「奥会津編み組細工」
福島県大沼郡三島町の荒屋敷遺跡において、縄や籠の編み組等の断片が発掘されており、縄文時代より編み組の技術・技法が存在したことが明らかとなっています。
「会津農書」には、会津地方において野草の縄をもって籠を作っていると記されており、「東遊雑記」には、現在の三島町近郊において山菅(ヒロロ)を材料として蓑などの編み組細工が作られていると記されています。
また「伊那伊北谷四ヶ組風俗帳」には、マタタビの蔓を細くして「笊」を作り、山ブドウの皮で袋網(籠)を作っていたと記述されていることから、この時代においても、ヒロロ細工、マタタビ細工、山ブドウ細工が日常の生活用品として作られていたことがうかがわれ、今日まで受け継がれています。
福島県大沼郡三島町においては、昭和40年代から高齢化により、編み組細工製造従事者が減少していることから、数百年来受け継がれてきた技術・技法を維持・伝承するとともに自然との共生を目指す生活工芸品を地域産業として振興し発展することを目的とし、編み組細工の技術指導、品質管理、需要開拓等の『生活工芸運動』を重点施策として推進してきており、今日では従事者数も増加してきてます。
*https://jtcw.jp/2020/report/amikumi/ より
*https://kougeihin.jp/craft/0606/ より
産地
福島県 三島町
歴史
奥会津地方は、全国でも有数の豪雪地帯であり、雪国特有の生活文化が育まれてきました。奥会津編み組細工も雪国だからこそ継承されてきたものです。
その原形は、会津農書写本(1748年著)や東遊雑記(1788年著)、伊南伊北谷四ヶ組風俗帳(1807年著)に記録されており、元来農作業や山仕事、日常の生活に用いる籠や笊として作られてきたものです。
雪に閉ざされる冬の間の仕事として、親から子へ、子から孫へと受け継がれ、素朴で堅牢な工芸品へと発展してきました。
その過程には、三島町が進めてきた生活工芸運動が大きく影響しています。昭和47年から町主催の展示会を行うなどの支援を続けてきたことで、地域住民に浸透してきました。
現在では100人を超える工人たちが取り組み、地域の文化と経済の一端を担っています。
特徴
奥会津編み組細工には、ヒロロ細工・山ブドウ細工・マタタビ細工の3種類があります。
ヒロロ細工は、ヒロロ(和名:ミヤマカンスゲ)を主な材料とし、手さげ籠等の製品が作られています。編み目が細かく、レース編みのような仕上がりが特徴で素朴さの中にも独自の繊細さがあります。
山ブドウ細工は、強靭な山ブドウ蔓の皮を材料とし、手さげ籠等の製品が作られています。山ブドウの皮は使い込むほどにつやが出て素朴な魅力を増します。
マタタビ細工は、マタタビ蔓を材料とし、米研ぎ笊、四つ目笊等主に炊事用具として用いられてきました。水切れが良いことに加え、水分を含むとしなやかになり手触りがよいのが特徴です。
3種とも材料の採取から完成に至るまで全て手作業で行われています。今では手提げ籠などいろいろな工芸品の材料として使用されています。
*https://www.tohoku.meti.go.jp/s_cyusyo/densan-ver3/html/item/fukusima_04.htm より
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