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< 郷土料理 > 北海道 三平汁

2023-11-27 08:49:25 | 郷土料理

 「三平汁」

 主な伝承地域 道内全域

 主な使用食材 サケ、タラ、ニシン、じゃがいも、大根

 歴史・由来・関連行事
 「三平汁」は、塩漬けにしたサケやニシンなどの魚と人参や大根などの野菜を一緒に煮込んだ郷土料理。「三平汁」という名前の由来は、諸説ある。松前藩の藩主が狩りに出た際に、斉藤三平という漁師の家であり合わせのもので煮こんだ汁を食べて、大変気に入ったため「三平汁」という名がついた説や、有田焼の三平皿という深皿に盛ることが由来とされる説など、存在する。200年以上も前から食べられていたといわれ、江戸時代後期の見聞録「東遊記(とうゆうき)」の中に「三平汁」の記録が残っている。
 「三平汁」は、塩漬けにして保存された生魚を魚を野菜とともに煮こみ、その魚の塩分だけで味を付ける。同じサケを食材とする「石狩鍋」と一緒にされることがあるが、味噌仕立てで生サケを使う「石狩鍋」とは異なり、「三平汁」は主に塩漬けされたサケを使うことが特徴。
 使う魚や味付けは地域によってさまざま。道央地域や道東地域では塩ザケを使うが、道北地域では塩ダラも使用されることもある。檜山地方では、主に塩で味付けしたスケソウダラを使う「塩三平」と味噌で味付けした塩ザケを使う「味噌三平」がある。

 食習の機会や時季
 寒い冬の時期に食べられることが多く、身体を芯から温めてくれる。家庭で食されることが多く、北海道の冬の定番料理となっている。

 飲食方法
 昆布で出汁をとった後に、魚の塩引きや糠漬けを野菜と一緒に煮る。使う魚は、サケ、タラ、ニシンなど、野菜は人参や大根、長ねぎ、じゃがいもなどがよく使われる。魚の頭や骨なども一緒に煮込むことで、より一層旨味が増す。家庭によって入れる具材はさまざま。味付けも味噌、醤油、酒粕などさまざまある。

 保存・継承の取組(伝承者の概要、保存会、SNSの活用、商品化等現代的な取組等について)
 いまでも北海道全域で日常的なおかずとして家庭でもつくられており、冬の定番メニューとなっている。また、いまの「三平汁」は昔とは異なり、家庭によっては味付けを変えたり、旬の野菜を使ったりと、その調理方法は家庭や地域ごとに伝承されている。
 冬場に道内でおこなわれるイベントで「三平汁」がよく振る舞われる。

*https://www.maff.go.jp/j/keikaku/syokubunka/k_ryouri/search_menu/menu/sambeijiru_hokkaido.html より

 三平汁(さんぺいじる)は、北海道の郷土料理。昆布で出汁をとり、サケ、ニシン、タラ、ホッケなどの魚の塩引きまたは糠漬け(糠ニシン)をダイコン、ニンジンなどの根菜類やジャガイモと一緒に煮た塩汁で冬の名物料理である。

 同じくサケを用いた石狩鍋と混同されることが多いが、石狩鍋が味噌仕立てなのに対し、三平汁の味付けは魚自体が含む塩味のみである。

 解説
 塩鮭の切り身のほか、氷頭などサケのあらを入れることもある。地域または家庭によっては上記以外の野菜を入れたり、酒粕や味噌を入れることもある。

 明治時代、北海道で水揚げされたタラは捌かれて身は本州へ出荷され、残った白子を三平汁という郷土料理に入れて食べられていた。昭和初期、味噌が北海道で一般的に流通するようになって以来、味噌汁にも白子を入れるようになったと言われている。

 地域色
 北海道の道央地方や道東では塩鮭が、道北では塩ダラが用いられる。日本海沿岸では糠ニシンが用いられる。檜山振興局管内では、味噌仕立てを「味噌三平」、塩仕立てを「塩三平」と呼ぶ。味噌三平はサケ、塩三平はスケソウダラを使うことが多い。なお、醤油仕立てはない。

 名称の由来
 「三平」という名の由来は、定かではないが、寛政元年(1789年)に紀行家の菅江真澄が著した『ゑみしのさへき』では「鯡の子のあわせにさんぺというものして、ものくえとすすむ(中略)さんぺ汁にマクリ汁、カボシ汁とてしなじなの魚汁をつねにもはらものせり」と記述されている。ただしこのころの三平汁は魚の内臓を原料にした魚醤で山菜を煮たものであり、現在の三平汁とはかなり異なる。なお、「まくり汁」とは貯蔵庫の中で発酵しかかった鰊をギョウジャニンニクなど匂いの強い山菜と共に煮た塩汁、「かぼし汁」は身欠き鰊を米の研ぎ汁で戻した上、ワラビなど山菜と共に煮て味噌仕立てにした汁物である。

 三平汁の『名前の由来』については以下のように、さまざまな説が存在している。

 狩りに出た松前藩の殿様が空腹を覚え、漁師の斉藤三平の家で食事を頼んだところ、ありあわせの素材で仕立てた汁物を供された。それがお気に召したところから三平汁と呼ばれるようになったという説。
 蝦夷地の開拓に渡った南部藩家臣の斉藤三平が、後に津軽の海を超えてやってきた人たちに対し、奥尻島で振る舞った汁を元祖とする説。
 有田焼(伊万里焼)の陶祖、李三平の三平皿に盛ることに由来するとされる説。
 アイヌ語では心臓を「サンペ」と呼ぶ。アイヌ料理のうち、鮭の心臓はじめ内臓を入れた「サンペのオハウ」(汁物)が、「三平」の語源、三平汁の起源である、との説。
 歴史
 記録では、平秩東作の東遊記(1784年)に「サンヘイ」という名で紹介されている記述が最古とされている。また、松浦武四郎の西蝦夷日記(1803年)にも「三平汁」として記述されている。

*Wikipedia より


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