこそなのです。

 続いて紙漉き。
 手漉き和紙は「簀桁」(すけた)という用具に原料液を汲み込み、よく揺すって繊維同士を絡み合わせて作ります。
 「簀桁」(すけた)は、繊細な竹のすだれに編まれた「漉き簀」(すきす)に「漉き桁」(すきけた)を取り付けたものです。

 美濃では、「縦揺り」(たてゆり)に美濃独特のゆったりとした「横揺り」(よこゆり)を加えて漉いていく方法が発達してきました。
 繊維を縦横無尽に高い密度で積層させていくことで、「美濃和紙」ならではの地合いと薄くて丈夫な和紙になるのです。
 「簀桁」(すけた)に水が入るとその重さは10kgにもなるため、紙を均一に漉くのはとても難しいそうです。

 次に、ランプシェードに使われてたレースの様な網目を施していきます。
 漉き終わった紙を模様が入った型の下にセットし、上から水をシャワーの様にかけるだけ。
 これは「落水」と呼ばれる技法で、型の穴の部分の楮を水で弾くことで模様が出来上がります。
 その後、板状の乾燥機に丁寧に貼り付けて10分程乾燥させて完成です。
 
 紙漉き職人で伝統工芸士の市原智子さんは、
「完成するまで本当に大変。重労働です。これから何年出来るか分からないけれど、新しいものにも興味があるので挑戦してみたい気持ちがある」とおっしゃっていました。
 
 そして最後の仕上げ。担当するのは岩井恵美子さんです。
 「美濃和紙」が作られている岐阜県は「岐阜提灯」や灯篭、和傘の一大産地としても有名ですが、その伝統工芸品「岐阜提灯」の作り方からヒントを得たという方法で、ランプに仕上げていきます。
 まずランプシェードの型を組み立てたら、ワイヤーを巻いていきます。
 叩くようにして糊をワイヤーに着けたら、美濃和紙をカミソリの刃を一定の角度で当てながら貼り付けていきます。
 際も気を使うのが和紙と和紙の繋目の部分。
 影になって浮き出てしまうので、綺麗なラインで同じ細さに切っていかないと美しく仕上がりません。
 これを乾かして型を外せば、モダンなランプシェードの出来上がりです。

 岩井さんは、「和紙職人さんが手間をかけて作ってもらった訳ですので、 丁寧にひとつひとつ綺麗に仕事をするように心掛けています。
 和紙の優しい明かりがお客様の癒しになって 喜んで頂けたらなと思います」とおっしゃっていらっしゃいました。
 
 彩光デザイン 岐阜県関市千疋 1 393   

 

 2.本美濃紙(本美濃紙職人・倉田 真さん)

 奈良時代以降、1300年に渡って和紙づくりの伝統を誇る美濃市。
 「正倉院」には、日本最古の和紙として美濃、筑前、豊前の3国の戸籍用紙が所蔵されています。
 
 また、「福井県の「越前和紙」、高知県の「土佐和紙」と並び「日本三大和紙」のひとつにも数えられています。
 
 「美濃和紙」は、江戸時代、障子紙の最高級品として評判になり、今でも京都迎賓館を始め、多くの建物に美濃和紙は使われています。

 美濃和紙には、「本美濃紙」「美濃手すき和紙」「美濃機械すき和紙」の大きく3種類があり、中でも厳選した素材で手漉きされる「本美濃紙」は、昭和44(1969)年4月15日に国の重要無形文化財に指定、平成26(2014)年にユネスコ無形文化遺産に登録され、国宝級の古文書や絵画の修繕に使用されています。

 その「本美濃紙」が特に際立っているのはその「白さ」です。
 この白さをいかにして生み出しているのか。
 「本美濃紙」の技術を主軸に制作活動を行っている倉田真さんに紹介していただきました。
 
 美しい白を作り出すには膨大な手間と時間が掛かります。
 まず入念な手作業で原料処理を行います。
 原料である「楮」(こうぞ)の楮の白皮を清流に3日程浸して、自然漂白させるとともに不純物を取り除きます。
 次にその白皮を草木灰やソーダ灰を溶かした湯の中で、軟らかくなるまで煮熟します。
 その後、「川屋」(かわや)と呼ばれる清らかな井戸水が流れる所で不純物を丁寧に取り除く「ちり取り」という作業を行います。
 「ちり取り」は最も大事な工程で、僅かに残った残っている皮やゴミを丹念に取り除いていきます。
 紙すきに使えるまで処理をするのに約2週間。
 これでようやく原料となる「楮」の準備が整いました。

