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<経産大臣指定伝統的工芸品> 石川 七尾仏壇

2021-04-15 07:14:50 | 経済産業大臣指定伝統的工芸品

 「七尾仏壇」

 

 Description / 特徴・産地

 七尾仏壇とは?
 七尾仏壇(ななおぶつだん)は、石川県七尾市で製造されている仏壇です。北陸は、古くから浄土真宗が広く根付いた土地柄で、石川県には他にも、金沢仏壇や美川仏壇など、よく知られる仏壇の産地があります。
 七尾仏壇の特徴は、堅牢さと豪華さです。七尾のある能登地方は山間部が多いため、出来上がった仏壇は、山道を担いで運ばれていました。このため、過酷な運搬方法にも耐えうる堅牢な造りが求められたのです
。釘を使わないで組み立てる「ほぞ組み」という技法や、鏡板(かがみいた:本尊、脇仏の後板)と言われる部分を二重にした「二重鏡板」という独自の技法で、より頑丈な構造となっています。
 石川県は、古くから漆塗りや金箔などの優れた工芸品を生み出している地域でした。七尾仏壇にも、それらの技術が盛り込まれています。破風(はふ)は荘厳さを感じさせる「二重破風」で、金箔をふんだんに使い、青貝を多用した蒔絵が施されています。金沢仏壇が雅やかな雰囲気であるのに比べると、より豪華絢爛で荘厳な印象を与えます。

 History / 歴史
 七尾仏壇の歴史は、室町時代の初めにその端緒を見ることができます。当時、能登の守護職であった畠山氏は、細工所を作り、塗りや蒔絵、彫刻などの産業を保護しました。七尾仏壇の技術的な素地は、この頃に始まったと言われます。
 その後、1582年(天正10年)に前田利家が七尾城に入城した際には、さらに多くの職人が呼び寄せられました。1616年(元和2年)の加賀藩の記録には、塗師町通りという記載がみられ、七尾では仏壇店を「ぬしや」と呼ぶことを踏まえると、この時期にはすでに仏壇の職人町ができていたとみられます。
 能登地方には、七尾仏壇の材料となるアテやヒバが豊富にあり、湿度も漆塗りに適していました。祭が盛んで、神輿を作る技術が仏壇作りの技術と共通だったことも、七尾に仏壇産業が根付いた背景と考えられます。当時の七尾は能登の中心であり、浄土真宗が広く信仰されていた土壌とも相俟って、仏壇の需要もありました。このため、七尾は現在も仏壇の産地として確立されたのです。1978年(昭和53年)には、長い歴史と技術の高さが認められ、国の伝統工芸品の指定を受けています。

*https://kogeijapan.com/locale/ja_JP/nanaobutsudan/ より

 荘厳重厚、能登の総合芸術、七尾仏壇
 石川県能登半島の東岸。七尾湾を望む七尾市で仏壇製造が行われ始めたのは17世紀後半といわれている。仏壇の製造には漆塗、金具、木彫など多くの種類の伝統工芸技術が必要である。

 
 “五職”で作る総合芸術
 「仏壇は彫り、木地、蒔絵、金具、塗り・箔・組立の五職、5人の作家で一つの物を作り上げる。言ってみれば“総合芸術”。」と語るのは塗り・箔・組立の職人で伝統工芸士、高沢秀晃さん。五つの職業の中でも、組立工程も担当する高沢さんはいわば“総合プロデューサー”だ。それぞれの職人の腕をよく知って仕事を発注する。高沢さんは高沢仏壇店の経営者でもある。店内にはたくさんのきらびやかな仏壇が並んでいて、荘厳な雰囲気が醸し出されている。「お仏壇はその家の核になるところに置く物だし、何代にもわたって手を合わせてもらうもの。そういうものを作ることに誇りを感じます。」この仕事を30年間続けてきた3代目のお仏壇職人、高沢さんの仕事への情熱だ。


