「三河仏壇」
Description / 特徴・産地
三河仏壇とは?
三河仏壇(みかわぶつだん)は、愛知県岡崎市などの三河地区一帯で作られている仏壇です。昔から三河地方には仏壇を押入れの中に置く習慣があったため、台を低く作り、日々のおつとめをしやすいようにという需要がありました。三河仏壇も押入れの幅と高さ、奥行きに合わせて台を低くし、三杯引き出しをしつらえた設計がなされています。
三河仏壇の特徴は、押入れに合う大きさという条件のもと仏壇を豪華に見せる工夫がなされていることです。それが、欄間の彫りや屋根の小長押に見られる「うねり長押(なげし)」という仕様に表れています。このうねり長押によって美しい宮殿(くうでん)がよく見え、ご本尊と仏像を拝みやすい構造になっています。
三河仏壇は、同じ三河地区の豊橋筆、常滑焼などとともに、経済産業大臣指定の伝統的工芸品の1つに選定されています。
History / 歴史
三河地方に浄土真宗が伝播したのは鎌倉時代のことでした。その教えは室町時代、広くこの地方の民衆の間に根付きはじめ、仏壇の製造がはじまります。徳川家康の生誕地でもあった現在の岡崎市は幕府の庇護を受け、仏教の発展とともに仏壇の一大製造地として発達していきました。
岡崎市には、愛知・岐阜・長野の県境に流れを発し知多湾まで、全長およそ117kmに及ぶ一級河川矢作川が流れています。もともと小さな支流の集まりであったこの川は、徳川家康の命で治水事業を推進したことにより、水運の要衝となりました。
矢作川を伝い上流から流れ着く松や杉、檜などの木地に加え、三河北部で良質な漆が採取されていたこと、三河地方には高度な鋳造、鍛造技術が伝わっていたことなど、仏壇製造にとって好条件が揃っていた岡崎の地で、1704年(元禄17年)、仏壇師であった庄八家が三河仏壇の製造をはじめました。
*https://kogeijapan.com/locale/ja_JP/mikawabutsudan/ より
繊細で華やかな仏壇の彫刻をつくる
三河仏壇は「八職」と呼ばれる八つの専門職の分業で作られているが、中でも彫刻を担当する 彫師(ほりし)は、技術と同時に高いオリジナリティを求められる仕事である。彫刻の精巧さは三河仏壇の特徴のひとつでもあり、長年彫師として活躍してきた大竹勇さんに、仏壇の彫刻を彫るという仕事について伺った。
十年でやっと買っていただけるように
「つい何日か前に、偶然、昔のデッサンが出てきたんですよ。」そう言って見せていただいた赤い表紙のスケッチブックは、大竹さんが16歳で親方のところに弟子入りした当初使っていたものだ。その中に、横に並んだ渦巻きのようなものが描かれているページがある。入門して最初に彫った渦巻き雲だ。「ああ、こんなんやったんだなあ、と思いました。」雲、菊の花、細い唐草と練習する中で、よく指を切った。彫刻刀が手のひらを突き抜けて、今でもしびれが残っているという。「研ぎができるようになって、道具がよく切れるようになると、怪我が減るんです。」彫師の世界は昔から、五年は奉公、十年でやっと仏壇屋さんに買っていただけるものが作れるようになるといわれているのだという。
サイズの制約の中から生まれた豪華さ
三河地方では仏壇を押入の中に置くのが慣習だ。それは、以前この地方では養蚕が盛んで、家の中で蚕を飼い、薪を燃やしたため、仏壇がすすで汚れるのを防ぐ目的だったのだという。この地方の家の標準的な押入は畳を横に二畳分で、その真ん中に仏壇、両脇に夫婦箪笥を一本ずつ置いた。このスペースにうまく収まるようにという合理的な理由から、三河仏壇の標準的なサイズ、高さ五尺八寸(約175センチ)幅三尺七寸(約112センチ)ができた。三河仏壇の特色はこの制約の中でいかに豪華な仏壇を作るかというところから来たものが多い。台が低く仏壇の本体部分が大きいこと、長押(なげし)の真ん中を上にカーブさせて中の豪華な宮殿がよく見えるようにした「うねり長押」、障子の真ん中に花模様の彫刻を配した「花子障子」などである。三河地方は信仰心の厚い土地柄で、三河仏壇の豪華さも、この地方の寺院の豪華な内陣を家の中に再現したいという強い信仰心の表れだといわれている。
京都や奈良の寺めぐりは毎年
「彫刻は目立つところにあるんですよね。」と、大竹さんは言う。仏壇正面の長押の上、花子障子の彫り物など、確かに彫刻は目立つ。彫刻の精巧さは三河仏壇の豪華さを印象づける要因でもあり、お客さんが仏壇を選ぶときにも彫刻の良し悪しが大きなウエートを占める。何本か同じような仏壇が並んでいたときに、この彫刻がいいから、といって買ってくれたお客さんがいると仏壇店から電話をもらった時には、うれしかったのと同時にいっそう勉強しなくてはと身が引き締まったという。彫師の仕事はオリジナリティが求められる仕事だ。「雲なら雲といっても、風がないときの雲、たなびく雲、嵐のときの雲、みんな違うんですよ。人によって個性が出ますね。」カメラ、ビデオを持っての京都や奈良の寺めぐりは毎年の恒例だ。研究し続けなければできない仕事だという。
心が通うものを作る
大竹さんが持っている彫刻刀はおよそ100本。木の材質や彫るものによって使い分ける。よく使うものは柄の部分が真っ黒で、ビニールテープで補強してあったりする。だめになったら刃の型を木にとって東京や伊勢の鍛冶屋に注文して作ってもらうという。その彫刻刀で彫る作品は繊細で精巧だが、壊れそうでいて丈夫なものを作っていると大竹さんは言う。また、出来上がったときのことだけでなく、塗りや金箔など、後の工程の人の作業のしやすさも考えて彫るのだそうだ。八職が分担して作ったものを合わせてひとつにする仏壇だからこその心配りだ。「人様が手を合わせて下さるものを作るんだから、ただ作るのではなく、心が通うものを作っていきたいですね。」という大竹さんの言葉が、仏壇職人という仕事を表しているように思えた。
職人プロフィール
大竹勇 (おおたけいさむ)
昭和18(1943)年生まれ。中学卒業後、16歳で親方に弟子入りし、以来40年以上彫師として活躍するかたわら、組合の副理事長も務めている。
*https://kougeihin.jp/craft/0809/ より
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