 次は「すき舟」に井戸水を張って、「トロロアオイ」という植物の根を磨り潰した粘液「ねり」を混ぜます。
 「ねり」は楮の繊維の広がりを均一にするために使われます。
 「ねり」のない水で紙を漉くと、繊維の水中滞在時間が短く、すぐ水が落ちてしまい繊維が均等に散らばりません。
 薄くて丈夫で、保存性に富んだ和紙の特徴は、この「ねり」があってこそなのです。
 
 そうしたら紙の製造に適した性質を与えるために「叩解」(こうかい)という作業を行います。
 これは、楮の白皮を一本ずつの繊維にほぐすためにまず本美濃紙特有の木槌を使って叩いてほぐし、「ナギナタビーター」という機械で、繊維を細かくほぐしていきます。
 これでやっと漉く前の液の準備が整いました。
 
 明日漉く紙の原料の叩解作業。
 ナギナタビーターというミキサーのような機械で、繊維一本一本をバラバラにします。

 FO-01,02用のため、楮と雁皮の繊維を配合。
 表面が平滑で毛羽立ちも少なく、パリッとした触り心地が特徴の紙になります。

 手漉き和紙は「簀桁」(すけた)という用具に原料液を汲み込み、よく揺すって繊維同士を絡み合わせて作ります。
 「簀桁」(すけた)は、繊細な竹のすだれに編まれた「漉き簀」(すきす)に「漉き桁」(すきけた)を取り付けたものです。
 
 通常の紙漉きは、縦方向にのみ「簀桁」(すけた)を揺らします。
 美濃ではこの「縦揺り」(たてゆり)に、美濃独特のゆったりとした「横揺り」(よこゆり)という横方向にも簀桁を揺らして漉いていく方法が発達してきました。
 
 繊維を縦横無尽に高い密度で積層させていくことで、繊維が均等に絡み合い、障子などで陽の光を通した時に見えるテクスチャーまでもが美しくて、薄くて丈夫な和紙を作ることが出来るのだそうです。
 
 漉き終わった和紙は、「紙床」(しと)の上に置き、約半日の間圧力をかけて脱水していきます。
 それから栃(とち)の一枚板に貼り付けて天日干しを行います。
 日光には漂白効果があるため、より白く仕上がっていきます。
 白く美しい伝統の「本美濃紙」は職人達の地道な努力によって受け継がれているです。
 
 <本美濃紙の指定要件>
 ・原料は「大子那須楮(だいごなすこうぞ。
  茨城県久慈郡大子町でつくられる須楮)の白皮」 のみであること。
  茨城県久慈郡大子町産の最高級品「大子那須楮」
 ・以下の伝統的な製法と製紙用具によること。
   1.白皮作業を行い、煮熟には草木灰またはソーダ灰を使用すること。
   2.薬品漂白を行わず、填料(てんりょう)を紙料に添加しないこと。
   3.叩解(こうかい)は手打ち、またはこれに準じた方法で行うこと。
   4.抄造(しょうぞう)は「ねり」にとろろあおいを用い、「かぎつけ」または「そぎつけ」の竹簀(たけす)による流漉きであること。
   5.板干しによる乾燥であること。
 ・伝統的な本美濃紙の色沢、地合等の特質を保持すること。
 
 
 
 3.水うちわ(家田紙工)

 「水うちわ」とは、岐阜の豊かな川文化から生まれた独特の透明感を持つうちわです。

 元々、長良川で行われる鵜飼を見に来た観光客への土産品として作られたのが起源とされ、室町時代には既に生産が行われていたという記録があるそうです。
 明治に入ると海外からも注目されるようになり、生産量が飛躍的に増加。

 そんなうちわ好景気の明治19(1887)年、岐阜提灯の製造を営んでいた勅使河原直次郎氏が考案したのが、最初の「水うちわ」だと言われています。

 昭和に入ると日本人の生活が西洋化したことで、和紙や工芸品の需要が減少し、プラスチックやビニールを使ったうちわが大量に作られ、また、扇風機やクーラーが普及するようになると、「水うちわ」の生産量は徐々に減り、一度途絶えてしまいます。