 七尾仏壇の大きさは仏間の広さから
 全国から観光で近くを訪れた人が七尾仏壇を知って買い求めてくれるという。「七尾仏壇の特徴は、出須弥壇(でしゅみだん)など技術的に細かいところはいろいろあるけれど、全体が大きいというのも特徴的。」高さ2メートル幅1.4メートルを超えるものもある。その理由は「このあたりは仏間が広かったから。八畳間に置くとするとこれぐらいのものが必要になってきます。」見上げるような大きさの重厚なお仏壇を前にすると、まさに手を合わせたい気分になる。


 お仏壇の各部分の意味を読みとると興味がわいてくる
 「お仏壇は何も知らずに見てるとただ金ぴかなだけでしょ。でも、それぞれの部分で一つひとつちゃんと意味がある。そもそもどうしてこんなにきらきらしているのかというと・・・。」とお経(仏説阿弥陀経)を取り出して読み聞かせてくれる。「このお経の中に仏様の世界を描いた部分が出てくる。七宝や美しい池、そういうものが書かれていてお仏壇はその世界を表現している。」つまりこのきらびやかさは、仏様のおられる世界をそのまま民衆の家庭に再現しようとしたためなのだ。「また、須弥山(しゅみせん)という山を超えたところに仏様の世界があるとされていて、お仏壇の宮殿(くうでん)の下の部分がその須弥山を表しています。他にも、障子戸(しょうじど)に彫られている図柄は十六羅漢や二十四孝(にじゅうしこう)の一場面。二十四孝とは中国の二十四の孝行者の話を表現したもので、たとえば“寒中筍掘り”は病気がちの母親が筍を食べたいといったので、まだ寒い時期に筍を掘るという話。こういうことが読みとれるようになるとお仏壇が面白くなってくる。」
 5つの伝統工芸技術の集大成としての総合性にあわせて、さらに仏教の広く深い物語性までお仏壇には集約されている。


 奥深い世界の扉
 お仏壇全体を考えたときには、扉の蒔絵や障子戸の彫り物などの図柄の配置にも気を配らなければならないという。「獅子を彫るにも人(の彫り物)よりも上の方にあるとおかしい。でも鳥は空を飛ぶから上にあってもいい。例えばここに動物を彫ればその下には山水、上には天女がいいといったことまで組立ての職人が考えなければなりません。」このあたりもまさにプロデューサーの腕の見せ所だ。
 お仏壇の組立職人、高沢さんの仕事は、例えてみれば映画監督のようなものかもしれない。映像、音声という技術的なものはもちろんストーリーも任されている。
 それにしても、日本人ならばだれもが手を合わせたことがある身近なお仏壇に、これほどまで奥の深い世界が広がっていようとは想像すらできなかった。
「そもそもお仏壇は仏様をまつるおめでたいもの。核家族などで“うちはまだ人が死んでいないからいらない”というのは本当は違います。」お仏壇というものが育まれてきた文化の一端を、高沢さんのお話からうかがうことができた。
ぜひ一度、家のお仏壇をよく観察してみることをおすすめしたい。きっと、お仏壇に手を合わせることがあなたの心の支えになることだろう。


 職人プロフィール

 高沢秀晃 (たかさわひであき)

 「お仏壇の一つひとつの意味がわかると面白くなる」と高沢さん

 25歳から30年間、七尾仏壇の塗り・箔・組立を行う。伝統工芸士。


 こぼれ話

 一口にお仏壇を作るといっても、さまざまな伝統工芸技術が必要。七尾では五職(五つの職、五人の職人)といわれます。
 そのうちの木彫りの職人が米村正勝さん。お仏壇の障子戸などにはめ込まれる彫り物を作っています。仕事に必要な多くのノミが作業台に整然とならべられている様子は圧巻。「今やっているお仏壇のような小さな彫り物に使うノミだけで70本ぐらい。他にもお寺などの大きな仕事だと、別のノミがいる。これだけあると、とにかく手入れがたいへん。とくに梅雨時は油断すると錆びてしまうから気をつけています。」
 道具の管理がきちんとできて一人前の職人、とはよく言われること。仕上がった品だけを見ていてはなかなかわかりませんが、目の前に並んだノミを見て、その意味が実感できました。使い込まれた道具だけが持つ艶が美しい。

*https://kougeihin.jp/craft/0807/ より


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