 しかし、近年になってクーラー病や災害時の暑さ対策などの観点から、再び注目を集めるようになり、家田紙工さんが手掛ける現在の「水うちわ」が復活しました。

 「水うちわ」は、「美濃手漉き和紙」の「雁皮紙」(がんぴし)に、ニスを塗って仕上げてあります。

 その厚さはなんと0.014mm。
 「楮」の和紙に比べて遥かに薄いのが特徴です。
 「楮」の繊維は中が詰まっているのに対し、「雁皮」の繊維は中に空洞があるため、この空洞を潰すことで、より薄く平らになっています。
 

 家田紙工 岐阜県岐阜市日野東1丁目5−8

 

 4.Corsoyardコルソヤード・澤木健司さん

 美濃市では毎年、和紙を身近に感じてもらおうと「美濃和紙 あかりアート展」を開催しています。
 今では全国から400もの応募があり、美濃市の風物詩ともなっています。
 今年、令和4(2022)年も、9月下旬から応募全作品の「WEB展示」が予定されている他、10月9日(日)から22日(土)には、「町並み展示」展示が予定されています。

 手漉き和紙職人の澤木健司さんも「水うちわ」の復活に乗り出した一人です。
 澤木さんは和紙を使った新たな製品づくりにも挑戦していて、平成15(2003)年より「水うちわ」を復活させて地域の名産にしようと取り組み、年の歳月をかけて復活に成功させました。

 「水うちわ」の特徴と言えば、厚さはなんと0.014mmというその薄さ。
 「雁皮紙」を用いている訳ですが、かつてガリ版印刷に使うために大量に生産されていた「雁皮紙」も、その衰退とともに、美濃市でも職人はいなくっていました。
 澤木さんは、「水うちわ」の復活を目指すに当たり、年配の元職人達に雁皮紙の製法を聞いて回わり、試行錯誤を重ねました。
 
 そうして出来上がった「雁皮紙」にシルクスクリーンという手法で図柄を印刷し、竹骨に貼っていきます。
 仕上げにニスを塗ります。
 ニスを塗ることにより光沢が出るとともに、防水効果も高まります。
 担当するのはニス塗り職人の久世敏康さんです。
 ニスを塗っては乾かすという作業を一週間に3回繰り返します。

 澤木さんは、大光工房の美濃和紙伝統工芸士・市原達雄さん師事し、平成16(2004)年に自然や天然に出来るだけこだわった、美濃手漉き和紙工房「Corsoyard」(コルソヤード)を開業しました。

 紙づくりだけではなく障子張替などのサービスや印刷、Origami Jewelry(オリガミジュエリー)などといった新しい商品の開発にも力を入れています。

 平成28(2016)年7月には珈琲フィルター「立花」で「LEXUS NEW TAKUMI PROJECT 」の「匠」に認定されています。
 「立花」は、保存・殺菌のための薬品を一切使うことなく天然繊維のみを丁寧に結合させ、漉き上げた岐阜県美濃市立花産の極薄コーヒーフィルターです。
 
 豆の油分や旨味を吸収しないため、雑味の少ない深くまろやかな味わうことが出来るだけでなく、コーヒーを淹れた後は豆と共に土に埋めて地球に還すことが出来ます。
 淹れる人、嗜む人、地球の環境、全てに優しいコーヒーフィルターです。
 
 Corsoyard 岐阜県美濃市立花673番地1

*https://omotedana.hatenablog.com/entry/Ippin/Gifu/Minowashi より

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<異名-人物> 戦場の天使

2023-12-05 08:20:14 | 異名

 「戦場の天使 ナイチンゲール」

 (1820〜1910)イギリス

 イギリスの看護師。クリミア戦争では予想に反した介護技術と熱意で周囲の人間を驚かした。負傷兵から「戦場の天使」と呼ばれた。ナイチンゲールが看護師をやっていたのは数年の話であって、名声は統計学で得た。統計学に基づいて医療現場の改革をした。

*https://www.chickennoneta.com/entry/%E7%95%B0%E5%90%8D%E3%81%A8%E8%8B%B1%E9%9B%84#%E6%88%A6%E5%A0%B4%E3%81%AE%E5%A4%A9%E4%BD%BF%E3%83%8A%E3%82%A4%E3%83%81%E3%83%B3%E3%82%B2%E3%83%BC%E3%83%AB より

 フローレンス・ナイティンゲール(Florence Nightingale、1820年5月12日 - 1910年8月13日)は、イギリスの看護婦、社会起業家、統計学者、看護教育学者、「近代医療統計学および看護統計学の始祖ならびに近代看護教育の母」。統計学の業績について高く評価され1858年には王立統計学会初の女性会員となった。

 クリミア戦争での負傷兵たちへの献身や統計に基づく医療衛生改革[2]により著名で、「ランプの貴婦人(the lady with the lamp)」の別称がある(日刊紙タイムズの1855年2月8日版[3]に掲載された内容から)。「光掲げる貴婦人」「クリミアの天使」とも称される。

 国際看護師の日(5月12日)は彼女の誕生日である。

 ロンドンの聖トーマス病院に付属してナイチンゲール看護学校を設立、これは世界初の宗教系でない看護学校であり、現在はキングス・カレッジ・ロンドンの一部となっている。

 病院建築でも非凡な才能を発揮した。

 ギリシア哲学についても造詣が深く、オックスフォード大学のプラトン学者、ベンジャミン・ジョウェットとも親しく交流した。

*Wikipedia より

 上記にあるように「クリミアの天使」とはあるが、「戦場の天使」という記載はない。ただ『ナイチンゲール―“戦場の天使”とよばれたイギリスの看護婦』黒沢哲哉、漫画:真斗、監修:長谷川敏彦 小学館からか?

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<料理用語-和食> 大原女造り・大原木造り・たばね結び

2023-12-05 08:10:21 | 料理用語

 「大原女造り・大原木造り・たばね結び」

 キスやサヨリの昆布締め、白魚やイカなど。
 厚みをそろえ、長さも5センチほどに揃える。
 それを数本束ねる。

*https://temaeitamae.jp/top/t2/kj/4_E/042.html より

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<慣用句・諺> 素引きの精兵 など

2023-12-05 08:03:52 | 慣用句・諺

 「素引きの精兵-すびきのせいびょう」

 《素引きをする姿だけはりっぱにみえるところから》理論には強いが、実戦には役に立たない者。

 

 「滑ったの転んだの」

 つまらないことをあれこれ言いたてるさま。

 

 「凡ての道はローマに通ず」

 《ローマ帝国の盛時に、世界各地からの道がローマに通じていたところから》多くのものが中心に向かって集中しているたとえ。また、あらゆることは一つの真理から発しているたとえ。

 

 「すまじきものは宮仕え」

 他人に仕えることはいろいろと苦労があるから、なるべくやらないほうがよいということ。

 

 「素股が切れ上がる」

 背が高いさまにいう。

 

*goo辞書 より

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<難読漢字-魚へん> 鯖

2023-12-05 08:01:10 | 難読漢字

 「鯖 さば」

 サバ(鯖、青花魚、鮄、英: Mackerel)は、スズキ目・サバ科のサバ属(Scomber)・グルクマ属(Rastrelliger)・ニジョウサバ属(Grammatorcynus)などに分類される魚の総称。世界各地で食される。

 文化
 食と信仰
 古くから日本人になじみの深い食用魚である。縄文時代の遺跡である青森県の三内丸山遺跡でブリなどとともにサバの骨が出土した。「さば」の名称は古く、一説には、小さい歯が多いことから「小(さ)歯(ば)」の意であるという。平安時代には中男作物(地方産物を納めさせる税)として貢納され、また鯖売りの行商が行われていたなどという記録がある。

 鯖は1年中日本近海で漁獲されるが、特に漁獲量の多いマサバは秋が旬とされている。「秋鯖は嫁に食わすな」という嫁いびりに繋げた言葉があるが、現代では「脂肪が多いから嫁さんには良くない」という解釈もある。

 現代では、語呂合わせから3月8日が「鯖の日」とされている。鯖食愛好者でつくる全日本さば連合会などにより、2014年から毎年、各地の水揚げ漁港で鯖料理の即売などを行う「鯖サミット」が開かれている。また「SABAR」(サバー)など鯖料理を売り物にする飲食店の展開、鳥取県岩美町とJR西日本などが連携した陸上養殖ブランド鯖「お嬢サバ」の売り込みなど、鯖食文化の高付加価値化が進んでいる。

 徳島県海陽町には、弘法大師(空海)を本尊とする鯖大師本坊(八坂寺)という寺がある。「鯖斷ち三年祈願」と言って、願掛けした後に鯖を3年間食べないことで、病気平癒・子宝成就・心願成就の御利益があると信じられている。旅僧姿の弘法大師または行基が旅僧の姿で鯖を請うたのに、商人または馬子が荷物の鯖を与えなかったため罰せられたという伝説がある。

 『おもしろ金沢学』(北國新聞社)の「棟上げのサバは天狗よけ」という項目によると、越中五箇山や飛騨白川郷といった日本海に近い山間部では、正月の膳に必ず能登の塩サバが用意された記録がある、という。氷見や新湊ではブリが「年取り魚」となっているが、山間部ではサバが使われた。

 トルコ最大の都市イスタンブールでは、金角湾にかかるガラタ橋からのサバ釣りと、その横でのサバサンド屋台が名物となっている。

 また鯖は天狗が苦手とするものだという。

*Wikipedia より

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<伝統野菜> 山口 徳佐うり -追記あり-

2023-12-05 07:50:23 | 伝統野菜

 「徳佐うり」

 山口県 阿東町
 徳佐瓜 (とくさうり)
 分類:野菜
 【見た目】
 短円筒の俵型で、果重1.0~1.5kg、果皮は淡緑色に濃緑の縦じま
 【食味】
 肉質は緻密で、漬けたときの減量が少なく、歯切れがよい
 【由来】
 明治時代に広島県から導入された説や、島根県から伝わった説等諸説がある
 【調理法・加工品等】
 うりもみ(なます)、奈良漬など
 【生産の見通し】
 現状維持  

*http://g-foods.info/zukan/product/product_762.html より

 【生産地】山口市阿東徳佐(あとうとくさ)(旧:徳佐村)

 【特徴】白瓜(しろうり)。短円筒の俵型で、やや小型。果皮は淡い緑色の地に十本の濃緑の縦縞模様が入っている。果重1.0~1.5kg。

 【食味】果肉が厚く、歯ごたえが良い。

 【料理】主に粕漬けに利用。うりもみ(なます)、奈良漬など。

 【来歴】山口県の徳佐地区で栽培されていた漬物用の瓜。現在は、宇部市東岐波(ひがしきわ)地域で栽培している。同地域は昔からスイカや瓜の栽培が盛んで、徳佐うりも少量ながら市場流通している。近年、奈良漬を作る家庭が減り、生産量は徐々に減少している。種や苗は宇部市(うべし)東岐波(ひがしきわ)の東部営農センターで扱っている。

 【時期】6月~8月

*https://tradveggie.or.jp/%e6%97%a5%e6%9c%ac%e3%81%ae%e4%bc%9d%e7%b5%b1%e9%87%8e%e8%8f%9c%ef%bc%8d35-%e5%b1%b1%e5%8f%a3%e7%9c%8c/#i-21 より

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<国産ワイナリー> 島之内フジマル醸造所

2023-12-05 07:42:57 | 国産ワイナリー

 「(株)パピーユ/島之内フジマル醸造所」

 

 (株)パピーユ/島之内フジマル醸造所 大阪市中央区島之内1-1-14

*https://www.winery.or.jp/winery-map/2651/ より

 

 ぶどう産地としての大阪

 大阪には、すでに120年を超えるブドウ造りの歴史があり、生産量も全国トップクラスだった時代もあります。しかし、都市化が進み、ブドウ畑は宅地に変わり、農家さんは街で働くようになりました。その結果、多くの畑が耕作放棄地となり、大阪のブドウ畑は今では減少する一方です。しかし、それでもまだ大阪には多くのブドウ畑があり、大阪でワイン業界に身を置くものとしてワイン産地が消えゆくのを黙ってみている訳にはいきませんでした。私たちは、大阪府柏原市で2010年から耕作放棄地を中心にブドウ栽培をスタート。その後、耕作依頼は増え続け、2haを超えるブドウ畑を管理するまでになりました。一年でも放棄された畑は、雑木などが入り込み、再び栽培を再開するのは費用のことを考えるとかなり困難になります。いちワイン業界の人間として何とか次の世代へワイン産地としての大阪を引き渡したいと思い、大阪で長年育てられているデラウェアを中心に苦戦しながらもブドウ栽培を続けています。

 ワイン造りへの挑戦

 当初は大阪の創業100年を超える老舗ワイナリーであるカタシモワイナリーさんで委託醸造という形でワインを造っていたのですが、管理する畑が急増したことにより、間借りでは追い付かなくなり、2013年、自分たちでワイナリーを設立することを決めました。ただ、創業から間もない小さな会社なので予算が少なく候補地選びにかなり苦戦をしました。しかし、そのお陰で、ワイン造りや自分たちの本当に表現したいことを見つめ直す良いきっかけとなり、最終的に私たちが選んだ場所はセオリー通りの『畑の近く』ではなく『街のど真ん中』でした。

 私たちのゴールは、ワインを造ることでも、大阪のブドウ産地を残すことでもありません。それはあくまでも手段、課程であり、私たちのゴールは『ワインを日常に』です。どこか舶来のモノのイメージがあるワインに親しみを持ってもらうためには、もっとワインのことを知ってもらわなければいけません。ワインは難しそう、という先入観をくつがえさなければ先に進まないと思うのです。また、産地と造り手と消費者が一体になれるような場所を創ることによって、ワインがただの工業製品ではなく、農作物であることを身をもって伝えるために、私たちは大阪のど真ん中にワイナリーとその接点となるレストランを作りました。

 そして、さらに増え続ける耕作放棄地や近郊の農家さんからのブドウ買取依頼のため、自社ワイナリーのキャパシティを超えることが予測され、既存の契約農家さんのブドウを買い続けるため、東日本のブドウを受け入れるネゴシアン型ワイナリーを東京都江東区の清澄白河に設立。もちろん日本の原料のみでワインを造り続けています。

 私たちのワインは決して派手なタイプではありません。あくまでも食中酒として日本の食卓に寄り添うような味わいを目指しています。繊細な和食を味わうように少し耳を傾けながら味わっていただけるとブドウ畑からの声が聞こえるかもしれません。

 商品リスト

Chill-out white 2022

●余市のブドウ
コロナの影響は思いがけないところで、私たちに貴重な機会を与えてくれました。
ワインの減産によりブドウ出荷量に余裕ができたということで、大阪に北海道余市のブドウたちがやってきたのです。
私たちは基本的に大阪のブドウをつかって大阪でワインをつくることを大切にしていますが、やはり全く違うエリアで育ったブドウや普段触ることのない品種を扱うことができるのは勉強になるし、何よりも楽しい!
ワイナリー新設ラッシュの続く北海道のブドウが今後も大阪に入ってくることは難しそうですので、ぜひこの機会に島之内フジマル醸造所で北海道のブドウを醸したワインをお試しください。

●ケルナーを酸化的に??
ケルナーは、普段私たちが扱うデラウェアに比べて酸化に弱い品種。発酵中や液体の移動時にはなるべく酸化的な負荷をかけないように気を付けて仕込んだ一方で、熟成は少し酸化的にすることでケルナーの香りをもっと華やかな感じにできるのではないかと考えました。
そこで、発酵完了したワインの一部をあえてクヴェヴリ(ジョージアの土甕)で熟成させてみたのです。 6カ月の熟成の後、クヴェヴリ熟成のケルナーは思った以上に華やかに開いた香り。 この香りを100%活かして瓶に詰めたかったので、本数は少なくなってしまいますが、クヴェヴリ熟成のみでボトリングしています。

●Chill-out
食事に寄り添うような味わいのワインつくりを心がけているフジマルのラインナップたちとは少しスタンスの異なり、やや個性の『押しが強い』ワインに仕上がっています。食中酒としてならばスパイスやハーブをきかせたエスニック料理にピッタリあってくれますが、それだけではなく、ゆっくりリラックスした時間にワイン単体で楽しんでもらうのにも最適です。 ぜひ、クヴェヴリ熟成の華やかなケルナーでChill-outしてください。

メンブレンプレス機を使って全房で圧搾後、樹脂の開放タンクで18日間自然発酵。500Lのクヴェヴリで6ヶ月熟成させたのち、亜硫酸塩を20ppm添加してボトリング。液体の移動はなるべく空気を含まないようにタンクに窒素を貯めた状態で優しくゆっくり行いました。ボトリング以外の過程で亜硫酸の添加は行っていません。
原料:ケルナー(北海道産100%)
内容量:750 ml  アルコール分:12%
総酸度:6.7 g/L 総亜硫酸:18 ppm  遊離亜硫酸:4.8 ppm

産地:日本、山梨 品種:山梨県山梨市牧丘町隼地区マスカットベーリーA100%
<ワイナリー様コメント>
畑の西側に隼山があり、夕日が遮られ夜温が下がりやすくしっかりと色づいた良質なぶどうが育ちます。 ステンレスタンク発酵 + 樽熟成。フレンチとアメリカンオークの 2 種類の樽で 11 ヶ月熟成させた深い味わい。優雅な余韻がお料理の美味しさをより引き出します。
隼地区・・・笛吹川の扇状地。標高 350M~550M (牧丘の山からの花崗岩を主体とした砂と礫に一部火山灰混じり)

<スタッフティスティングコメント>
MBA の香りがふくよかに立ち上りとても柔らかみのあるアタックで、味わいの余韻は長い。樽からのタンニンが程よく、しっかりめの煮つけや醤油ベースのソースを変えk田ステーキなどにもピッタリ。(マスカットベイリーAはお醤油との相性もとてもいいのです)。 フレッシュな酸を楽しめる今もいいが、穏やかなタンニンがよりなじむ数年後も楽しみたい。
ゆっくりじっくり、成長を見ていきたいワインです!

■ワイナリー紹介
山梨県勝沼地区の日川のほとりに点在するぶどう畑と醸造所。
心地よい風の通り道に位置するぶどう畑は水はけがよく、太陽の光をいっぱい浴びて成長した、香りのよいぶどうが豊かに実ります。 そして勝沼地区だけではなく、同じ山梨県内でも地域によって、それぞれに味わい深いぶどうが出来上がります。
ぶどう畑の環境に合わせて的確なタイミングで摘み取り、この土地の気候風土の恵みをそのままに、畑ごとにワインを醸造し、素直な味わいをお届けしたい。
土地と正面から向き合い、この土地でしかできないぶどうの味そのもののワインを愉しみたい。
シンプルなことを実践することが、実り豊かな土地を未来につなげることになると考えています。

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<大阪-観光> 天満天神繁昌亭

2023-12-05 07:37:59 | 観光

 「天満天神繁昌亭」

 天満天神繁昌亭(てんまてんじんはんじょうてい)は、大阪府大阪市北区天神橋二丁目にある寄席。上方落語の定席の一つで、落語を中心に、漫才、俗曲などの色物芸の興行が連日執り行われている。通称「繁昌亭」。

 歴史
 2003年に上方落語協会会長に就任した桂三枝(後の6代桂文枝)が、天神橋筋商店街で落語会を行える空き店舗の提供を商店街側に依頼したことから、繁昌亭開亭の構想が始まる。商店街はこの依頼を大阪天満宮に持ち込み、上方落語協会も交えて話し合いを重ねた結果、天満宮用地に落語専門の定席を新設することで合意。用地は大阪天満宮の寺井種伯宮司の厚意により、無料で提供された。

 1957年に戎橋松竹が閉場して以来、半世紀ぶりに大阪に寄席が復活することになった。立地場所は、1912年に吉本吉兵衛・せい夫妻が買収した「第二文芸館」の跡地の向かい付近にある。

 2005年12月1日に着工、2006年8月8日に竣工、2006年9月15日開席。初代席亭には朝日放送出身の岩本靖夫が就いた。岩本は2006年10月に退任。その後2007年1月に「支配人」の名称で、和歌山放送出身の恩田雅和が席亭に就任。「繁昌亭」の名前は、6代目笑福亭松鶴の発案により千里中央のセルシーホールで上方落語協会が主催していた落語席「千里繁昌亭」に由来する。

 2019年7月1日、リニューアルオープン。空調設備入れ替え工事、劣化した天井の提灯1200張の新調、館内を一部改装、ロビーを広げ休憩時間等くつろげるスペースを確保。

*Wikipedia より

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